134 酔いが醒めたあとは
「ウォルター様…………!」
突然泣き出したマーガレットにぎょっとなったギルバート殿下は、どうしたらいいのかわからないようだ。
おろおろと周りに助けを求めるように視線を送った。
だが、カイルやリチャードも、途方に暮れたように黙って立ち尽くすことしかできないようだ。
「マ、マーガレット嬢、どうか泣き止んでくれ……! 何か気に障ることを言ってしまったのなら謝るから!」
「…………いいえ、違うんです、ギルバート殿下。貴方は悪くないわ」
さっきまではお前呼ばわりだったが、今は殿下呼びに戻っている。
酔っ払い特有の据わっていた目も、ぼろぼろと涙を流して赤くなってはいるが、正気に返ったようで元に戻っている。
「思い出したんです。ウォルター様がロルバーンに行ってから、最初に貰った手紙のことを」
少し落ち着いてきたのだろうか。
マーガレットは、ウォルター様から貰った手紙について話し出した。
――ロルバーンの気候は僕に合ってるみたい。
――食べ物も美味しいよ。マーガレットにも食べさせてあげたいな。
――学院でも皆と仲良くやっているよ。今度、友達と王都で人気の劇団の公演を見に行く予定なんだ。今から楽しみで仕方がないよ。
そんな風に、自分は大丈夫だから安心して、何の問題も無いから心配しないで、と言っているかのような言葉が並ぶ手紙を見て。
マーガレットは、胸がきゅっと締め付けられるような気持になったのだと言う。
「大変なのはウォルター様の方なのに、こうして私のことを気遣ってくれているんだなと思って。申し訳ない気持ちと嬉しい気持ちで心がいっぱいになってしまったんです……」
そこまで話した後、マーガレットの目に再び涙が溢れてきた。
「なのに、私ったら、それをすっかり忘れてしまって……ウォルター様のことを疑ってしまった。私は、なんて酷いことを……ウォルター様、ごめんなさい……」
床にへたり込んで泣き出したマーガレットに、ギルバート殿下が慌てて手を差し出した。
そして、なんとかマーガレットを近くの椅子に座らせた。
「ありがとうございます、ギルバート殿下。……おかげさまで、初心に帰れましたわ」
「いや、礼には及ばない。その、私も、母国を離れた身の上だからな。少しだけ婚約者殿の気持ちがわかるような気がするんだ。まあ、私にはカイルがいるし、こうして祖父の家に住んでいるのだから婚約者殿と比べると恵まれているのだが」
「ギルバート殿下……」
「母上に宛てた手紙は、心配させないように随分と気を遣ったんだ。恥ずかしながら、嘘も書いた。でも、と、友達ができてからは嘘ではなく本当に学院生活が楽しいと書けるようになったんだ。だから、その、君達には本当に感謝している」
素直にそう言うギルバート殿下に、隣に立つカイルが嬉しそうに頷く。
少し離れた所で控えるルーカスさんとヘレンさんも、ハンカチを目に当てて「殿下……良かったです……」と呟いている。
そんな遣り取りをしているうちに、マーガレットはすっかり酔いが醒めたようだった。
少し恥ずかしそうに「皆様、お騒がせして申し訳ありませんでした」と頭を下げた。
(うん、いつものマーガレットだわ! 良かった!)
大泣きしてスッキリしたのだろうか。
笑顔が心なしか晴れやかだ。
(これで一件落着…………ではなかった! ミーア問題がまだ解決してなかった! っていうかミーアがここの会話を聞いてたら大変!)
