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56 美術教師 ルシアン・ファン・レイン

初級学院で学ぶのは、国語、数学、理科、社会の主要4教科と、音楽、美術、教養、体育の実技4科目。

そのうち、美術は週に2時間授業がある。


驚いたことに、今世での美術の授業は、前世の美術の授業とは全く違った内容だった。


そもそも、自分では作品を作らない。

絵を描いたり、彫刻刀で板を削ったり、粘土をこねたりという作業を全くやらない。


では何をやるかというと、一言で言うなら、「作品の鑑賞の仕方」を学ぶのだ。

絵に隠された意図を正確に把握したり、それが本物であるかどうか見極める力を養ったり。

貴族や裕福な平民の間では、絵画や彫刻を人の集まるサロンで鑑賞したり、屋敷に飾ってお茶会の時に話題にしたりと、大勢で見て感想を言う機会が多い。

そこで見当外れなことを言ったりすると、社交界で笑いものになってしまう。

なので、恥をかかないためにも、学院でそれらを学ぶ必要があるのだ。


また絵画などは意外と贈答品として利用されることが多い。

もちろん、信用のおける画商に頼み、売買するのが一般的だが。

自分でもしっかり真贋が見極められるようでないと、画商から馬鹿にされて碌な作品を融通してもらえなくなる。


テストの順位には関係してこないが、単位をとるための都合上、小テストみたいなものが頻繁に行われる。

小テストと言っても、実際に絵を見ながらその絵に隠された意図を理解し、わかりやすく説明するだとか、自分の感動を詩的な言葉で表現するだとか、実際にサロンで行われているような形式で行われる。


そんな意外と難しそうな美術の授業だが。

担当の教師が……なんていうか、とても、個性的だった。




授業初日のこと。


「初めまして。皆さんの美術の授業を担当する、ルシアン・ファン・レインです。これから皆さんと共に、楽しく授業をしていきたいと思います。どうぞよろしくね」


そう言ってにっこりと微笑むルシアン先生は、大人の魅力あふれる素敵な男性だった。

髪の色はストロベリーブロンドで、毛先に行くほどピンク色になっている。

前髪は自然に真ん中から分けて左右に流していて、サイドの髪は耳に掛かる程度の長さ。後ろは首筋が見える程度の長さに整えられている。

白い肌は男性にしてはきめ細やかで、ペリドッドのような黄緑色の瞳が美しい。


(ちょっと待って。こんな美形がモブってことはありえないんじゃない?)


今までのパターンからすると、ものすごい美形は大抵、前世で読んだ小説のキャラクターだったりする。

私は経験から学べる人間だ。これは絶対に怪しい。


(こんな整った容姿なんだから、きっと彼も……あれ? 彼でいいんだよね?)


改めてレインと名乗る教師の姿を観察してみる。


首から上は、落ち着いた雰囲気の大人の男性と言った感じで、背が高く、割と筋肉質でしっかりとした体つきだ。

だが、白いローブの下は、紺色でハイネックの露出の少ないデザインだが、明らかに女物のマキシ丈のワンピースだった。

まあ、百歩譲って聖職者がこんな形の服を着ていなくもないが、フリルがふんだんに使われているので、ちょっと趣が違う。

しかも話し方が若干、女性っぽいのだ。

なので、一瞬、男性か女性か迷ってしまった。


気を取り直して、目の前の個性的な男性が、過去にどこかで見たことがあるかどうか思い出してみる。

だが、どんなに記憶を辿っても、該当する小説も漫画も、何ならアニメも浮かばなかった。

ということは、彼に関してはあまり警戒する必要は無さそう……いやいや、後から思い出すパターンかもしれない。

そう、私は経験から学べる人間だ。警戒は怠らない。




「今日は、絵画を読み解くための、ヒントについてお勉強します」


先生は、そう言いながら黒板に「象徴」と「寓意」と書いた。


「絵画を見る際には、色々な約束事があるの。それを理解した上で絵画を鑑賞し、その絵に込められた意味を読み解いていくのよ」


約束事があるということは、それを暗記しろということだろうか。

何だか面倒そうな話になって来た。


「たとえばハトは平和を、バラは愛や美、ユリは純潔を表します。色で言うと、赤は情熱や愛、白は無垢、純粋、清潔などを表します。象徴とは、こうした物や色などが、別の抽象的な意味を表すことなの」


