88 四つ葉のクローバー
★今回はリチャード視点です。
「ねえ、リチャード、あっちに行ってみましょうよ!」
帽子を押さえ振り返りつつ、お嬢様が満面の笑みで言う。
春の光が降り注ぐ中、銀糸のように輝く髪が、時折強く吹く風に靡いた。
お嬢様が指差す先には、緑の絨毯に小さな白い星屑を散りばめたように、シロツメクサが無数に咲き誇っていた。
所々に黄色や紫も混じっているので、タンポポやレンゲ、スミレも咲いているようだ。
風が吹くたびに、草花の優しい香りがふわりと漂う。
耳を澄ますと鳥たちのさえずりが聞こえてくる。
――ああ、お嬢様とここに来られてよかった。
そのために、兄を頼ってしまったが。
普段は、際限なく甘やかしてこようとする兄達を頼ることは、なるべく避けるようにと心掛けている。
だが、お嬢様のためなのだ。
兄弟だろうが親だろうが、使える者はなんでも使う。
俺のプライドなんて、お嬢様の笑顔に比べたら、なんの価値も無い。
美しい景色の中、軽やかに弾むように歩くお嬢様の姿は、まさに春の女神そのものだ。
この一瞬を切り取って、絵画のようにして永遠に残しておきたい。
そう思ったのは俺だけではないようだ。
少し離れたところに、美術教師のルシアン・ファン・レイン先生の姿が見える。
彼は手に持ったスケッチブックに向かって忙しそうに手を動かしている。
その視線は真っ直ぐにお嬢様の方に向けられていた。
彼は確か、E組の担任も兼ねていたはず。
今日は引率にかり出されたのだろう。
相変わらずドレスのようなデザインの服を着て、上に白いローブを羽織っている。
貴族男性としては間違いなく変わっている服装だが、彼には不思議と似合っている。
「リチャード、早く早く!」
「お嬢様、走ったら危ないですよ!」
「大丈夫よ! って、うぎゃ!!」
「お嬢様!?」
言ってるそばからつまずいて、お嬢様は体勢を崩した。
だが、幸いにも、地面に転がるようなことはなかった。
大事にならなくて良かったと、ホッとした次の瞬間。
「大丈夫ですか!?」
駆け寄ってくる人間がいた。
「お怪我はありませんか?」
「え? ええ、大丈夫です」
つまずいたが何とか踏みとどまってホッとした様子のお嬢様に、大げさな様子で声をかけるその男は――
「ケイン……」
ケイン・ウィーゼル。ウィーゼル侯爵家の次男。
昔から何かと俺に張り合ってくる嫌な奴だ。
俺がお嬢様の従者となってからは、悔しそうに遠巻きに見てくるだけだったので、ここのところ存在すら忘れていたのに。
「あら、リチャードのお友達?」
お嬢様が無邪気に言う。
「「友達などではありません!」」
「あら、ふふっ、息が合ってるわね」
思わず、ケインの顔を見ると、同時に奴もこっちを睨んできた。
やめろ、俺と同じ動きをするな!
ケインは俺の方を忌々し気に睨んでいたが、やがて気を取り直したようにコホンとひとつ咳ばらいをした。
「こんな奴にかまっている暇はない。……エリザベス嬢、よろしければ、これをどうぞ。貴女の為に作りました」
そう言いつつ、ケインが差し出したのは、シロツメクサを編んで作った花冠だった。
「わあ、可愛い!」
お嬢様は目をキラキラと輝かせて花冠を受け取ると、色んな角度から眺めていたが、すぐに何かに気付いたようにハッとした表情になった。
「えっと……私が頂いてしまってよろしいのですか? その、貴方が作ったんですよね?」
おずおずと言うお嬢様の視線は、ケインに――ではなくて、ケインの少し離れた後ろに立つ、一人の少年に向けられていた。
こいつの名前は確か――モーリス・ハリッジ。ハリッジ子爵家の嫡男だ。
おとなしくていつもおどおどとしているので、同年代の貴族子弟の中では少し馬鹿にされていた。
だが、最近ではケインの子分のように振舞うことで、なんとか虐められるのを避けているようだった。
それを皮肉る者もいるが、俺は特に何とも思わない。
そういう立ち回りができるということも、貴族としては大事なことだったし、何よりモーリス・ハリッジがそれで良いのならば、周りがとやかくいうことではないだろう。
お嬢様にそう話しかけられたモーリスは、お嬢様とケインの顔を交互に見ながら困ったように眉を下げ、その場で立ち尽くしている。
「お嬢さま…………花冠を作ったのがモーリス・ハリッジだと、何故そう思われるのですか?」
モーリスは何も答えようとしないし、ケインはモーリスの方を睨んだままだ。
このままだと埒があかない。
「だって、リチャード。そちらの方……モーリス様の指先を見て。草の汁で緑色に染まっているでしょう? でも、ケイン様の手は全く汚れていないわよね?」
