53 我が愛しのウォルター様 前編
★今回はマーガレット視点です
親愛なるマーガレットへ
元気にしてるかな?
僕は元気です。
ロルバーンの気候は僕に合ってるみたい。
涼しくて空気が乾燥していて最高。
汗かきの僕には嬉しい限りだよ。
食べ物も美味しいよ。
僕はジャガイモが好きだから、名物のロルバーン・ポテトが食事に出ると本当に嬉しい。
こっちに来てから少し体重が増えてしまったのは、多分だけどロルバーン・ポテトのせいだと思う。
本場のロルバーン・ポテトは本当に美味しいから、マーガレットにも食べさせてあげたいな。
学院でも皆と仲良くやっているよ。
今度、友達と王都で人気の劇団の公演を見に行く予定なんだ。
今から楽しみで仕方がないよ。
追伸
ママミューレの店のキャンディがそろそろ無くなりそうなので、手紙の返事と一緒に送ってください。
ウォルター・コーネル
「ウォルター様……」
ウォルター様からの手紙を読み終えると、便箋を胸に押し当てながら思わずそう呟いてしまった。
ロルバーンの王都からの手紙は、届くまでに5日かかる。
緊急の場合は早馬で届けられるので、2日程度で着くのだが。
もうその劇団の公演とやらは観に行ったのだろうか。
同行する友達というのは男性なのか、それとも女性なのか。
体重が増えた? あれ以上増えたら体に悪そうなのに。
ロルバーン・ポテトのせいと言っているが、それだけではないだろう。
ママミューレのキャンディがもう無くなりそうだということは、かなりのハイペースで食べているということだ。
ロルバーンに向かう際に、大量に購入して持って行ったのだから。
ウォルター様は、王妃様の兄コーネル公爵の嫡男であり、私の同い年の婚約者だ。
この春からロルバーンに留学している。人質として。
緩く巻いた金髪、透き通ったルビーの様な赤い瞳。
色白でぽっちゃりした体型が愛らしい。
柔らかな手はぷにぷにしていて、握っているととても癒される。
初めて会ったのは、5歳の時だった。
それから8年以上の付き合いになるが、私はウォルター様が怒ったところを一度も見たことがない。
いつも笑顔で、ゆっくりと穏やかに話すウォルター様は、一見それほど賢そうには見えない。
だが彼は、私の知る限りで最も優秀な人間だ。
最近知り合ったリチャード・ベルク伯爵子息も、相当頭が切れるようだが、おそらくウォルターには敵わないと思う。
私はチェスが得意だ。
5歳の頃にはもう、私に勝てる人は周りに一人もいなかった。
「もっと強い相手と対戦してみたい」と父に強請り、チェスの名手と評判の相手と対戦を繰り返す。
だが、私より強い者は一向に現れなかった。
そんなある日のこと。
父に連れられて、コーネル公爵家を訪れた。
「マーガレット。コーネル公爵のご子息は、とても強いらしい。ぜひ、対戦してもらいなさい」
そして、現れたのは、小さな男の子だった。
聞けば私と同い年だという。正直、がっかりした。
強いと評判の大人たちを打ち負かしてきたこの私の相手が、子供。しかも、5歳の。
自分も同い年なのを棚に上げて、私はなんだか馬鹿にされたような気持ちでその男の子を見た。
ずいぶんとぽっちゃりした子だな、というのが第一印象だった。
金髪に赤い目、色白で、ウサギみたいだとも思った。
まあ、完全に舐めていたわけだ。
なのに――なのに!
「チェックメイト」
ニコニコと楽しそうにウォルター様が言う。
そんな、まさか、どうして、信じられない。色んな言葉が口からこぼれそうになり、敗北感と屈辱感、焦り、怒りなど、様々な感情が頭の中で渦巻く。
結局、その日は、一回も勝てずに終わった。
帰り際、ウォルター様は楽しそうに笑顔で言った。
「今日はとても楽しかった。また遊ぼうね」
――完敗だ。
私は全く楽しくなかったし、遊んでいるつもりもなかった。
彼をなんとか打ち負かし、自分の方が上なのだと見せつけようと必死だったからだ。
なのに、彼は、ゲームを楽しみながら遊んでいたのだ。
帰りの馬車の中で、父に言われた言葉を今でも覚えている。
「上には上がいるものだよ、マーガレット。世界は広いんだ」
その後、何度も何度も対戦したが、今に至るまで一度も勝てていない。
最初のうちは悔しくて夜も眠れないほどだった。
でも、ある時ふと、自分が以前よりも勝ち負けにこだわっていないことに気づいた。
ああ、そんな手があったのか、全く気づかなかった。よし、次はこうして――ああ、惜しかった!
そんな風に、頭だけでなく心までをも動かしながら対戦し続け、気づくと私は心からチェスを楽しむようになっていた。
そして、しばらくすると。
私達は、チェスだけでなく公爵家の書庫で選んだ本を読んだりと、他の遊びも一緒にするようになった。
彼とは何をしていても楽しかった。
だから、ウォルター様が婚約者に決まった時は、飛び上がって踊り出したいくらい嬉しかった。
ずっとずっと、彼の側にいられるのだ。
大人になっても、ずっとずっと、この楽しい日々が続くなんて!
