31 口元のクリームに注意
さて。学院入学まであと3週間となった。
前世社会人だった私にとって、勉強なんて楽勝に違いない! と思っていたのだが。
なんとなく不安になり、ちょっと詳しく調べてみることにした。
王都の学院は、正式名称をフォートラン中央学院という。
13歳から18歳までの貴族の子供と、マリーのように両親のどちらかが貴族だった者や、裕福な平民の子供が通っている。
最初の3年間は初級学院、その後の3年間は上級学院となっていて、その二つを合わせてフォートラン中央学院と呼ばれる。
日本で言えば、中高一貫校のような感じだ。
さらに上に、大学のようなものも存在するが、それは学問の道を究める者、つまり研究者を養成する機関だった。
私がこれから通うことになる初級学院は、日本で言えば中学校。
卒業生であるマリー曰く、教わる勉強の内容は「日本の普通の中学校レベル」とのこと。
それならまあ、大丈夫かな? と思ったが、念には念を入れて対策を練ることにした。
初級学院で学ぶのは、国語、数学、理科、社会の主要4教科と、音楽、美術、教養、体育の実技4科目。
前世で苦しめられた英語などの第二外国語は無い。
何故なら、基本的にどの国も共通語という同じ言語を使用しているのだ。
それに、国によって少し訛りや方言が入る程度の差なのだ。
なので、どこの国の人間かを見極めるのは難しいはずなのだが、ほんの少しの訛りでそれを見抜いてしまうシャーロット様は本当に凄い。
主要4教科に限っては、定期的にテストが行われる。
テストは、入学式のすぐ後と、夏休み後、冬休み後の3回。
上の学年の場合は、学年が変わってすぐ、夏休み後、冬休み後だ。
これは、非常によく考えられていると思う。
全て、長期の休みの後のタイミングで実施されるのだ。
これだと、休み中に十分に対策できる。
言い換えれば、休みの間に遊んでばかりいると、テストで散々な成績を取ることになる。
マーカスに頼んで、使用済みの教科書を手に入れてもらい、ざっと目を通したが、国語は特に問題なさそうだった。
だが、数学と理科はかなり忘れていることが多く、気合を入れて思い出さないと不味い。
社会は、この国及び周辺国の地理と歴史で、一応、家庭教師に教わってはいるのだが、細かいところがあやふやだ。
――結論。予習しないと不味い。落ちこぼれる。
というわけで、今日は街の本屋に買い物に来た。
参考書や問題集を手に入れるためだ。
自分だけ抜け駆けはズルいような気がしたので、リチャードも誘った。
マリーに頼んで、エリックにも買い物に付き合ってもらうようにお願いした。
エリックが出た学校は、近隣諸国の超エリートが集まる全寮制の寄宿学校で、エリックはそこを大変優秀な成績で卒業したらしい。
卒業生のマリーと優秀なエリックに、私にぴったりの参考書を選んでもらえば、テスト対策はばっちりに違いない。
何しろ私は、入学後すぐのテストで優秀な成績を収める予定なのだ。
だって、社会人だったんだもの。
人生1回目の子供らに負けるなんて、プライドが許さない。
なので、ここはできるだけ早く勉強を始める必要がある。
名付けて、「先手必勝! スタートダッシュでトップを目指せ!作戦」だ。
※※※
エリックとの待ち合わせは、図書館の隣のチョコレートケーキが評判のカフェにした。
店に着くと、給仕が個室に案内してくれた。
どうやらエリックが先に来て個室を手配してくれていたらしい。
「こんにちは、エリック様。本日は無理を言ってお付き合い頂き、誠にありがとうございます。お待たせして申し訳ございません」
「いいえ。私もさっき着いたばかりなのでお気になさらず。それと、エリザベス嬢のおかげで、こうして愛しいマリーと過ごせることになったのですから。お礼を言うのはこちらの方ですよ」
そう言いながら、マリーの方をうっとりと見つめるエリックは、ゆるく編んだ長い金髪を胸の前に下ろし、紺色のフロックコートに同色のパンツ。白いシャツブラウスにクラヴァットを結び、胸元に金色の鍵のモチーフが付いたブローチを留めている。
