130 騙されてますよ!
微笑もうとしたが、痛みで少し顔を歪ませたミーアを、ギルバート殿下が気遣わし気に見る。
そのことに気付いたのだろう。
ミーアは大丈夫だと伝えるように、ほんの少しだけぺこりと頭を下げて見せた。
肩より少し長いブルネットの髪は、ふんわりとハーフアップにされ、毛先はくるんと内向きにカールされている。
くりっとした大きな琥珀色の瞳は、タレ目で下睫毛が長いせいか、まるで小動物のような愛らしさだ。
年齢はおそらく私達より少し上だろう。
童顔のせいで私達よりも幼いような印象を受けるのだが――
(なんて大きい胸! リンゴ……ううん、グレープフルーツが入ってるみたい!!)
小柄な体に不似合いなほどの豊満な胸が、彼女の動きに合わせて揺れている。
最初こそ痛々しい顔のガーゼに目が行ったが、見慣れた後はもう、胸にしか目がいかない。
(これはかなり寄せて上げて詰めてるな……)
元々のサイズに恵まれていたとしても、この世の人間は等しく重力の影響下にあるのだ。
普通にしていたらこんな風にはなるはずがない。
その時。
ふと、リチャードの方を見ると、その視線はギルバート殿下の方に向いていた。
(あれ? なんでリチャードは、殿下の方を見ているのかな? って、マーガレットとカイルも殿下のこと見てる?)
不思議に思ってギルバート殿下の方を見てみると。
殿下はうっとりとしたような表情でミーアを見ていた。
(こ、これはまさか……!?)
これはあれだ。
ギルバート殿下はミーアにフォーリンラブに違いない。
そう思ってリチャードの方を見ると、リチャードはひどく嫌そうな顔で頷いた。
その後、マーガレットとカイルも、私と目が合うなりこくりと頷いた。
(やっぱり! ふふっ、殿下ってば!)
ちょっと前まで私に猛アタックしてきたくせに、なんて惚れっぽいんだろう。
仮にも第三王子ともあろう者が、こんなにチョロくて大丈夫なのかと心配になるレベルだ。
(まったくもう、ミーアがハニトラ要員だったら大変なことになるところだよ!?)
そして、そんな王子様に見初められたヒロインのようなミーアは、殿下の視線をかなり意識しているようだ。
二人は時々目が合って、そのたびにお互い顔をぽっと赤くしている。
だからといって手元がおろそかになるわけでもなく、きちんとお茶の準備をしているミーアはさすがだ。
などと思っているうちに、お茶の準備を終えたミーアは、しずしずとワゴンを押し部屋から出て行った。
扉が閉まり、一瞬静寂が訪れる。
だが、その次の瞬間。
「怪しいですね」
「怪しいわ」
「怪しいだろう?」
リチャード、マーガレット、カイルが、一斉に口を開いた。
「え? ど、どういうことだ?」
ギルバート殿下が驚いたように目を見開く。
三人が三人とも、『怪しい』と言っているのだ。
ギルバート殿下が慌てるのも無理はない。
私も何がなんだかわからず、三人が説明してくれるのをじっと待つ。
最初に口を開いたのはリチャードだった。
「あの者のお嬢様を見る目。なんとも嫌な感じがしました」
「えっ? そ、そうだったの? 私、全然気づかなかったけど」
「リチャード・ベルク! ミーアのことを悪く言うのは止めろ!」
怒りの籠った視線でリチャードを睨むギルバート殿下。
そんな殿下に、カイルがため息をつきつつ言った。
「ギル……なんで気づかないんだよ……あんなにもわかりやすいのに……」
「カイル……何を言い出すんだ、お前まで!!」
ギルバート殿下は、カイルの方を見ながら不安そうな声で言った。
何がなんだかわからなくて不安なのだろう。
その言持ち、ちょっとわかる。私も理解できていないから。
「先程のメイド……ミーアさんと言ったかしら。彼女はアルドラから来たと仰ってましたね」
マーガレットの表情はとてもにこやかだった。
だが今はそれがちょっと恐ろしい。
「そうなのだ。2週間ほど前……夏季休暇が始まってすぐの頃、うちで2年前から働いているメイドを頼ってやってきたんだ」