(それならなんとなくわかる。ハトは平和のシンボルってよく言うもんね)


「寓意とは、抽象的な概念などを、具体的な人物や物体、場面などに置き換えて表現すること。ちょっと難しいかしら。例えば、『正義』を『天秤を持つ女神』で表したりすることなんだけど……うーん、やっぱり初回からこんな話ばかりだと、皆、絵を見るのが嫌になっちゃうかもしれないわね」


生徒たちの表情が硬いのを見てとったのだろう、レイン先生は苦笑しながら言った。


「それでは、この絵を見てもらおうかな」


イーゼルに乗せた絵に掛けられていた白い布が、静かに外された。

現れたのは、天使の絵だった。


二人の子供――白い布を纏い背中に羽が生えている姿から、多分天使だと思われる――が描かれている。

天使達は顔を寄せ合い、何かを語りながら、笑い合っている。


天使に性別があるのかどうかはわからないが、左の男の子の天使は、金髪に青い瞳が息を飲むほど美しい。

そして右側は女の子の天使だろうか。銀髪に深い青の瞳で、こちらもかなりの美少女だ。


男の子が女の子の耳に唇を寄せ、何かを囁いている。

それを聞いた女の子は、可笑しくてたまらないといったように笑っている。

耳を澄ますと、クスクスと笑う声が聞こえてくるようだ。

一体、何を喋っているのだろう。


美しい絵だった。いつまでも見ていたいような。

それでいて、ずっと見ていると絵の中に吸い込まれそうな。

美しくて、穏やかで、幸せそうなのに。

触れるとあっという間に消えてしまうような儚さもある。


生徒たちは皆、絵から目が離せなくなっていた。

瞬きすら忘れて、天使達の姿に見入ってしまっている。


「……私がこの絵を初めて見たのは14歳の時だったわ」


レイン先生の声は決して大きくはなかったが、静まり返った教室の中でよく響いた。


「言葉では言い表せないほどの衝撃を受けたの。もうね、色々な感情が頭の中で一気に暴れまわる感じだったわ。なんて美しい子達なんだろう。何を話しているんだろう。この絵の中に入りたい。この絵の中に入って、この天使達と一緒にいたい」


レイン先生は、絵の前に立って、呟くように言った。


「私は、この絵に、魂を盗られてしまった」


皆、黙って聞いていた。

自分たちが今、大事な話を聞いていると気付いていたから。


「それから、絵を習い始めたわ。いつかきっと、自分もあの絵の中に入るために。……私の夢はね、いつか、あの天使達と一緒に笑い合う自分の姿を、絵に描くことなの。あの絵の中に入るために、私は絵を描いているの」


そう言うレイン先生の目は、目の前の絵を見ているのに、どこか遠くをみているように見えた。


「ふふ。つまり、私が言いたかったのはね、『絵が持つ力は計り知れない』ってことなの。だからね、サロンで小難しい話をするための勉強ばかりして、美術の授業を嫌いになったりせず、絵を見て楽しんだり、癒されたり、驚いたり、心を動かして欲しいの。そうすれば、人生を変えるような絵に出会うかもしれない」


にっこりと微笑むレイン先生は、もう大人で、身体だってこんなに大きいのに。


――何故だろう。

ほんの一瞬、あの絵の中の天使のような、無垢な少年のように見えた。


クイズ。この天使たちのモデルは誰でしょう。

ヒント。絶対絶命。

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