86 非常識だったようです
「お嬢様! ひどいです!」
エリックが帰っていった後、マリーが涙目で文句を言ってきた。
「ごめんね、マリー。でも、仕方なかったのよ」
「マリーさん、力及ばず申し訳ありません」
エリックは帰り際にさっとマリーを抱きしめ、唇に軽くキスを落していった。
それを見た私とリチャードは、今も顔の赤みが残ったままだ。
全くもう、とブツブツ文句を言いつつも、マリーは改めてお茶を淹れ直してくれている。
蜂蜜を入れ、レモンの輪切りを浮かべると、マリー特製の蜂蜜レモン茶の出来上がり。
「あー、美味しい、癒されるー、マリーありがとう」
「そうですね、疲れがとれます。マリーさん、ありがとうございます」
カップを手に、二人で口々にお礼を言うと、マリーが照れたように微笑んだ。
「お口にあって良かったです」
マリーは優しい。
バートン子爵家に居た頃からの付き合いだが、マリーはいつだって穏やかで周りの人間に優しかった。
素直で、意地の悪いところが全く無くて、お人好しで。
「天使のような」心の綺麗な人間だ。
私自身も、「天使のような」と言われることがあるが、それはあくまでも見た目の話だ。
自分で自覚しているが、私は心の綺麗な人間ではない。
マリーが昔話に出てくる、女神の恩恵を受ける善良な少女だとすると、私は欲にかられて身を亡ぼす愚かな村人Aだろう。
――だからこそ、なのだ。
いつか自分が、小説『星空の下の恋人たち』の中の悪役令嬢エリザベス・フォークナーのようになってしまうのではないかと、どうしても不安になってしまうのだ。
考えないように心に蓋をしても、後から後から湧き上がってくるこの不安を完全に封じ込めることはできない。
――それでも。
こうしてマリーの美味しいお茶を飲みながら穏やかに過ごしてる間だけは、安心して心を緩めることができる。
「ハイキングにも、マリー特製の蜂蜜レモン茶を持っていきたいな」
「かしこまりました。リチャード様の分もご用意しますね」
「ありがとうごさます」
リチャードもマリーのお茶が大好きなので、とても嬉しそうにしている。
「あ、そうそう、マリー、赤い布ってあったかしら」
「赤い布ですか? 確か、あるはずですが……」
「それで、前掛けというか、よだれかけ作って欲しいの。お地蔵さんがしてるみたいなやつ」
「オジゾウサンとは、一体なんですか?」
リチャードが未知の言葉に興味を示したらしい。
とりあえず、異国の神様みたいな物だと言っておく。
「お嬢様、そのよだれかけをどうするのですか?」
マリーが不思議そうに問いかけてくる。
「もちろん、私が使うのよ。ウィンダミアのイチゴ小屋で」
「お嬢様がですか? どうしてそんなものを?」
「それを身に着けておけば、汚れを気にせずイチゴを堪能できるでしょう? ふふっ、我ながら素晴らしいアイデアだわ!」
自画自賛。得意げにそう言ってみると。
「「駄目です!!」」
マリーとリチャードが声を揃えてダメ出ししてきた。
「どうして!?」
「そんな準備万端、食べる気満々の貴族令嬢なんて、どこ探してもいないですよ!」
「いるわよ、ここに!」
「「駄目です!!」」
「むうう」
せっかくのアイデアを頭ごなしに否定されて、思わず頬を膨らませてしまった。
納得がいかない様子の私を見て、リチャードがため息を付いた。
「はあ……お嬢様、淑女がガツガツ食べるのは言語道断だと言いましたよね?」
「だから、ガツガツなんて食べないわよ。ちゃんと上品に食べるようにするわ」
「真っ赤なよだれかけを身に着けてですか?」
「…………ピンクにする」
「色の問題ではありません!」
(くっ、リチャードがこうなったら、もう諦めるしかない……)
リチャードが説教モードになってしまったので、赤いよだれかけ作戦は却下だ。
真っ赤な服は持っていないから、当日は紺や黒などの、イチゴの汁が飛んでも目立たない色の服を着て行こう。
それならかなりごまかせるはず。
