32 賭けをすることになりました
それにしても。なんて美味しいチョコレートケーキなんだろう。
添えられている生クリームが甘くないので、くどさが無く飽きずに食べられる。
ハイジ様はチョコレートケーキがお好きだと言っていたから、今度会った時にこの店のことを教えてあげよう。
そんなことを思いながら食べていたら、あっという間に無くなってしまった。
一緒に頼んだ紅茶を飲みながら考える。
(もう一個食べたいな……)
でも、この前も苺のタルトを二個も食べてしまったのだ。
毎回ケーキをおかわりするのは、淑女としてどうなんだろう。
それに、また制服が着れなくなると心配されてしまうかもしれない。
そんなことを考えていたら、エリックが給仕にチョコレートケーキの追加を人数分頼んでくれた。もちろんお茶のおかわりも!
嬉しさのあまり、思わずリチャードの方に向かって叫んでしまった。
「制服のことは心配しないで! しばらくは余裕で着れるように、大きめに作ってあるから!」
だって。あの小説『星空の下の恋人たち』の挿絵のエリザベス・フォークナーは、ものすごいナイスバディだった。
学院の制服は、下はハイウエストの濃紺のスカート、上は白いブラウスにショートケープを羽織るデザインなのだが、着ているブラウスのボタンが何かの拍子にはじけ飛びそうなくらい、胸が大きかった。
ということは、今はぺったんこだが、いつ急成長するかわからないということだ!
(だから、胸の辺りは常に余裕を持たせておかないとね!)
そんなことを思いながら話していたせいか、無意識に胸を両手で押さえていたようだ。
リチャードが顔を赤くし、話題を変えるように言った。
「エ、エリック様は、あの名門リドフォールを卒業されたのですよね?」
「おや、よくご存じですね、リチャード殿」
「マーカスさんから聞きました」
リドフォールとは、卓越した知能を持つ者のみが入学を許される、伝統のある男子校だ。
隣国の学園都市にあり、生徒は皆、敷地内の寄宿舎で生活する。
この学園を卒業した者たちは、その知性と能力を生かし、社会の様々な分野で活躍している。
リチャードはそんな名門校の卒業生であるエリックに興味深々のようだ。
「リドフォールのようなところでは、さぞかし授業の進みも速いんでしょうね。ついていくのが大変そうだ」
「ふふ。確かにレベルの高い授業ではありましたが、苦痛ではなかったですよ。個性的な教師の授業は刺激的で面白かったし、友人達もいい意味で刺激し合って、互いに高め合えるような者が多かったですから」
さすが天下のリドフォール出身。百点満点の答えが返ってきた。
「エリック様は楽しい学生時代を送ったようですね。マリーは? 学院時代は楽しかった?」
超エリート男子の意見ではなく、普通の女子の意見が聞きたいのだと、マリーに聞いてみる。
「ええ、結構楽しかったですよ。まあ、軽い揉め事はありましたが。生徒会主催の学校行事がいくつかあって、その時はかなり盛り上がりましたよ」
「どんな行事があったの?」
「ええと、初年度はまず、入学式のあとすぐに歓迎会がありました。それから、新入生だけで親睦を深めるためのピクニックのようなものがありましたね。秋には文化祭があって、これが一番盛り上がったかな。年明けには新年を祝う会、年度末は、卒業生のためのダンスパーティーがありました。多分、今も変わってないと思いますよ」
「へえ、結構、色々あるのね。楽しみね、リチャード!」
思わず声が弾んでしまう。
リチャードが、笑顔で頷く。
「ただ、テストが大変でしたね。結果を貼り出すんですよ。トップから最後まで、全員の名前が貼り出されるので、毎回ドキドキしながら自分の名前を探してましたよ」
それはなんというかえげつないな。
名前を出すのはトップ30くらいにしとけばいいのに。
「テストか……エリック様はテストのときはどうでした?」
「うん、負けず嫌いの友達がいてね。いつもどちらが順位が上か勝負してたかな。負けた方が勝った方の言うことを聞くことにしてね」
「わあ、それは面白そう!」
思わずそう言うと、エリックが何かを思いついたように、いたずらっぽい笑みを浮かべた。
「エリザベス様とリチャード殿も、どちらが勝つか、賭けをしてみては?」
(リチャードと賭け? どちらが順位が上かどうか勝負するってこと? いやいや、それはダメでしょう。だって私、前世は社会人だったんだから。大人だよ? 子供相手に卑怯な真似はできないでしょう)
そう思っていたのに、リチャードはものすごく乗り気だった。
「是非! 是非やりましょう!」
(何? 何なの? そんなに自信あるの? まあ、リチャードくらいハイスペック少年ならば、テストなんて楽勝だと思ってるのかもしれない。……よし! ここはひとつ、世の中の厳しさと、私の偉大さを示す時!)
「いいわよ! リチャード、勝っても負けても恨みっこ無しよ!」
「もちろんです!」
(よーし、私が勝ったら、リチャードにはドレスを着てもらおう。あ、ちゃんとウイッグも用意して、お化粧もしちゃったりして! ふふっ、マリーと二人で生きた着せ替え人形ごっこを楽しむとするか!)
