35 よく知っている顔でした
緋色の長い髪は、その中のいくつかの毛束が三つ編みにされ、全体を緩くひとつに纏められている。
切れ長の目は青みがかった灰色で、知性と威厳、そしてどこか憂いを帯びた光が宿っている。
その美しい顔立ちに相応しい鍛え上げられた肉体が、日焼けした肌の色と相まって、野性的な魅力を醸し出している。
玉座に深く腰掛けるその姿は、威厳に満ち溢れ、姿絵だというのに見る者を圧倒する。
そこに描かれていた人物を、私はよく知っている。
思わずマリーの方を見ると、マリーも私の目を見てしっかりと頷いた。
(やっぱり! マリーもあの小説を読んでたのね。もしかして、私達って本の好みが似てるんじゃ……いや、イラストレーターの好みが似てる?)
いや、そんなことはどうでも良い
それは今、考えるべきことではない。
クラウス様が広げた紙に描かれているアルドラ王は、私が大好きだったイラストレーターが挿絵を描いたBL小説「砂漠に咲く薔薇〜愛と忠誠の狭間で〜」の主人公カイルの恋人のアルファードだった。
『砂漠に咲く薔薇〜愛と忠誠の狭間で〜』
――灼熱の砂漠の王国アルドラを治める若き王アルファード。彼の傍らには常に、忠実な側近カイルの姿があった。
幼い頃からアルファードに仕え、彼を支えるカイル。
その瞳に宿る感情は、主君への敬愛だけではなかった。
許されない想いを抱えながらも、ただひたすら王に尽くすカイル。
そんな中、アルファードは隣国の王女との政略結婚を余儀なくされる。
カイルは、アルファードの幸せを願いながらも、ひどく傷ついていく。
結婚式当日、想いを抑えきれなくなったカイルは、ついにアルファードに告白する。
『私は、貴方を愛しています』
その時、隣国からの刺客が矢を放った。
アルファードをかばったカイルは、深手を負ってしまう。
カイルの献身的な愛に触れたアルファードは、その時初めて自分の正直な気持ちに気づき――
美貌の王と健気な側近の美しくも切ない禁断の愛を描くBL小説。
私が好きだったのはアルファードではなくカイルの方だった。
単行本の初回特典のポストカードが、書店によって違ったため、全てのバージョンを手に入れるべく3冊も買ってしまったほど好きだった小説だ。
つまり、だ。
私が一押しのイラストレーターが、渾身の力を振り絞って描いた(であろう)妖艶な姿が、目の前の紙に描かれている。
これは一体、どういうことだろう。
いや、私やマリーだって小説の中の登場人物だったんだから、アルドラ王がそうだったとしても、もうパニックになるほどの驚きはない。
だが、いくらなんでも、これはおかしい。
あの小説のアルファードは、20代前半だった。
だが、今のアルドラ王は確か、40歳のはず。
いくらなんでも、若く描きすぎているんじゃないだろうか。
いや、もしかしたら、これはアルドラ王ではなく全くの別人なのでは?