代替案を思いついたので、うむと力強く頷くと、リチャードが嫌そうな顔をした。
「……また何か良からぬことを考えているのでは……」
「ひどい、リチャードったら!」
私とリチャードのやり取りを眺めていたマリーが、クスクスと笑う。
「それでは、不自然に見えないような、薄手のお洒落な赤いストールをご用意しましょうか」
「やった! リチャード、それならいいでしょう?」
「……全くもう。貴女という人は……」
マリーはいつだって優しい。
リチャードも、なんだかんだ言って私に甘い。
※※※
「というわけで、私と一緒にイチゴ小屋に行きませんか?」
翌日、学院でランチを食べながら、皆を誘ってみた。
「うふふ、摘みたてのイチゴを味わうだなんて、とても素敵なアイデアですわね」
「……行きたい……楽しみ……」
「「「是非、ご一緒させてくださいませ」」」
マーガレット様、ハイジ様、チューリップトリオの皆様が、かなり乗り気で返事をしてきた。
「ハイジ様、クラウス様にも、是非ご一緒にとお伝えください」
「……ええ……楽しみ……」
ハイジ様は頬を赤らめてこくんと頷いた。
「うちの料理長自慢のコンデンスミルクをお持ちしますわ。是非とも、皆様にも味わって頂きたいので」
「コンデンスミルク?」
マーガレット様が、不思議そうに首を傾げた。
「イチゴにかけて食べるととても美味しいのですよ」
「あらあら、うふふ、そんな食べ方があるのね」
皆、そんな風にして食べたことはないらしい。
美味しいのに。
一度やったら虜になるはず。
実際、フォークナー伯爵家の皆は喜んでコンデンスミルクをかけて食べている。
「あ、そうそう、大事なことを言い忘れていましたわ。ここだけの話ですけど……」
そう言いつつ皆に手招きし、顔を近づけてもらった後で小声で言う。
「ギルバート殿下はハイキングには不参加になるはず。リチャードがそう手配してくれましたの」
「まあ、リチャード様、さすがですわね」
「恐れ入ります」
マーガレット様の言葉に、リチャードが優雅に頭を下げる。
「それにしても……あの方、本当に目障りですわ。何とかならないのかしら」
アメリア様が眉を顰めて嫌そうな顔をした。
どうやらアメリア様は心底ギルバート殿下のことを嫌っているようだ。
「しつこすぎます。エリザベス様が困ってらっしゃるのに。男らしくさっさと諦めるべきです!」
皆、うんうんと頷く。
アメリア様は曲がったことが大嫌いなさっぱりした性格だから、しつこく付きまとってくるギルバート殿下とは相性が悪いのだろう。
「あの従者、カイル・ファルネーゼもです。何を言っても薄ら笑いを浮かべながら言い返してくるのですよ。なんて嫌味な男でしょう」
シャーロット様も、嫌悪感を隠さずにそう言った。
いつもにこやかなシャーロット様がこれほど嫌そうな顔をするのは珍しい。
そういえば、『永遠の愛コンテスト』の時の二人の言い合いは、背後に虎と龍の幻影が見えるほど激しいものだった。
「でも、あのラウルという男性は、話が分かる方のようでしたが……」
ビアンカ様がおずおずとそう切り出すと、アメリア様とシャーロット様が、すかさず言い返す。
「ビアンカ様、騙されてはいけません!」
「そうですよ! ラウルって男はあのカイル・ファルネーゼの兄だというではありませんか! 信用してはいけませんよ!」
「は、はい……」
チューリップトリオがそんな風にわちゃわちゃしているのを見たハイジ様がオロオロし出すと、マーガレット様が宥めるように言った。
「まあまあ、あの方々はハイキングには不参加なのですから、もう気にするのはやめましょう。せっかくのランチが不味くなりますわ」
それから後は、ハイキング当日の天気のことや、持っていくお弁当の話などで盛り上がった。
念のため、汚れ防止のよだれかけ的なものを持っていく人がいるかどうか聞いてみたところ、全員から戸惑ったような残念そうな目を向けられたので、リチャードの言う通りよだれかけは非常識だったようだ。