「ふふ。リチャード殿はエリザベス様に一体何を願うのでしょうね。頑張ったご褒美として、天使からの口づけでも望むのかな?」
「……!」
リチャードが真っ赤な顔で俯いた。
「あははは! そんなのお安い御用よ! ほっぺたでもおでこでも口でも、どこにだってキスしてあげるわ!」
12歳の少年に負けるほど落ちぶれてはいない!
勝つのは私。そのために、先手必勝で参考書を買いに来てるんだもの。
「や、約束ですよ!」
「はいはい」
「絶対ですよ!」
「わかったってば!」
妙に食い下がるリチャードの様子がちょっと気にかかる。
そういえば、リチャードは物凄い負けず嫌いなのだった。
※※※
カフェの後は、書店に買い物に行く。
この辺には大きな図書館や大学があり学生が多く訪れるせいか、新しい参考書はもちろん専門書を取り扱う店や古本を扱う店など、様々な書店が立ち並んでいる。
その中でエリックが選んだのは、わりと小さめの店だった。
だが、扉を開けると意外に天井が高く、広々とした空間が広がっていた。
壁際の書棚には天井に届くほどの高さまでぎっしりと本が並んでいるが、フロアの中ほどの書棚は、どれもエリックの背の高さくらいなので、手が届かないことはなさそうだ。
エリックを先頭に目的の参考書コーナーを目指し、本の香りが満ちる店内を進んでいく。
ところどころに古びた小さな椅子が置かれているのは、気になる本をじっくり立ち読みしても問題ないということなのだそうだ。
ようやく参考書コーナーに着くと、そこには数えきれないほどの参考書や問題集が並んでいた。
ためにし一冊手に取ってパラパラとめくってみるが、これが私にぴったりの一冊なのかどうか、全く判断が付かない。
結局どれを選んだらよいのかわからず、途方に暮れてしまった。
そこでエリックに、どれがおすすめの参考書か聞いてみる。
エリックは、私とリチャードに、心理テストのような質問をいくつかしたあと、それぞれにおすすめの本を選んでくれた。
「エリザベス様は、短期間で集中して取り組むのがお好きなようですね。時間制限を設けながら問題を解き、間違えたところや知識があやふやなところを参考書で補うようにする実戦形式が良いでしょう」
そう言いながら、図や表など視覚的な情報の多い参考書と、あまり難問がない問題集を数冊選んでくれた。
前世では一夜漬けだと親から叱られていた私を、『短期間で集中して取り組むのがお好きなよう』と言ってくれるなんて。エリックは優しい。
「リチャード殿は、細かいところまで完璧に理解したいようなので、体系的で解説が丁寧な参考書が良いですね。わからない用語がすぐに調べられるように索引が充実しているものが良いでしょう」
リチャードには、私のより分厚い参考書と、応用問題の多い問題集を1冊ずつ選んでいた。
あんなの、私だったら見る気も起きない。
もしかして、リチャードって頭がいいのかな。
エリックはそんな風にして、国語、数学、理科、社会の主要4教科分の参考書と問題集を選んでくれた。
結構な重さになったので、あとでフォークナー伯爵家とベルク伯爵家にそれぞれ届けてもらうことにして、書店を後にした。
「エリック様、ありがとうございました。これでテストはばっちりです!」
私がお礼を言うと、リチャードもにこやかに言った。
「選んでいただいた参考書は、解説が面白くて、読み物としても楽しめそうです!」
「ふふ、喜んでいただけて良かった。お二人とも、頑張ってくださいね」
エリックがにこやかに微笑みながら言うと、マリーがうんうんと笑顔で頷く。
そんなマリーを見ていたエリックが、突然何か良いことを思いついたかのような表情になった。
「マリー。私と賭けをしませんか?」
「え? か、賭けですか?」
「はい。そうですね、エリザベス様とリチャード殿、どちらがテストで上の成績をとるか、とか」
「「「えっ?」」」
思わず、私、リチャード、マリーの声がハモった。
エリックは一体どういうつもりなのだろうか。
「えっと、で、では、私はエリザベス様が勝つ方に賭けます。でも、リチャード様のことも応援してますからね」
マリーがリチャードに、申し訳なさそうな顔をしながら小声で言う。
まあ、マリーの立場なら、私に賭けると言うしかないだろう。
「では、私はリチャード殿が勝つ方にしますね。さて、では何を賭けるか決めましょうか。そうですね、お二人と同じように、負けた方が勝った方の言うことを何でもひとつ聞くというのはどうでしょう?」
「えっ!? そ、それはちょっと」
「おや、マリーはエリザベス様が負けると思っているのですか?」
「い、いいえ、そんなことは」
「だったら問題ないですよね」
エリックが意味ありげに、妖艶な微笑みでマリーを見つめる。
マリーは真っ青な顔で、私の方を見る。
「お、お嬢様、頑張って下さいね……!」
「わ、わかった」
(これはもう、絶対に負けられない戦いになった……!)




