133 帰って来た酔っ払い
「マ、マーガレット、落ち着いて! ヘレンさんすみません! お水を一杯頂けますか?」
私が慌ててそう言うと、ヘレンさんは全てを察したようで、急いで部屋から出て行った。
「……もしかして、マーガレット嬢は酔っているのか?」
ギルバート殿下が、戸惑ったような表情でそう言った。
「えっ、酒なんてどこにもないのに…………まさか、これのせいなのか?」
リチャードが、マーガレットの前にあるシュガーボンボンの包み紙を摘まみ上げた。
「いや、だとしても一個しか食べてないでしょ? それでこんな風になる? ならないでしょ、普通は」
カイルは不審そうにそう言うと、怪しい物がないかどうか、テーブルの上や下を確認し始めた。
「なるんですよ、マーガレットは! 以前、うちでボンボンを食べた時も一個で見事に酔っぱらってましたからね!」
私がそう叫ぶと、皆、驚いたようにマーガレットを見つめた。
「…………うるさい……うるさいうるさいうるさい! 私は酔ってなんかないわ!!」
酔っ払いが必ず言うであろう定番の台詞を叫ぶマーガレットは、バンッと大きな音を立ててテーブルに手を叩きつけた。
その音に皆、ビクッと肩をすくめる。
「何よ! 胸が大きいからって偉いの!? 何が『胸が大きくて魅力的な女性』よ! 婚約者への手紙にそんなこと書いて来るなんて一体どういうつもりなのよ!!」
「えっ? 婚約者への手紙? …………ああ!」
マーガレットの言葉にピンときた。
これはあれだ。
数日前に届いたと言うウォルター様からの手紙のことだ。
「私は確かに書いたわよ! 婚約者同士、隠し事は無しにしましょうねって。何でも正直に教えてくださいねって。だからって、馬鹿正直にそんなこと書いてくるなんてありえない! 喧嘩売ってるとしか思えないんですけど!」
(うわあ、これって絶対、あの話の後に遣り取りした手紙のことよね…………)
あの話とは。
それは夏季休暇が始まる直前のこと。
マーガレットが思いつめたような顔でこっそりと相談してきたのだ。
『どうやら、ウォルター様にはロルバーンで親しくしている女性がいるらしい』と。
どうしてそう思ったのか理由を聞いてみると、眉間に皺を寄せたマーガレットは、ため息をつきつつ話し出した。
実は、ウォルター様からの手紙に頻繁に登場する『友達』がいるのだと。
そして、その『友達』はどうやら女性で、ウォルター様はその『友達』と日々仲良く過ごしているのだと。
王都で人気の劇団の公演を一緒に見に行っただの、おすすめの菓子店を紹介してもらっただの、どう考えてもデートだろそれはと突っ込まずにはいられないようなことが、毎回届く手紙に綴られている。
最近はその『友達』のことが気になり過ぎて、ウォルター様からの手紙が来ても素直に喜べなくなってしまったのだと。
『ねえ、エリザベス。どうしたらいいと思う?』
マーガレットは思いつめたような顔でそう言った。
今ではもう親友と呼んでもいいくらい仲良くなったマーガレット。
そのマーガレットにこんな悲しい顔をさせるとは、ウォルター様許すまじ! と意気込んだ私だったが。
ふと、なんだかおかしいぞという思いが頭に浮かんだ。
そもそも、話に聞くウォルター様はかなり賢い。
そんな賢いウォルター様が、婚約者への手紙で、自分の浮気の数々を赤裸々に告白してくるなんて迂闊なことをするだろうか。
となれば、これはもう、マーガレットが色々と勘違いしているのでは?