ウォルター様は私にとても優しかった。いや、誰にでも優しかった。
意地悪な子が彼の体型を笑って馬鹿にしても、全く取り合わない。
怠惰な使用人の失敗も、のんびりと笑顔で許してしまう。
なのに、いつの間にか、意地悪な子達は彼と仲の良い友達になり、手に余る使用人達もお坊ちゃまのためなら何でもしますと傅くようになる。
彼は人心掌握に長けており、彼の周りの人間は、彼のためならなんだってしてあげたいという気持ちにさせられる。
あれは私達が8歳の時のこと。
王都に住む貴族の子供達が集められ、園遊会が催された。
薔薇が咲き誇る美しい庭でのガーデンパーティーだった。
はっきりと告知された訳では無いが、この園遊会が、王子達の側近や婚約者候補を選ぶための試験の場であることは周知の事実だった。
選ばれた子供らは、学友となり、さらには側近や婚約者候補となる。
貴族の多くは、我が子をどうにか王家と縁付かせたがっていた。
そのために、王子達と同じ学年になるように子供を産む貴族が沢山いる。
親達によくよく言い含められた子供達は、自分を売り込み、隙あらばライバルを蹴落とし、王子達と仲良くなろうと必死になっていた。
そんな中で、ウォルター様はいつもとは違って流行から遅れた、ギリギリ貴族の子弟が身に着けていてもおかしくない程度の質素な服装で現れた。
そして、なんだか不安そうな表情で、王子達から離れたところに一人立っていた。
その様子は、田舎から出てきたばかりの気弱な少年といった感じだった。
時間が進むにつれ、子供達の中には、王子達に上手く取り入ることができない焦りを見せ始める者が現れた。
何しろ親から相当なプレッシャーがかかっているのだ。
なんとしてでも、王子達に気に入られて来いと送り出されて来ている。
だが、学友の座を手に入れると言う『椅子取りゲーム』の椅子は、あまりにも少ない。
そんな中、思うような成果を上げられずにイライラする者達が目を付けたのがウォルター様だった。
彼らはその苛立ちを、ウォルター様にぶつけた。
――太っていて醜い、流行遅れの服を身に着けた田舎者。きっと下位貴族の子供に違いない。
おどおどと人の顔色を伺う、情けない少年のように黙って下を向いたウォルター様に、いじめっ子達が薄ら笑いを浮かべながら、聞くに堪えない言葉を投げかける。
だが、一方的に言われっぱなしだったウォルター様が、意を決したように顔を上げ、小声で何かを呟いた。
効果覿面。いじめっ子達は顔を真っ赤にしてウォルター様を取り囲み、怒りに任せて手を振り上げた。
『はい、そこまでだ。それ以上はいけない』
不意に、王太子の声が響き渡った。
「おかげで良くわかったよ。ありがとうウォルター。そろそろ、こっちに来て一緒にお喋りしよう」
「ねぇねぇ、こっちにミルクレープがあるよ! ウォルターは好きだったよね?」
王子達の呼びかけに、ウォルター様がにこやかに微笑みながら答える。
「そうだね、もうこの辺で良いだろう。ああ、アラン。僕はミルクレープよりアップルパイの方が好きなんだ。アップルパイはあるかい?」
先程とは別人のような、気品溢れる立ち居振る舞い。
王子達とは相当な仲の良さが窺い知れる会話。
こんな物言いが許される立場の人間は、そうはいない。
「……コーネル公爵の……」
「王子の従兄弟か!」
誰かがそう呟く声がした。
「ウォルターのおかげで、側に居て欲しくない者が炙り出せた。感謝するよ。何しろこんなに大勢いるんだからね。ある程度はざっくりと切り捨てないと」
王太子が、いじめっ子達の方を見ながら、冷ややかな声で言った。
「僕の大事な従兄弟にこんなことをさせて、本当に申し訳なかった」
「いえ、僕が言い出したことですから、お気になさらず。この方法だと、手っ取り早いでしょう?」
「確かに。でも、君が不愉快な思いをするのは見ていて辛い。今後はこんなことは止めるよ」
「ふふ、僕は全然気にしてませんけどね」
私はその一部始終を、少し離れたところから見ていた。
お茶会の前にウォルター様から、『僕が何を言われても、何をしていても、黙って見ていてね』と言われていたからだ。
ウォルター様が何故そう言ったのかがわかった。
そんな風に前以て言われていなければ、私はすぐに飛び出して行って相手に文句を言い返していただろうから。
それにしても、だ。
目的の為なら、自分がどうなろうとも構わないという彼のやり方はどうにも許せない。
王太子様も言っていたが、見ているこちらが辛くなる。
だが、ウォルター様の考える策は、いつだって必ず大きな成果を上げる。
彼はチェスの盤上で駒を動かすかのように、周りの人間を意のままに動かす。
時にはその盤上に自分自身をも乗せながら。
そして。
そんな彼が、隣国ロルバーンに人質として留学すると言い出した。




