2 作戦名は「先手必勝!」 後編
午後のお茶の時間より少し後のこの時間は、仕事が一段落した使用人たちが控室で休憩をとっている。
私はその時間を狙って、控室に押し掛けた。
「あら? どうされましたお嬢様? ご用がおありでしたら、お部屋まで伺いましたのに」
「……夢をみたの」
私はできるだけ怯えた表情を作って言った。
「お昼寝してたら、夢にお母さまが出てきて……」
「まあ、奥様が夢に、ですか?」
マリーを始め、控室で休んでいた数名のメイド達が同情するような顔になる。
「お母さまがね、『ああ、可哀想なエリザベス』って仰るの。『もうすぐあなたのお父様は、新しいお母さまと妹を連れてくるでしょう』って」
執事のマーカスの表情がサッと変わる。心当たりがあるんだろう。
マーカスは40代くらいで、茶色の髪に茶色の瞳の穏やかな男性だ。
彼は私と母に優しかった記憶がある。
マリー達は驚いているようだから、愛人のことは初めて聞く話なのかもしれない。
「お母さまは泣きながら『新しいお母さまの名前はドロシー。妹の名前はキャサリン。あなたとは二ヶ月違いで生まれた、お父様の本当の娘よ』って仰ったの」
マーカスはもう、眉間に皺が寄った状態だ。
メイドたちも顔つきが険しい。
「私、お母さまに言ったの。『わかりました、その方達と、仲良くするよう頑張ります』って。そうしたらお母さまが、ますます泣かれるの。『ああ、エリザベスはこんなに心の綺麗な子なのに!』って」
それから私は、「できるだけ頑張って母親の言ったことを伝えようとする健気な8歳児」のふりをして、その後の未来を語った。
――愛人と連れ子は屋敷に来るなりエリザベスに辛く当たる。それを諫めたマーカスやマリー、エリザベスをかばった使用人は紹介状も渡さずに即日解雇。父親である子爵はそれを黙認。新しく雇い入れた使用人たちも一緒になってエリザベスを虐げる。つらい毎日を送るエリザベスの心の支えは12歳のときに婚約する伯爵令息のマシューだけ。だが、そのマシューは、姉に虐められているという連れ子の嘘に騙され、18歳で婚約破棄を告げてくる。そして新たに連れ子と婚約を結ぶ。体裁を気にした父親によってエリザベスは家を追われ、病気療養のためという名目で修道院に送られることになる――
震える声で、目に今にもこぼれそうなくらい涙を溜めて。
途中で、原作にはないエピソードもちょこちょこ織り交ぜつつ、あの小説のストーリーを「お母さまが仰ったこと」として話した。
「そんなひどいこと……」
「お嬢様がそんな目に遭うだなんて……」
使用人たちが口々に言う。
「『いいこと、エリザベス。このお話はお父様にしてはだめよ。頑張って、執事のマーカスかメイドのマリーに伝えなさい。彼らはこのままだと紹介状も貰えずに即日解雇になってしまうのよ。だから、この話を伝えたら、きっとあなたの力になってくれるわ』」
執事もマリーも真っ青だ。
転職の際、紹介状が無い者を雇う貴族家はほとんどない。
だからこそ、紹介状を出さない解雇というのは、使用人たちにとっては死活問題でなおかつ大変な屈辱なのだ。
そして、こんな難しい事情を知っている8歳児など、普通では考えられない。
この話をすることで、「お母さまが告げた言葉である」という話に信憑性を持たせる作戦だ。
「『エリザベス。フォークナーのおじいさまを頼りなさい。お父様に内緒で連絡するの。ああ、もちろんあなた一人では無理でしょうから、マーカスにお願いして詳しいことを伝えてもらうのよ。おじいさまはきっとあなたを助けてくれるわ。おじいさまもおばあさまも、あなたはあまり会ったことがないから知らないでしょうけど、本当に優しい方たちなのよ。きっと良いように取り計らって下さるわ。使用人達もおじいさまがフォークナーのお屋敷で雇ってくれるでしょう。彼らは本当によく仕えてくれたから、不幸になってほしくないの』」
「ああ、奥様!」
「なんてお優しい……」
マーカスは涙ぐんでいるし、マリーにいたってはハンカチを出してきて、しきりに涙をぬぐい始めた。
「お母さまは最後に『私の可愛いエリザベス。どうか、どうか幸せになってちょうだい。お空の上からいつでも見守っていますからね』って仰ったの」
そう言いつつ、こらえきれなくなったように涙を流す。
このタイミングで涙をこぼすために、ずっと瞬きを我慢していた。
頑張った甲斐があって、最高のタイミングで涙を流せた。よし!