そう思った私は、目の前でため息をつく友人にこうアドバイスをした。
『浮気だと言うのはマーガレットの誤解で、本当に只の友人と楽しくお出かけしただけなんじゃないの? 本当に浮気してるなら、手紙に書いてくるはずがないもの』
すると、マーガレットは唇を尖らせて反論してきた。
『いや、でもウォルター様は私に対しては鈍感なところがあるから、うっかり書いてしまったのかも』
『じゃあ、その友達について詳しく聞いてみたら? どんな人なのかがわかれば、マーガレットも安心するんじゃない?』
『詳しく聞くってどんな風に?』
『仲が良いお友達ができたんですね、どんな人なんですか? ってさり気なく聞けばいいじゃない』
『さり気なく聞く……うん、そうね、それがいいかもしれない。ありがとう、エリザベス。早速ウォルター様に聞いてみることにするわ』
そう力強く言っていたマーガレット。
きっと、あの後すぐにウォルター様に手紙を書いたのだろう。
そして、その返事の中で、ウォルター様は女性の『友達』のことを『胸が大きくて魅力的な女性』と書いていたに違いない。
つまり、今のこの惨状は。
胸が大きい女性に対する敵意が、ミーアのあの偽物のグレープフルーツ乳によって刺激され、シュガーボンボンで酔っぱらったために引き起こされたものに違いない。
「マ、マーガレット、落ち着いて! ほら、これを飲んでゆっくり深呼吸して!」
戻って来たヘレンさんから水の入ったグラスを受けとり、急いでマーガレットに手渡す。
それを一気飲みしたマーガレットは、ぷはっと息を吐きだしたあと、大きな声で叫んだ。
「『グレーテルと一緒に食事をすると楽しい』だなんて、よくも婚約者への手紙に書けたわよね! そもそもウォルター様と同じ量を食べるだなんて信じられない! しかも、腕相撲大会で優勝して、ロルバーン・ポテト一年分無料券をゲットしたってどういうことよ!!」
「え? ウォルター様と同じくらい食べる? ウォルター様って結構大食いなのよね? しかも腕相撲大会で優勝?」
「そうよ、しかも成人男性相手に余裕で勝ったらしいわよ」
据わった目でヘレンさんから渡された二杯目のグラスからちびちびと水を飲むマーガレット。
そうしていると、グラスの中身が水ではなくお酒のように見えてくるから不思議だ。
「『グレーテルは本当に面白いんだよ。マーガレットもきっと彼女のことを気に入ると思う』って、馬鹿なの!? よくそんな適当なことが言えるわね!」
「……いや、それは本心からそう思っているのではないか?」
怯えたようにマーガレットから距離を取っていたギルバート殿下が、恐る恐るといった様子で言った。
「……は?」
「うっ、睨むのはよしてくれ! 怖いから! ええと、そのだな、マーガレット嬢の婚約者は、本当にそう思っているんじゃないかと思ったのだ」
マーガレットから鋭く睨まれたにもかかわらず、ギルバート殿下は喋るのを止めなかった。
「考えてみてくれ。大食いの自分と同じだけの量を食べ、腕相撲大会で優勝するほどの猛者なのだろう? こう言ってはなんだが、一般的な感覚の貴族令息なら、その女性に女性としての魅力を感じるだろうか」
「あはっ、ギルの好みって、淑やかで少食で、庇護欲をそそるような儚げな感じな子だもんね! いやでもマニアックな人って結構いるからなー」
「カイル、お前はちょっと黙ってろ」
無邪気なカイルをリチャードが窘める。
マーガレットはグラスを手に俯き、黙ってギルバート殿下の言葉に耳を傾けている。
「本当に、気の合う友人だと思っているんだと思う。疚しいところがないからこそ、そうやって手紙に書いて来るのではないか? それと……」
そこで一旦、ギルバート殿下は言い難そうに言葉を切った。
だが、すぐにまた口を開いた。
「婚約者殿は、人質としてロルバーンに行ったと聞いている。そういった場合、友人は作り難いものなんだ」
「え? そうなの? リチャードもそう思う?」
「そうですね、人質としてやってきた者に何かあれば、国際問題になりかねない。できたら深くかかわらないようにと親から釘を刺されたりもするでしょうし」
知らなかった。
でも、確かにそう言われてみればそうかもしれない。
たとえば、ハイジに何かあればフォートラン王国は責任を追及される。
そんな大事に自分のところの家門が巻き込まれる可能性があるのなら、事前に避けるように息子や娘に注意するのが貴族として当たり前のことだ。
私も、あの日マーガレットからハイジを守るようにと言われなければ、近づかないようにしていたかもしれない。
「婚約者殿にとってそのグレーテルという女性は、もしかしたら唯一の友人なのかもしれない。だから、近況を書くときにはどうしてもその友人のことを書かざるを得ないのかもしれない。それに、その……安心させたかったんじゃないかと思うんだ、マーガレット嬢のことを」
「私を安心させたかった……?」
「ああ、自分はロルバーンで友人もできて元気に楽しくやっている、と。だから心配しないで欲しい、と」
ギルバート殿下のその言葉を聞いた途端。
マーガレットの両目に、みるみるうちに涙が溢れてきた。