思わずマリーの方を見る。
今日のマリーの服装は、紺色のシンプルなワンピースに、同色のショートケープを羽織っている。
そのケープの胸元のブローチは、エリックの物とそっくりだった。
「えっと、またケイトが?」
「い、いえ、今回は私が事前にお伝えしたのです」
マリーが真っ赤な顔で言う。これはいい傾向だ。
どうやらエリックのストーカー化は防げているらしい。
「私が送ったブローチを付けてきて頂けて、本当に嬉しいです。そのブローチの鍵は、我がボールド伯爵家の家宝を収める蔵の鍵で、私の付けているものと同じです。代々、伯爵夫妻に受け継がれる物なんですよ」
「えっ……そんな……」
見ると、マリーの顔が青くなっている。若干、震えてもいるようだ。
(マリー……そんな大事なものだって知らずに付けてきたんだろうな……)
「え、ええと、ここはチョコレートケーキが美味しいと評判らしいですね」
場の空気が凍り付いたのを見て取って、リチャードが言った。
ナイス、リチャード。
そんなできる従者リチャードの今日の装いは、焦げ茶のジャケットに同色のハーフパンツ。中に着たシャツは白で、ボルドーのリボンタイ。細身の黒の編み上げブーツと黒ソックス、ソックスガーターという、定番の貴族のお坊ちゃまスタイル。
実はこれは私のリクエストなのだ。
学院入学後の男子は、ハーフパンツを履くことは無くなるらしいので、今のうちに堪能しておこうと思って。
私も焦げ茶色のワンピースを着るので、お揃いにしたいと言葉巧みに誘導した。
給仕にチョコレートケーキと紅茶を頼み、しばらく穏やかな会話が続いた。
学院時代の思い出話を話すマリーを優しい目で見るエリックは、マリーがダンスの授業でいつも同じパートナーと組んでいたことを知ると、「後でその方の名前と住所を教えて下さい。現在の爵位及び婚約者もしくは配偶者の有無を調べねばなりませんから」と、凍り付くような冷ややかな目で言った。
怖い。隣に座るマリーは、光の消えた目でふるふると首を振っている。
そして、ついにチョコレートケーキが運ばれてきた。
表面を覆う艶やかなチョコレートは、まるで鏡のような光沢を放っている。
カットされた断面の、生地とアプリコットジャムの層が美しい。
すぐ横に添えられた真っ白な生クリームと共に、一口大に切ったケーキを口に入れる。
その瞬間、ふわっとした甘くないクリーム、しっとりと甘いケーキ生地と、甘酸っぱいジャム、濃厚な香りのチョコレートが口の中に広がり、あまりの美味しさに、思わず声が出てしまった。
「うわあ、美味しい……!」
隣の席のマリーを見ると、うんうんと頷きながら、目を閉じゆっくりと味わっている。
目の前の席に座るリチャードは、反対に目をキラキラと輝かせながら、いそいそとケーキを口に運んでいる。
「ふふ。生クリームが付いてますよ」
エリックがそう言いながら手を伸ばし、マリーの口元に付いていた生クリームを拭きとる。
そして、その指をぺろりと舐め、妖艶に微笑みながら言った。
「ふふ。美味しいです。まるであなたのように、甘い……」
(ええええっ!? なになになに!? どういうこと? えっ? そういうこと?)
思わず隣のマリーの方を見ると、真っ赤な顔で涙目になり、ぶんぶんと激しく首を振っている。
そして、目の前のリチャードの方を見ると――ん?
何故だろう、リチャードが、キラキラと目を輝かせて私の顔をじっと見ている。
(リチャードには、エリックとマリーのやりとりは刺激が強すぎるのかな?)
そう思いつつ、紅茶のカップに口を付けると、チョコレートとクリームがカップのふちに付いた。
慌てて、ナプキンで口元の汚れを拭い、よし、と顔を上げると、目の前のリチャードは何故だかがっかりしたような表情だった。
自分が仕えている令嬢が、ケーキの食べ方が汚くて呆れてしまったのかもしれない。
これからは気を付けて食べないと。




