132 そのお菓子は危険です
――ミーアは一体、何のためにバーランド侯爵邸に入り込んだのだろうか。
その目的が一向にわからない。
そもそもの事の発端は三週間前。
バーランド侯爵家で二年前から働いているメイドのエマが、侍女頭のヘレンさんに相談を持ち掛けたことから始まった。
ヘレンさんとルーカスさんが、それについて詳しく説明してくれた。
エマは現在二十歳。
学院卒業後からバーランド侯爵家で働いている。
働き出したのは二年前からだが、ヘレンさんはエマのことを子供の頃から良く知っていた。
何故ならエマの母親アイラさんは、若い頃にバーランド侯爵家でメイドとして働いていたのだ。
つまり、エマさんはヘレンさんにとっては元同僚の娘だった。
アイラさんはアルファード殿下がバーランド侯爵家を訪れる際に連れてきた護衛のアントニオさんと結婚した。
アントニオさんは結婚を機にバーランド侯爵家に護衛として雇われることとなり、ヘレンさんの夫のジャンさんとも同僚となった。
そんな家族ぐるみの付き合いがあったため、ヘレンさんはエマのことを生まれたときから可愛がっていた。
そんなエマの元に、父方の従妹だというミーアが突然訪ねて来た。
ミーアは顔に傷がある上に、身なりもかなりみすぼらしく、持ち物も小さな古ぼけたトランク一つだけ。
エマを見るなり、ぽろぽろと涙を零しながら『お願い、助けてください……』と呟いた。
あまりにも気の毒なその姿に、エマは思わずもらい泣きしそうになったらしい。
だが、助けてと言われても、どうしたらいいのかわからなかった。
そもそもエマは、父方の従妹であるミーアとは今までに一度も会ったことが無かった。
それはお互いに住んでいる場所が遠く離れていたせいもあるが、何よりエマの父とミーアの母である伯母の仲が悪かったことが一番の理由だった。
エマは父の姉がアルドラの男爵家に嫁いでいることと、娘が三人いるらしいと言うことはかろうじて知っていたが、それ以上のことは何も知らされていなかった。
タイミングの悪いことに、両親は母方の実家に帰っていて不在だった。
母の父、エマにとっての祖父が体調を崩したためだ。
なのでエマは、そんな自称従妹だというミーアのことを、どう扱えばいいのか困り果ててしまった。
そこで、エマはヘレンさんを頼ることにしたのだ。
エマから話を聞いたヘレンさんは、すぐに家令のルーカスさんに相談した。
なにせミーアはアルドラから来たと言うのだ。
今現在、バーランド侯爵家にはギルバート殿下がいる。
もしかしたら殿下の命を狙う刺客かもしれない。
ヘレンさんとルーカスさんはすぐにミーアと会い、その為人を見極めることにした。
その結果、二人とも『これは怪しい、アルドラから送り込まれた間者に違いない』という判定を下した。
そのことをすぐにバーランド侯爵に報告したが、侯爵は意外にも『その娘を雇い、側で行動を観察するように』と言った。
ミーアの素性や目的がわからないまま追い返すのは得策でない、むしろ、誰がどんな理由で間者を送り込んできたのかを探るチャンスだ、と。
アルドラにいる娘のイザベラ様を通じてミーアの素性を確かめようにも、アルドラは遠い。
片道一週間はかかる上に、調査にも数日はかかるだろう。
調査の結果がわかるまではミーアをバーランド侯爵邸に置き、監視を付け泳がせておくことにする。
それがバーランド侯爵の考えた策だった。
そんなわけで、ミーアは侯爵家でメイドとして働くこととなった。
エマとルーカスさんとヘレンさん、ヘレンさんの夫のジャンさん。
それから料理長を始めとする厨房の者達にだけはミーアが間者かもしれないと伝えておき、それとなく監視していたのだが。
ミーアは意外にも間者としてあからさまに怪しい動きをすることはなかった。