「ああ、お嬢様!」
マリーが私に抱き着いてきて、わんわん声を上げて泣きだした。
見れば周りのメイド達も泣いている。
皆の反応にちょっと申し訳ないような気持ちになる。
(あー、ちょっと話を作りすぎちゃったかな。でもこのくらい言っておかないと、信じてもらえなかったら大変だもの)
「夢だったけど、私にはただの夢だとは思えないの。お母さまが、私を心配して夢に出てきてくださったんだと思うの」
「……お嬢様」
マーカスが、目を真っ赤にして言う。
「奥様は……マーガレット様は、大変お優しい方でした。私ども使用人のことまで心配して頂けるとは……実に奥様らしい……」
一同すすり泣きながら頷く。
「奥様……」
「お優しい方だったのに……」
「お嬢様、夢の中の奥様が仰ったことは、本当のことでございましょう。ご主人様は、確かにドロシー様とキャサリン様をこの屋敷に迎え入れる準備をなさっておいでです」
マーカスの言葉を聞いた使用人たちが、驚いて顔をこわばらせる。
「ドロシーとキャサリンですって!」
「エリザベス様が仰ったお名前と同じだわ」
「このままだと、奥様の仰る通りのことが起きてしまうかもしれません。……せっかく、奥様がお嬢様に夢で警告してくださったのです。できるだけ早急に、フォークナー伯爵にこのことをお伝えせねば」
「マーカス……私のお話を信じてくれるのね、ありがとう」
「もちろんですとも」
「お嬢様、良かったですね! 私も、できるだけお力になれるよう頑張ります!」
マリーはもう泣きすぎて顔が大変なことになっている。
周りの使用人たちも、泣きながら口々に「私も!」と声を上げる。
(よし! そろそろ仕上げだ!)
エリザベスは自分で言うのもなんだが、美少女だ。
大好きなイラストレーターが渾身の力を込めて描いた(であろう)ビジュアルなのだから。
だから、今こそ、この容姿を最大限に利用する時!
組んだ手を口元に寄せ、ポロポロと涙をこぼしながら唇を震わせ、上目遣いでみんなを見上げる。
「みんな、私の話を信じてくれてありがとう! みんな大好き!」
マーカスを始め、マリーやメイド達が顔を赤くして胸を押さえている。
どうやら作戦は上手くいきそうだ。
※※※
その後すぐにマーカスが動いてくれた。
あれよあれよという間に、祖父のフォークナー伯爵が私を迎えに来てくれたのだ。
「みんなと一緒じゃないと嫌。私だけおじいさまとおばあさまのところに行くだなんてできない」
泣きながらそう言うと、祖父が優しい声でうなずく。
「心配しなくていい。もちろん、お前に良くしてくれていた使用人たちも一緒に連れていく。ここに置いていったら、せっかく夢にまで出てきたマーガレットが浮かばれない」
「おじいさま! ありがとうございます!」
最近、息をするように自然と身についた「儚げな天使の笑顔」を発動すると、祖父だけでなく、まわりにいたマーカスやマリーも頬を染めて胸を押さえる。
(とりあえず、ドアマットヒロインは回避できたかな? いや、まだ油断しない方がいいかも)
生まれ変わってつまらない小説のドアマットヒロインになったけれど、今のところなんとか悲惨な未来は回避できつつある。
ヒーローである隣国の王子はちょっとだけ見てみたかったけど、そのために何年も辛い思いをするのは嫌だ。
最近、自分が8歳児であることを忘れそうになり慌てる。
さっきもマリー達が「お嬢様はなんだか雰囲気が変わったみたい」「色々とお辛いことがあったからかしら」「大人びたことを仰ることがあるわよね」とか噂してたもの。
気を付けないと、変わった子供だと気味悪がられるかもしれない。
何がきっかけで、虐げられる生活に逆戻りするかわからないんだから。
とにかくこの先も、「先手必勝!」を肝に銘じ、穏やかな生活を送っていけるよう頑張らなきゃ!