64 野獣ではありません
リチャード曰く。
男性がその名前にかけて忠誠を誓った時、女性が手の甲への口づけを許すことで、その忠誠を受け入れるという意味になるのだそうだ。
つまり、今のカイルは、私に忠誠を誓った状態にある。
「だから止めたのに! なんてことしてくれるんですか!」
リチャードはものすごく怒ってる。
自分が従者として仕えている令嬢が、他の貴族男性の忠誠を受け入れたのだ。
これはもう、浮気相当のことをやらかしたという認識らしい。
「だって、そんなの知らなかったんだもの!」
「…………そうですか。では、アーネスト夫人の教育が足りていないということですね。フォークナー伯爵家に戻り次第、もう一度令嬢としての常識を叩き込んでもらうようにと伯爵にお伝えしないといけませんね」
どうしよう。リチャードが怖い。
とりあえず、忠誠なんて大げさなものはいらないから、悪さしてくるのを止めるだけでいいのだと言おうとしてカイルを見る。
ようやく立ち上がったカイルは、晴れやかな笑顔だった。
「これで、気兼ねなくあなたと話ができます」
「え? ど、どういうこと? ていうか、王子の側近が、他国の伯爵令嬢なんかに忠誠を誓ったりしていいの?」
「ええ。その伯爵令嬢が、主である王子の婚約者である場合や、側近自身の婚約者となれば、全く問題ありません」
カイルがしれっと言うと、リチャードが眉間の皺を深くした。
「お前……どういうつもりだ」
「どういうつもりも何も。言葉通りの意味ですよ。ギルか私が、エリザベス様の婚約者となれば良いだけの話です」
「なんだと貴様……!」
リチャードがカイルの胸元を掴んだ。
一触即発といった緊張感が漂う。
(だめだめだめ! このままじゃ殴り合いになっちゃう! どうしよう、何か二人の気を逸らすことは……って、え? あれは一体……!?)
「桜の木の下に死体!?」
「お嬢様、何を言ってるんですか。止めようとしても無駄ですよ……って、あれは!?」
「…………!!」
私は震える指で、少し離れたところの桜の木の下を指差した。
そこには、うつ伏せで倒れている人の姿があった。
(何これ、デジャヴ!?)
リチャードとカイルが、慌てて駆け寄って行く。
「大丈夫ですか!? あれ? あなたは……」
「兄さん! どうしてこんなところに……!?」
そこに倒れていたのは、生きてる死体こと、ラウル・ファルネーゼだった。
私も慌ててそばに行く。
ラウルは、なんとも不思議な格好で倒れていた。
彼は背中にタケノコがたくさん入った籠を背負っていた。
桜の木の根に躓いたのだろう。
転んだ拍子に籠の中のタケノコが勢いよく飛び出て、頭に当たったらしい。
脳震盪を起こしたのか、動けなくなってしまったようだ。
「兄さん!」
「あれ? カイル? なんでここに?」
「兄さんこそ、どうしてこんなところで倒れているんだ」
よく似た顔の兄弟が、タケノコが散らばった中で会話している。
なんともシュールだ。
「お嬢様、離れて下さい! これは、何か危ないものかもしれません!」
リチャードが、私をタケノコから庇う様に前に出た。
そうか、リチャードは竹もタケノコも本物を見たこと無いんだった。
「あ、大丈夫よ、リチャード。これはタケノコ。これが大きくなって竹……じゃない、ターケになるの」
「え、ではこれは植物なのですか?」
「そうよ」
植物でなければ何だというのだろう。
まあ、皮を剝いていないタケノコは、毛むくじゃらの生き物に見えなくもないけど。
「さすが、エリザベス嬢。ターケに詳しいのですね。そうです、これはターケノコと言われる物で、これが伸びた姿があの美しいターケとなるのですよ」
「こんな、獣の腕か角のような物が植物だと……?」
「今にも噛みついてきそうなのに……」
リチャードとカイルが信じられないといった表情でタケノコもといターケノコを見ている。
「ふふっ、獣だなんて。とっても美味しいのに」