「えっと、これ、本当にアルドラ王の絵なのですか?」
思わず問いかけると、クラウス様は不思議そうに答えた。
「そうですよ。どうしてそんなことを聞くんですか?」
「えっ、だってアルドラ王って40歳だって聞いていたから」
「そうですよ、これじゃまるで、二十歳だって言ってもおかしくないですよ」
マリーも横からそう言ってくる。さすがマリー、私の言わんとしていることがわかったようだ。
そうなのだ、おかしいのだ。
こんな40歳男性、絶対にいないと思う。
「え、やだ、何このすごい筋肉……一体、どれほど鍛錬を……」
「40歳なのにこの肌の張り……一体どんな美容法を……」
アメリア様とビアンカ様が食い入るように絵を見つめている。
心なしか頬が赤い。
だが、マーガレット様とシャーロット様は、アルドラ王の肖像画を過去に見たことがあるらしく、特に驚いた様子は無い。
「私が以前見たのは、二十歳の頃の、戴冠式の際の姿絵でしたが。確かに、そのときとあまり変わっていませんね」
「あら、マーガレット様、あの頃より威厳が加わった分、より色気が増したような気がしませんこと?」
シャーロット様に至っては、最早褒めている。
いやでもしかし。アルドラ王がこんなに美形だったとは予想外だった。
なんとなく脂ぎった中年オヤジを想像していたのに。
「嫌……」
それまでずっと黙っていたハイジ様が、突然口を開いた。
「嫌……絶対に嫌! どんなにかっこいい王様だとしても、絶対に結婚なんかしたくない! アルドラになんか絶対に行かない!」
ハイジ様の目から、大粒の涙がこぼれる。
「侍女も大臣も、お父様やお母さまに隠れて私にアルドラ王の妃になるように言ってきたわ。アルドラ王は素敵な方ですよ、公女がアルドラに嫁げばロルバーンは安泰ですよって。ロルバーンの公女であるあなたが我儘を言っていけませんって……でも、嫌! 絶対に嫌!」
ハイジ様は、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、絞り出すように声を出す。
そうか、そうだったのか。
ロルバーンはアルドラ王国と隣り合った国だ。
臣下の中には、アルドラ王国と強固な同盟を結ぶことを望むものも数多くいるのだろう。
だからこそ、ロルバーン大公はハイジ様をフォートランに逃がしたのだ。
「でも……私は、ロルバーンの公女だから……こうして逃げるのは我儘なことだってわかってる……」
「……アーデルハイド様は、本当に馬鹿ですね」
クラウス様が、優しく後ろから抱きしめるようにして、ハイジ様をマントの内側へと引き入れた。
小柄なハイジ様の姿が、マントに隠れてすっかり見えなくなる。
「もう! クララったら、また子ども扱いして!」
マントの中からハイジ様が叫んだ。
「子供ですよ。まだまだ子供です。私にとっては、目を離すのが不安で不安で仕方がないくらい小さな子供なんです」
「クララ……?」
「大事な大事な子供なんです。小さな頃からずっと側で見守って来た、私の大切な、愛しい子供なんだ!! アルドラになんか行かせるものか!! ハイジは絶対に渡さない!!」
クラウス様の身体が震えている。
大切なものを奪われまいとする、心の底から湧き上がる悲痛な叫びだった。
そうだ。絶対に、絶対に、ハイジ様をアルドラに攫われるわけにはいかない。
私は思わず叫んだ。
「大丈夫ですよ! ハイジ様にはクラウス様が付いていますし、私達『隊』の皆もいますから! それに、アルドラ王なんて、そんなかっこよくないです! 脂ぎったハゲデブ親父だと想像してたから、予想外の姿に驚きましたが、同世代のリチャードの父親に比べたら、全然美形じゃないですからね!! たとえ美形だとしても、ロリコン野郎なんてくそくらえです!!」
「どうしてそんなにうちの父が好きなんですか!!」
「お嬢様、なんて言い方……!!」
リチャードに突っ込まれ、マリーに叱られていると、クラウス様がブフォッと吹き出した。
「アーデルハイド様、エリザベス様はこう仰ってますよ。お礼を言わなくていいんですか?」
「もう! クララったら、今言おうとしてたのに!」
マントの中から、泣いて真っ赤になった目のハイジ様がぷはっと顔を出し叫んだ。
「エリザベス様、ありがとうございます」
「ハイジ様……」
「でも、あの、ひとつお尋ねしたいことが……」
「はい? なんでしょう?」
「『たい』ってなんでしょう?」
「…………!!」
思わずリチャードとマリーの方を見ると、二人はやれやれと言った表情でため息をついた。
その後私は、皆の前で「ハイジ様を守り隊」すなわち「隊」の説明をし、大笑いされたのだった。




