138 国立美術館 ④
「神話の間」の出口は、隣の展示室の入口と繋がっていた。
「わぁ……! すごい数の絵ね……!」
「神話の間」の三倍はあるかと思われる広い部屋の中には、沢山の絵が飾られていた。
ここは現在、トーナーという画家の企画展をやっているらしい。
『我が麗しのフォートラン〜放浪の画家トーナーの描いた風景〜』
入口には大きな字でそう書かれた大きなパネルが貼り付けてあった。
そして、パネルの下の方にはトーナーという画家の略歴と、絵についての簡単な説明が書かれていた。
ジョーゼフ・ウォルフレッド・トーナー。
彼は今から100年ほど前に活躍した画家で、生涯を通じて特定の場所に定住することなく、各地を旅しながら絵を描き続けていた。
晩年は王都でひっそりと暮らしていたという記録が残されているが、その最後は謎に包まれている。
彼の代表作『我が麗しのフォートラン』は、若かりし頃の彼がフォートラン王国内を旅して描いた風景画を集めたもので、アルバス地方の荘厳な山々、ロレーナ地方の川沿いの古城、タイース地方の田園風景など、様々な土地の風景をキャンバスに描いた連作だ。
彼の風景画は単なる写生ではない。
彼自身の旅の思い出と、その時々で抱いた感情が色濃く反映されたもの――すなわち、彼の内面的な旅の記録である。
私達は、とりあえず手前から順番に見ていくことにした。
――どれもが不思議な絵だった。
特徴を捉えてはいるが少し曖昧な輪郭に、絵の具の濃淡で表現された光と影のコントラスト。
どの絵も写真のように精密に描かれているわけではない。
なのに、見ていると、自分がその場所に立ち、澄んだ空気や風を感じているかのような気持ちになる。
だからだろうか。
どの絵を見ても、そこに描かれている風景がまるで自分の故郷のように懐かしく感じられるのだ。
「……あれ? これはもしかして……」
その中でも、特に懐かしさを感じられる絵があった。
横に貼られたキャプションを読むと、タイトルの下に、『フォークナー伯爵領にて』と書いてある。
「やっぱり! なんだか見覚えがあるなと思ったのよね」
そこに描かれていたのは、フォークナー伯爵家のカントリー・ハウスだった。
驚くべきことに、100年前に描かれたフォークナー伯爵邸は、今とほとんど同じ造りだった。
我がフォークナー伯爵家はわりと裕福らしく、カントリー・ハウスもかなり広くて立派な建物なのだ。
私はてっきり、数十年前に作られたものだと思っていたのだが、実は100年以上も前に建てられたものだったらしい。
ということは、フォークナー伯爵家はその頃から裕福だったのだろう。
感心しながら見ていると、少し離れた所にいたリチャードから声をかけられた。
「お嬢様、マーガレット様、見て下さい。これ、ベルク領の絵なんですよ」
リチャードがそう言いながら一枚の絵を指差す。
それは牧場の風景だった。
たくさんの羊の群れとそれを追い立てる牧羊犬。
生い茂る草をのんびりと食む牛達。
見ているだけで癒されるような長閑な牧場の風景。
この牛達の牛乳で作られる美味しいチーズや生クリームを思い出す。
リチャードの兄達のお陰で、フォークナー伯爵家でもそれらを格安で購入できるようになり、料理長をはじめとした料理人達が大喜びしている。
まあ、一番喜んでるのはこの私なんだけどね!
「100年前も今と同じ風景だったんですね」
「ふふっ、私もフォークナー伯爵邸の絵を見て同じことを思ったわ」
「二人とも自領の絵があっていいわね。うちの絵もあるかしら」
マーガレットがそう言いながら、次の絵に目を向ける。
私とリチャードも、引き続き他の絵を眺めて行くのだが――
実は私は、さっきからずっと、気になって気になって仕方がない事があるのだ。
まあ、些細なことなんだけども。
どの絵にも何故か、真っ白い猫が一匹描かれているのだ。
最初に気づいたのはフォークナー伯爵邸の絵の中の猫だった。
手前に描かれた植込みの陰から、少しだけ姿を見せている白い猫らしき生き物。
それを見て、なんでこんなところに猫が? と不思議に思ったのだ。
ベルク伯爵領の牧場の絵にも、白猫は描かれていた。
柵の外からお座りの姿勢で牛達を眺めている。
小さな白猫が大きな牛を見上げるようにしている姿はとても可愛らしかった。
他の絵もそうだ。
よく見てみると、必ず白猫の姿がある。
大きな木の陰、公園の花畑の中、とある邸宅の塀の上。
どこかに必ず白猫の姿が描き込まれていた。
注意して見てみないとわからないくらいの小ささで、なおかつさりげなく描かれた白猫の姿は、どれも皆そっくりだった。
作者のトーナーは、同じ猫の姿を描いたに違いない。
自分が飼っていた猫だろうか。
だとしたら、旅先まで連れ歩いていたのだろうか。
よく懐いた猫ならば、逃げたりしないのだろうか。
旅先ではぐれたりしたら大変だろうに。
そんな風に、絵に描かれている白猫について思いを馳せていると、マーガレットが嬉しそうに声を上げた。
「うちの領の絵もあったわ!」
「どれどれ、あ、本当だ!『黄金の波』スペンサー伯爵領にてって書いてあるわね」
「美しいですね。収穫前の小麦畑ですね」
マーガレットの家、スペンサー伯爵領は小麦の名産地だ。
トーナーは、広大な小麦畑を、金色のさざ波が広がる海のように描いていた。
そして、またしても右手前には小さく白猫の姿が。
「ふふっ」
「お嬢様? 何か可笑しいことでも?」
「小麦畑の中に猫って、不思議だなと思って。ほら、ここに猫がいるでしょう?」
「あら、本当。白い猫ちゃんがいるわね」
「この絵だけじゃないのよ。多分だけど、全部の絵にこの猫が描かれているはず」
そう言いながら、今まで見てきた絵をもう一度三人で見てまわる。
「本当だわ! どの絵にも白い猫ちゃんがいるわね! エリザベスったら、よく気づいたわね!」
「お嬢様、凄いです! 本当によく気づきましたね、こんな小さく描かれているのに」
(ふはははは! 私は前世で『ウォーリーをさがせ』や『ミッケ!』をやりこんだ女よ! こんなの簡単簡単♪)
マーガレットとリチャードに褒められて気をよくした私は、腰に手を当て胸を張り、得意気に言い放った。
「自慢じゃないけど、私、こういうの見つけるの得意なの!」
次の瞬間。
「やはり貴女は女神に選ばれし聖女だったのですね!」
聞き覚えのある声が響き渡り、見覚えのあるイケメンが走り寄ってきた。
「ああ、この絵の中に描かれたニャー様を、こんなにも容易に見つけ出すことができるなんて……! やはり貴女は聖女に違いありません……!」
少し前に振り切ったはずの神官、ジョシュア・グリーンが、頬を紅潮させ潤んだ目でうっとりと呟いた。
(まだいたんだこの人!? ていうかニャー様って何なの!?)