慌ててルーカスさんにミーアは今どこにいるのかと尋ねると、この部屋から出で行った後で用事を言いつけて外出させているとのことだった。
なんでもミーアの従姉のエマと一緒に、侯爵家御用達の商会に注文していた品物を受け取りに行かせたらしい。
「じゃあ、立ち聞きされたりとかは無いですね。安心しました」
「エマと一緒に、馬車で行かせましたからね。逃亡の恐れもないと思いますよ」
さすがルーカスさん。色々と考えているんだなと感心してしまう。
そんな、できる家令ルーカスさんだが、マーガレットが酔いから醒めて心底ほっとしているようだ。
まあ、それはそうだろう。
宰相の一人娘を酔わせて何かあったら、下手したら国際問題に発展しかねないのだから。
「マーガレットが落ち着いて本当に良かったわ」
「うふふ、恥ずかしいわ。迷惑かけてごめんなさいね。あの偽物の胸を見てたら、どうにもイライラしてきちゃったのよね。エリザベスだってアレはあんまりだと思ったでしょう?」
マーガレットは少しおどけたようにそう言った。
「うーん、私はそんなにイライラはしなかったかな。それより、なんて凄いんだろうって思ったわ。あそこまで完璧に重力に逆らって持ち上げているってことは、相当がっちり寄せて上げてるってことでしょう? 詰めたりもしてると思うの。どんな仕組みなのか、こう触らせて欲しかったわ」
「……っ! お嬢様! なんてことを! あとその手つきを止めて下さい!」
「えっ? だってアレってどうなっているのか知りたくない?」
「知りたくないです!」
真っ赤な顔で叫ぶリチャード。
周りを見ると、ギルバート殿下とカイルも顔を赤くして目を逸らしている。
「エリザベス……貴女ったら、もう……」
「えっ、マーガレットまでそんな呆れた顔で見ないでよ! あっ、もしかしてこれってセクハラ案件? ごめんなさい、リチャード、皆、私ったら気づかないうちにセクハラしてたのね!」
「お嬢様……せくはらが何かはわかりませんが、悪かったと思うなら二度と言わないで下さい! あとその手つきも止めてください!」
(あれ? セクハラが通じない? 不思議だな、今世では通じない言葉なんだ……)
リチャードに怒られているというのに、ついついそんなことに気を取られていたからだろうか。
私は無意識に、テーブルの上のシュガーボンボンをひとつ取り、包み紙を剥してポンッと口の中に放り込んだ。すると。
「「「あああああっ!?」」」
リチャード、ギルバート殿下、カイルの三人が一斉に声を上げた。
見ると、三人とも私の顔を凝視している。
「え? 何? どうしたの?」
「お、お嬢様、大丈夫ですか!?」
「は? リチャード、なんで? 何が?」
リチャードが私の肩をガッと掴んでそう言った。
わけがわからない。一体何がどうなっているんだ。
「エリザベス嬢、大丈夫? 酔っぱらってない?」
カイルも心配そうにそう声を掛けてきた。
ああ、これはあれだ。
皆、私がマーガレットのようにシュガーボンボンで酔っぱらってしまわないか心配しているのだろう。
「大丈夫よ。私はマーガレットと違って何個食べても酔わないから」
「そうよ、エリザベスは20個食べても顔色一つ変わらなかったんだから」
マーガレットは安心させるようにそう言ったのだと思う。
だが、その一言は周りに大きな反響を呼び起こしたようだ。
「え、20個も? そんなに食べたのか? っていうか令嬢がそんなに食べられるものなのか?」
「わーお、エリザベス嬢って、絶対に大酒飲みになるだろうね、すごいな酒豪だ!」
「お嬢様……貴女ってひとは、どうしてそんな無茶なことを……」
「20個くらいペロリですよ、殿下。世の中の令嬢達にどれだけ幻想を抱いてるんですか。少なくとも私は少食ではないですから。それからカイル様、貴族令嬢に向かって酒豪だなんて言うの止めてもらえます? あと、リチャード。ため息つくの止めてくれない?」
三人にそれぞれ言い返していると、後ろから笑い声が聞こえてきた。
振り返ると、マーガレットが可笑しそうに笑っている。
「もう、皆、本当に可笑しいんだから」
さっきまで泣いていたマーガレットだけど、もうすっかり元気になったようだ。
やっぱり人間はストレスをため込むのは良くないらしい。
特にマーガレットは、ため込み過ぎて限界が来ると爆発するようなので、そうなる一歩手前で発散して欲しい。
とは言え、酔っぱらうのはもう、止めて頂きたい。