36 入学式 前編
入学式の前日。
どうやら、あのつまらなすぎて名前すら思い出せない小説のドアマットヒロイン「エリザベス・バートン」になる未来は避けることができたようだ。
だが、まだ「星空の下の恋人たち」の悪役令嬢「エリザベス・フォークナー」として殺される可能性は残っている。
そう、いつ「物語の強制力」とやらが働いてもおかしくはないのだ。
今のところは必殺「天使の笑顔」でなんとか乗り切っているが、この先何かあった場合に、手持ちの武器がこれだけでは、なんとも心許ない。
学院というプチ社交界で上手くやっていくためには、是非ともトラブルを防ぐための対処法を学びたい。
そう思って、おばあさまに相談してみたところ、快く引き受けてくれた。
そして、今、おばあさまとアーネスト夫人から特訓を受けている。
何故、アーネスト夫人がいるかというと、「孫相手だとついつい甘くしちゃうかもしれない」というおばあさまの一言によって、急遽呼ばれたからだ。
「いいこと、エリザベス。とにかく言質を取られないこと。これが最も大事なことです」
「言質を取られない」
「そうです。後々、言った言わないの水掛け論になるのを避けるためにも、できるかぎり会話に気を付けること」
横で聞いているアーネスト夫人が、うんうんと頷いている。
「それから、感情をやたらと表に出さないこと。感情に流されず、冷静に判断する姿を相手に見せつけ、侮られないようにするためです。」
「ポーカーフェイスがいいのですか?」
「行き過ぎた無表情はいけません。相手に不信感を与えかねませんからね」
いつの間にか、マリーとケイトも集まってきていて、二人並んでうんうんと頷いている。
「まあ、言葉で説明しても難しいでしょうから、私が見本を見せましょう」
おばあさまはそう言うと、扇子をパッと広げて口元を隠し、首を軽く傾け、目をほんの少し細めた。
「何を言われても、返事はこれで良いのです。これだと、笑っているようにも怒っているようにも、悲しそうにも見えるでしょう?」
「おお! おばあさま、すごいです!」
「さすがですわ! 長年、社交界の華と言われてきた、百戦錬磨のフォークナー伯爵夫人ならではの技ですわね! 大変勉強になります!」
アーネスト夫人が興奮したように言った。
皆、手をパチパチと叩きながら、口々におばあさまを褒める。
でも、ちょっと待って。
「おばあさま。学院では扇子は持ち歩きません。そういう場合は、どうしたら良いのでしょうか?」
「そうねぇ、その場合は」
おばあさまは、両手をお腹の前で重ね、ちょっとだけ首を傾げ、にっこり微笑んだ。
「とりあえずこのように笑っておきなさい。そして、困ったときや、怒ってるときはこう」
今度は片手を頬に当て、少し目を伏せた。
「こうやっていれば、特に喋らなくても済みますからね」
「さすがです!」
皆、手をパチパチと叩きながら、口々におばあさまを褒める。
歴戦の猛者が長年これで乗り切ってきたと言うのだから、素直に信じて明日から実践してみよう。
とにかく、悪役令嬢エリザベス・フォークナーになるのだけは避けなければならない。
※※※
そして、ついに、入学式の日となった。
真新しい制服に身を包み、意気揚々と玄関ホールに向かうと、もうすでリチャードが待っていた。
「わぁ、ごめんなさい、リチャード。待たせちゃったわね」
「いいえ、俺が早く来たのがいけないんです!」
リチャードは、そう言いながら、私のことをじっと見る。
(……ていうか、ものすごく見てくる!)
リチャードは、頬を染め、キラキラと目を輝かせ、口元に微笑みを浮かべながらこちらを見ている。
時折、照れたように視線を逸らすが、すぐにまたこちらを見て嬉しそうに微笑む。
ちなみに、フォートラン中央学院の女子の制服は、至って地味だ。
上半身は、白の襟付きブラウスで、濃紺のリボンタイを結ぶ。
そして、その上に白のスタンドカラーのショートケープを羽織る。
下半身はハイウエストの濃紺のミモレ丈スカート。
靴は踵の低い黒のストラップシューズ。
華美な装飾が全くない、清楚で清潔感のあるデザイン。
だが、自分で言うのもなんだが、大好きなイラストレーターが渾身の力を込めて描いた(であろう)ビジュアルの私が着ると、まるで天使のように無垢な雰囲気になるのだ。
ちなみに男子の制服は、濃紺のダブルブレストのスーツ。中には何の変哲もない白のシャツを着て、ボルドーのネクタイを結んでいる。
本当に平凡な、ごくごく普通の制服だ。
だが、女子の制服以上に、着る人によって雰囲気が変わるようだ。
以前、街中でこの制服を着ている男子生徒を見た時は、「あー、なんか安っぽい制服だな」としか思わなかったのだが。
目の前のリチャードは、それはもう気品溢れる姿で、「あれ? リチャードって、どっかの王族だっけ……?」と思うほど輝いて見えるのだ。
サラサラで手入れの行き届いた黒髪を、片側だけ後ろに流しているのは父親の真似だろうか。
父親のような大人の色気は無いが、これはこれで瑞々しい艶っぽさがある。
「リチャード、制服似合ってるわ! すごく素敵よ!」
「……っ!」
私が褒めると、リチャードは真っ赤になってちょっとうろたえている。
その様子がものすごく可愛い。
思わず、顔がニヤニヤしてしまう。
「ありがとうございます。お嬢様も、すごくお美しいです。……天使のようです」
(あー、やっぱり? 天使に見えちゃった? あはは)
心の中でそう思ってるなんて、リチャードには知られないようにしないと。
ドン引きされちゃうから。
「リチャードは王子様みたいよ」
「……では、お嬢様はお姫様ですね」
「うふふ、ありがとう」
「では、お姫様、お手をどうぞ。学院までエスコート致します」
「よろしくお願いします、王子様」
リチャードの差し出した手を取り、馬車に乗る。
馬車の中でも、リチャードは私を見たり赤くなったり目を逸らしたりと忙しく表情を変えていた。
そうやって二人でお喋りしていたら、あっと言う間に学院に着いた。
先に降りたリチャードの手を取りながら馬車から降りると、周囲の視線が一斉に集まるのがわかった。
(え! 何で! 何で皆、こっち見てるの!?)