私がそう言いながらターケノコを拾い上げると、リチャードとカイルだけでなく、ラウルまでが目を見張って動きを止めた。
「ターケノコを食べる……?」
ラウルは不可解そうに眉を顰めていたが、その頬がだんだんと染まり、目がキラキラと輝きだした。
「ターケノコは食べられるのか! 素晴らしい! もしかして、ターケノコの産地では日常的に食べられているものなのか? あ、パムダもターケノコ食べるのか?」
「あ、はい、たしかパムダはターケノコが大好物だと思います」
「そうなのか、素晴らしい! それにしても、どうしてエリザベス嬢はそんなことを知っているの?」
ラウルがそう言うと、リチャードとカイルも、不思議そうに私の顔を見つめてきた。
前世で得た知識だと言うわけにもいかないので、私はいつものようにごまかす。
「亡くなった母から聞いたのです」
「そうですか、お母上が……それにしても、エリザベス嬢。あなたは本当に稀有な令嬢だ。まだまだ他にも私やターケの研究者たちが知らない知識を持っているかもしれない。『ターケ姫物語』のミカードのように、私もあなたに惹かれてしまった……貴女の知識の全てを教えて欲しい……」
ラウルはそう言うと、背に背負った籠を下ろしつつ立ち上がり、私の前に跪いた。
そして、右手を差し出しながら言った。
「麗しきエリザベス様。ラウル・ファルネーゼは、この名にかけて誓います。今後、私の全ての知識と忠誠を貴女に捧げます。それを受け入れる証として、その美しき御手への口づけをお許し頂けないでしょうか」
(いや、ちょっと待って! これってアレだよね!? リチャードが物凄く怒るアレだよね?)
恐る恐る横を見ると、リチャードが氷のように冷たいが、燃えるような怒りの籠った瞳でラウルと見下ろしていた。
怖い。なにその目。その表情。
でも、大丈夫。
私は経験を活かせる賢い人間なのだ。
これは受け入れてはいけないのだと、もう知っている。
「もし、受け入れて頂けるならば、このターケノコを全て貴女に捧げましょう」
「うそ、全部くれるの? やった!」
ラウルがターケノコを一つ拾い上げ、私に向かって差し出して来た。
思わず受け取ろうと両手を前に出したその時。
ラウルがさっとターケノコを地面に置き、私の右手を取って素早く手の甲に口づけた。
「ありがたき幸せ。ラウル・ファルネーゼは、エリザベス様に、心よりの忠誠を誓います」
「え? あれ? え?」
「お嬢様、貴女という人は!!」
(いやいやいや、これはもう、私は悪くないでしょうが!! 何なんだ、この兄弟は! こんなにあっさり他国の令嬢に忠誠を誓っていいのか?)
「もう、やだ!」
叫ぶ私と、微笑むファルネーゼ兄弟、怒り心頭のリチャードという状況が生まれてしまい、これをどうやって乗り切れば良いのか頭を抱えてしまった。
※※※
その後。
約束通り頂いた、籠いっぱいのターケノコを馬車に詰め込み、フォークナー伯爵家に向かった。
馬車の中で、リチャードは一言も口を聞いてくれなかった。
ものすごく怒っているようだ。
この怒りをどうやって鎮めようか頭を悩ませているうちに、フォークナー伯爵家に到着。
籠いっぱいのターケノコを見たマリーが『お嬢様が野獣の腕を!!』と叫んで気絶。
マーカスが慌てて短剣を構えると言うハプニングが起きた。
その後、籠ごと全部は運べないので、とりあえず、一つだけ持って厨房に向かった。
「料理長! これ、ターケノコって言うんだけど、すごく美味しいの! それでね」
「お嬢様!!! それは一体!!! 野獣の角!?」
美味しいタケノコ料理を作ってもらおうと料理長の目の前にターケノコを出した途端。
料理長が気絶した。
「料理長!?」
「しっかりして下さい!!」
厨房があっという間にパニックになった。
「お嬢様、貴女という人は……」
後ろからリチャードのため息交じりの声が聞こえた。
無駄にイケボで腹が立った。