ギルバート殿下の同情を誘うために、可哀想に見えるような行動をとってみたり、目が合った時に頬を赤らめたりといったことをする程度。
でもそれはギルバート殿下にだけではなく、屋敷にいる全ての男性のみならず、出入りの商人や街で出会う全ての男性に対しても同じだった。
そう、ミーアは全ての男性に媚びる系女子だったのだ。
「殿下の命を狙うようなことはしなかったのですね?」
一通りの説明を聞いた後、リチャードが口を開いた。
「はい。そんな素振りは一切ありませんでした。そもそもあの娘では、余程のことが無い限りギルバート殿下を傷つけることはできないでしょうし」
「まあそうだよね。ギルはこう見えてすっごく強いからさ」
ルーカスさんの言葉に、カイルが頷く。
「え? ギルバート殿下って強いの?」
「うん。ギルは四六時中、命を狙われていたからね。剣術と体術はかなり鍛えられたんだ。あ、侍従の俺も一緒に鍛えられたから、腕にはかなり自信がある方だよ。でも、そんな俺でもギルには敵わないんだよね」
「へぇ、知らなかった。ギルバート殿下ってそんなに強いのね、凄い!」
「ははは、エリザベス嬢、私のことを惚れ直したんじゃないか?」
「はっ、さすが、腐っても王子だな」
「失礼だぞ、リチャード・ベルク! 私は腐ってなどいない!」
リチャードとギルバート殿下はその後、どちらが強いかと口論になり、面白がったカイルも含めて後日手合わせをすることにしたようだ。
「ちょっと、今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょう!」
そこで、今まで黙って話を聞いていたマーガレットが怒りだした。
「ルーカスさん、ミーアについての調査結果はどうなったのですか? そろそろわかる頃ではありませんか」
「はい、実は昨日、アルドラから調査報告書が届きまして」
皆の視線が一斉にルーカスさんに集まった。
「それによると、ミーアという娘は、後宮で一年ほど第二王妃殿下にお仕えしていたらしいのです」
ルーカスさんの言葉を聞いたギルバート殿下とカイルが、途端に眉を顰める。
マーガレットの予想通り、ミーアは確かにアルドラの後宮にいたらしい。
しかも、よりによって第二王妃ルクレツィアの元に。
「何か不手際があったらしく後宮を追い出され、その後にフォートランにやって来たようです。でも不思議なことに、実家の男爵家ではミーアが後宮を出されたことに気付いていないようなのです。しかも、姉達との不仲というのも嘘でした」
「じゃあ、やっぱりミーアは嘘をついていたのだな……」
「…………そうだって言ってるでしょう。まだ認めてなかったの? 往生際が悪いわよ!」
「まあまあ、マーガレット嬢、そんなに怒らなくても」
「あんたは黙ってて! 全く、どいつもこいつもあのわざとらしい態度と偽物の胸に騙されて! 情けないったらありゃしない!」
マーガレットの様子がおかしい。
今の今まで、ギルバート殿下やカイルに対して、友人に対しての親しみを込めてはいるが、親しすぎない程度の敬語で話していたというのに。
突然、砕けた口調というか、いつもとは違う激しい態度で怒鳴り出したのだ。
(え、なんかマーガレットが豹変した! あれ、でもこれって前にも見たような……? デジャヴ……?)
よく見ると、マーガレットは心なしか顔が赤くなっていて、目も据わっていた。
(あああ、これってあの時と同じだ! でも一体どうして……?)
私は慌ててテーブルの上のお菓子に目をやった。
ギルバート殿下が友人を連れてくるということで、使用人たちがはりきって用意してくれたのだろう。
そこには様々なお菓子が並んでいる。
そして、その中には、見覚えのあるお菓子があった。
そう、かつて『寝巻の会』でマーガレットを豹変させたあのお菓子。
うすいピンクや水色の可愛らしい見た目で、中には薫り高い洋酒が入っているシュガーボンボンが。