正門前の人混みの中に入っていこうとすると、人波が左右にサッと別れ、まるで道のようになった。
(え、モーゼみたい!)
あまりの注目のされ方に動揺が隠しきれないが、おばあさまのアドバイス通りに、にこやかな微笑みを顔に張り付ける。
「エリザベス様! おはようございます!」
マーガレット様が足早にやってきた。
その後ろから、ハイジ様とクラウス様もついて来る。
マーガレット様も、ハイジ様も、制服がよく似合っている。
この制服は本当に着る人によって印象が変わるらしい。
マーガレット様は、いつも以上に賢く気品のある雰囲気だし、ハイジ様は、より一層小さく儚げで可愛らしく見える。
「皆様、おはようございます。これからの学院生活、どうかよろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
そうやって挨拶をしながらその場に留まっていると、背後から元気な声が聞こえてきた。
「お姉さま! お久しぶりです!」
「キャサリン! 久しぶりね! 元気にしてた?」
「ふふっ、おかげさまで。最近はエリオットに護身術を習っているせいか、身体が軽く感じられるんですよ!」
キャサリンの後ろから付いてきたエリオットが、目を細めてにこやかに言う。
「キャサリン、危ない目に遭ったら、躊躇せずに反撃するんですよ」
「オッケー!」
相変わらずキャサリンは元気いっぱいだ。
そんな風に和気あいあいと会話をしていたのだが。
不意に、近寄ってきた人物によって、和やかな雰囲気が一変した。
「ああ、なんて美しい……月の光を紡いだような、美しい銀の髪……」
振り向くと、緋色の髪を短く刈りそろえた、青みがかった灰色の瞳の少年が、両手を広げながら近寄ってきた。
ぶつぶつと何か呟いているので、かなり不審者っぽい。
リチャードが私の前に出ると同時に、クラウス様も、ハイジ様とマーガレット様の前に出る。
キャサリンも、エリオットの背後に立っている。
彼らがこうした行動に出るということは、この少年はかなり怪しいと見て間違いない。
「銀の髪の乙女、アーデルハイド公女殿下。どうか、私の婚約者になってください」
そう言いながら、怪しい少年はリチャードの前に跪き、私に向かって手を差し出した。
「は?」
「ああ、名乗りが遅れて大変失礼いたしました。私はアルドラ王国第三王子、ギルバートと申します。アーデルハイド公女殿下とお見受けします」
「違います」
「えっ?」
「私はアーデルハイド公女殿下ではありません」
「はっ?」
名前を名乗るのがなんとなく嫌だったので、あえて「人違いである」という意思表示だけにした。
「…………噓でしょう?」
「アーデルハイトは私です」
その時、気丈にも、ハイジ様が声を上げた。
その手は、クラウス様の手をきつく握りしめていたので、かなり勇気を出して名乗り出たんだろう。
なのに、ギルバートと名乗ったこの少年は、顔を歪めて吐き捨てるように言った。
「はっ! こんなくすんだ色の髪の女が神託の乙女だと?」
「…………っ!」
なんてひどい言い方なのだろう。ハイジ様の目に、涙が浮かぶ。
これはもう、我慢できない。何か言い返してやる!
そう思った次の瞬間、横からキャサリンが飛び出てきた。
「さっきから黙って聞いてりゃ、ずいぶんと舐めた真似してくれるわね」
「……なんだと!? 貴様、不敬だぞ! 誰に向かって物を言っているかわかっているのか!?」
「わかってるわよ」
キャサリンは、そう言いながら、次第にギルバート殿下を建物の壁際に追い詰めていく。
そして、ギルバート殿下の背中が壁に着くと同時に、バンッという激しい音を立て、キャサリンが壁に手を付いた。
そして、逃げ場の無くなったギルバート殿下に、高らかに言い放った。
「私は将来、あんたの叔母になる女よ!」
(キャサリン……!! なんて見事な壁ドン!!)




