4 恐怖のあいうえお作文
「ど、どうしよう、マリー!」
手紙を握りしめ、マリーの方を振り返る。
何故、今になって義妹から手紙が来たのだろうか。
もう子爵家から離れて4年が経ったが、その間、義妹からの接触は一度も無かった。
もしかして、「物語の強制力」とやらが働いているのだろうか。
「と、とりあえず、お手紙を読んでみましょう」
マリーもかなり動揺している。
無理もない、マリーも子爵家に関わっていると、いつあのヤンデレ伯爵との悲惨な未来に引き戻されるかわからないのだ。
震える手ではペーパーナイフを使うのは危ないので、マリーにハサミを持って来てもらって開封する。
恐る恐る中の手紙を見て、私とマリーは思わず身を寄せ合った。
――エリザベスお姉さまへ
たいせつな、エリザベスお姉さま。
すこしの時間で良いのです。一度、会ってお話したいことがあります。
けしてお姉さまに危害を加えたりはいたしません。もし会っていただけるなら、
てがみでお返事をいただけないでしょうか。
キャサリン――
「この手紙……日本語で書いてある!!」
「お嬢様、よく見て下さい! 文章の頭を縦読みにしたら『たすけて』になりますよ!」
「本当だ! 何、どういうこと!? 何であいうえお作文!? 怖い怖い怖い!」
私はパニックになった。
だが、マリーが「とりあえず、落ち着きましょう!」と言ってくれたので、なんとか落ち着くことができた。
この世界の言語は、日本語ではない。
私もマリーも、この世界の言葉を話し、この世界の文字を書いて暮らしている。
なのに、この手紙は懐かしい前世の言葉――日本語で書かれていた。
これが何を意味するか。答えはひとつ。
「義妹も前世が日本人なのね」
「そのようですね。でも、だとすると、どうしてキャサリン様はお嬢様に日本語で手紙を送ってきたのでしょうか?」
「義妹は、私が前世は日本人だったと疑っているのではないかしら?」
「まだ、確信しているわけではない、ということでしょうか?」
「だと思う」
この手紙を読んで日本語で返事を書いたなら、それは私が前世日本人であることを示す。
こちらの世界の文字で「なんて書いてあるのか読めませんでした」と返事をすれば、その疑いは晴れる。
本当は返事を書きたくないが、無視していると後々、「どうしてお姉さまはお返事を下さらないのかしら」などと私が義妹を虐めてるようなことにされかねない。
――ならば、返事は、こちらの世界の文字で「なんて書いてあるのか読めませんでした」が正解だろう。
とりあえず、今後の方針は決まった。
私の名前で返事を出すと、バートン家の父や継母が関わってくるかもしれないので、封筒の差出人のところは偽名を書いておいた。
義妹がどういうつもりで手紙を送ってきたのかが気になるが、好奇心は猫を殺すという言葉もあるではないか。
しかも、『たすけて』なんてミステリー小説みたいなメッセージがこめられた手紙だもの。
ここはひたすらとぼけるしかない。
だが、義妹は諦めてはくれなかった。
いや、「物語の強制力」とやらが強力に働いているのかもしれない。
それから一週間後、またもやマリーが薄いピンクの封筒を手に持って部屋に駆け込んできた。
「お、お嬢様!! またお手紙が……!!」
「えっ? ま、まさか……!」
最早、見なくてもわかるが、封筒を受け取り差出人の名前を見ると――キャサリン・バートン――義妹の名前が書いてあった。
封筒を開ける手が震える。
一人で見るのが怖いので、マリーにも見えるように便箋を開く。
――エリザベスお姉さまへ
とても悲しいです。どうか一度会ってお話させてください。
ボールド家のマシューさまについてのお話なのです。
けしてお姉さまに悪いようにはいたしません。
ルーズソックスは冬は良いけど夏は蒸れて地獄ですよね。
なにとぞよろしくお願いいたします。
キャサリン――
「いやー!! また日本語で書いてある!!」
「お嬢様、よく見て下さい! 文章の頭を縦読みにしたら『とぼけるな』になりますよ!」
「本当だ! 何、どういうこと!? 何でまたしても、あいうえお作文なの!? 怖い怖い怖い!」
「るで始まる言葉が見つからなかったんでしょうね……」
「ルービックキューブでも良くない?」
「最後の文章が適当な感じですね」
あまりの衝撃に、私もマリーも話がどんどん脱線してしまったが。
今、一番気にしなければならないのは、ルーズソックスでもルービックキューブでもない。
「ボールド家のマシュー様についてのお話」というところだ。
マシュー・ボールド。ボールド伯爵家の次男。
私がドアマットヒロインだった小説で、12歳の時に婚約者となる令息だ。
――辛い毎日を送るエリザベスの心の支えは、12歳のときに婚約した伯爵令息のマシューだけだった。
だが、そのマシューは、姉に虐められているという義妹の嘘に騙され、18歳で婚約破棄を告げてくる。
そして新たに義妹と婚約を結ぶ。――
小説の中のマシューの顔が頭に浮かぶ。
柔らかそうな緩い巻き毛の金髪で、少しタレ目のヘーゼルブラウンの瞳が優し気な印象の少年だった。
成長してもその優しそうな印象は変わらず、実際に優しい態度で接してきたため、エリザベスはかなり彼に依存していた。
なのに、彼は、義妹の嘘を真に受けて、エリザベスにこう言ったのだ。
『キャサリンをこれ以上虐めるのはやめてくれ。君がそんなひどい人間だったなんて、がっかりだよ』
その時の、彼に縋り付くようにしていた義妹の行動がひどいなんてもんじゃない。
こちらを馬鹿にするような顔で、ニヤリと笑って『私……本当に悲しくて……』と言うのだ。
(いやいや、あの場面は本当にムカついた。読んでるだけであんなに腹立たしいのに、実際に自分が言われるなんて絶対に無理無理無理!)
これは絶対に関わってはいけない案件だ。
こうなったらもう、完全無視するしかない。
幸い、バートン子爵家とフォークナー伯爵家の領地はかなりの距離がある。
間にマシュー様のボールド伯爵家の領地を挟む形になっていて、馬車で二日はかかる距離だ。
「こんなあいうえお作文に付き合ってたら、こっちの精神が持たなくなるわ! マリー、もう今後一切義妹とは関わらないようにしましょう! もう返事も出さないわ!」
「そうですね、なんだか物凄く嫌な予感がしますもんね」
私とマリーは、もうこの件に関しては一切無視する方針に切り替えた。
その後も二通、手紙が届いたが、中身も見ずに破棄した。
内容が気にはなったが、どうせメンタルを削ってくるあいうえお作文が書いてあるに違いない。
見るだけ損だと思うことにした。
そして、義妹からの手紙が途切れて一ヶ月ほど経った頃のこと。
「お、お嬢様!! 大変です!!」
「どうしたの、マリー? そんなに慌てて」
真っ青な顔のマリーが私の部屋に駆け込んできた。
ものすごく、とてつもなく、とんでもなく嫌な予感がする。
「キャサリン様がお見えになりました!!」
――予感的中!!!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。