思わず、と言った様子で、モーリスが自分自身の指先を見つめた。
確かに、少し緑色に染まっている。
「……チッ」
ケインが小さく舌打ちをした。
と、同時にモーリスが怯えるような表情で、指先を隠すように握りしめた。
「…………これは、頂けませんわ。作った方にお返ししますね」
お嬢様はそう言いつつ、モーリスに向かって花冠を差し出した。
モーリスは、ケインの方を怯えたような目でちらちらと見ながら、お嬢様から花冠を受け取った。
「では、私はもう行きますね。……それではケイン様、モーリス様、ごきげんよう」
貴族令嬢らしい微笑みを浮かべながら、お嬢様が軽くお辞儀をする。
そして――俺の腕を掴んで歩き出した。
※※※
「ああー、なんか胸糞悪い」
「お嬢様、言い方!」
ケイン達から十分な距離を取ったところで、お嬢様がプンプンと怒りながら言う。
「だって、リチャード。あのケインって子、ひどくない? モーリスって子が一生懸命作った大作を、自分が作ったような顔して人にあげようとするなんて!」
「よく気づきましたね……」
思わず、感心してそう言うと、お嬢様は得意そうな顔で言った。
「そりゃ、見てればわかるわよ。典型的ないじめっ子の顔してたもの。あれは、そうね、ジャイ〇ンとス〇夫ね。いや、違うわね。ス〇夫にしてはちょっと丸い感じだったもの」
お嬢様が何やらブツブツ呟いている。
ジャイ〇ン? ス〇オ? 一体何のことだろう。
「そうだ、これからは彼らのことを赤い狐と緑の狸って呼ぶことにするわ!」
赤い狐と緑の狸?
確かにケインは赤毛だし、釣り目で狐っぽい。
モーリスは緑色の髪で、タレ目で狸っぽい感じがする。
お嬢様はこうやって、人にあだ名をつけることが多い。
お嬢様曰く「あだ名をつけて覚えないと、すぐ忘れちゃうから」だそうだ。
――それにしても。
ケインはまだお嬢様のことを諦めていなかったのだろうか。
侯爵家の子息と言えど、ケインは次男だった。
貴族家の次男以下は、余っている爵位があればそれを継ぐが、無い場合は家を出て平民となる。
だが、現実的には平民になって暮らす者はまずいない。
騎士となり王国の騎士団に入れば無条件で騎士爵を授かれるので、その道を選ぶか。
もしくは、貴族の家の跡取り娘と婚約を結んだり、従者として仕える道を選ぶか。
そのどちらかを選び、貴族のままでいる場合がほとんどだった。
ケインもまたその二つを選ばねばならないのだ。
「リチャード? なんでそんな怖い顔してるの? あ、もしかして、あの二人と仲良しだった!?」
「そんなことないです。むしろ仲が悪いです」
「そうなんだ、良かった。でも、そうよね、リチャードがあんな意地悪な子と友達なはずないものね」
お嬢様はほっとしたように笑った。
時々、変な誤解をされるので、ここはちゃんと訂正しておかないと。
「それにしても、あの花冠、可愛かったな……あんなの作れるなんて、緑の狸は私よりもずっと女子力が高いわね」
「お嬢様……」
なんだか残念そうなお嬢様を見ていたら、居ても立っても居られなくなった。
「リチャード? 突然しゃがみ込んで何してるの?」
必死に目を凝らすと、幸いにもすぐに四つ葉が見つかった。
それとシロツメクサの花を摘み取り、両方を合わせて輪を作る。
余った茎をぐるぐると巻き付けていくと、不格好だが指輪のようなものが出来上がった。
「わあ、凄い! 四つ葉のクローバーの指輪じゃない!」
出来上がった指輪を差し出すと、お嬢様は嬉しそうに目を輝かせながら、左手の薬指にそれを嵌めた。
「ふふっ、ありがとう、リチャード!」
「花冠に比べると、見劣りしますが……」
「そんなことないわ! この指輪の方がずっとずっと凄いわよ! リチャードが私のために作ってくれた幸運を呼ぶ指輪だもの! 本当に嬉しいわ!」
「……っ!」
お嬢様はそう言うと、俺の頬に軽くキスをし――はにかんだように微笑みながら、言った。
「ふふっ、リチャード、大好きよ」
……リチャード、大好きよ
……リチャード、大好きよ
……リチャード、大好きよ
本当に。
本当に、ここに来て良かった。
「えっ、リチャード、大丈夫!?」
慌てたように叫ぶお嬢様の声を聴きながら、俺は夢見心地のままハンカチで鼻を強く押さえた。
「国が空前の危機に直面しているので、男性アイドルグループをプロデュースします!」
「森の魔女ルル」
というお話も、同時進行で書いています。
良かったら、読んでみてください。
よろしくお願いします。