その日のことを思い出したのだろうか。
ギルバート殿下の表情が曇った。
「ミーアは心身ともにボロボロだっだんだ。随分と前から家族に虐げられていたらしく、逃げるようにフォートラン王国にやってきたようだ」
「男爵家の三女でしたわね」
「ああ、そうだ……マーガレット嬢、それが何か?」
「どこかに行儀見習いに行っていたことは?」
「いや、意地悪な姉達に使用人のようにこき使われていたと言っていた。男爵家から外に出ることを許されなかったらしい」
「うふふ、それ、嘘ですよ」
マーガレットが、これこそ作り笑顔! と言った感じの表情で言った。
「……嘘?」
ギルバート殿下も、これこそぽかんとした顔! と言った感じの表情でそう問いかけた。
「ええ。彼女は嘘をついています」
「ちょっと待ってくれ、マーガレット嬢! 一体、何を根拠にそんなことを」
「彼女はギルバート殿下の前に一番にカップを置きました。その後は、エリザベス、リチャード様、カイル様、私の順にカップを置いていったのです」
私達は今、丸テーブルに座っている。
入口から一番奥の方にギルバート殿下が座り、その右側に私、その隣がリチャード。さらに、カイル、マーガレットという感じで座っていた。つまりマーガレットは殿下の左側の席だ。
言われてみれば、ミーアは、ギルバート殿下から順番に反時計回りにティーカップを置いた。
でも、それのどこがおかしいというのだろう。
「我が国の一般的な作法では、カップが置かれる優先順位は客人から。さらに女性と男性なら女性が先です」
そうだった。フォートラン王国はかなりレディファーストの国。
何事も女性が優先されるのが当たり前のお国柄だった。
「まあ、例外もありますが。王族がいる場合は、そちらが優先。しかも、王の次に王妃という順番になります。その次は王女、王子の順番です」
そんな決まりがあったなんて、初耳だ。
そもそも私はそんなに多くのお茶会に出ているわけではない。
でも、思い返してみると、たしかにそうだった。
リチャードやエリック、エリオットにアーサーとハリーも、私より後にカップを置かれていたような。
「今話したのは、我が国、フォートラン王国での作法です。ギルバート殿下のお国のアルドラでは、また違った作法があるのです」
「アルドラの作法……」
「ええ、そうです。アルドラ王国は、我が国と違って女性が優先されるということがありません。むしろ逆です。客人優先なのは同じでも、男性が先、その後で女性という順番になります」
どうやらアルドラは、フォートラン王国と違ってレディファーストではないらしい。
それもまた今日初めて知った。
でも、確かにそうかも、アルドラは一夫多妻制の国。
女性の立場はあまり重んじられていないのかもしれない。
「アルドラでも王族は優先ですよ。王の次が王妃なのはフォートラン王国と同じです。でも、その後は王子で次が王女。ここは違いますね」
そして。そこまで笑顔だったマーガレットの表情が、突然抜け落ちるように無表情になった。
「アルドラではさらに例外があります。それは後宮です。後宮は女性ばかりでしょう? しかも、誰もが序列に敏感になっている。なので、どちらが上だとかでよく揉め事が起きていたらしいんです。だからね、何代か前の王様が決めたんですって。その中で一番身分の高いひとから反時計回りに、順番にティーカップを置いていくようにって」
「その中で一番身分の高い人から順番に……」
「男爵家から出たことのない彼女が、どうしてアルドラの後宮の作法に乗っ取ってお茶を出したのかしらね。私はてっきり、後宮に行儀見習いに行っていたことがあるのだと思いましたわ」
そして。
無表情だったマーガレットの顔が、呆れたような表情に変化した。
「…………情けないですね。こんな、わかりやすいハニートラップに引っかかるなんて」
そう言われたギルバート殿下は、真っ青な顔で俯いた。
心なしか涙目になっているようだが大丈夫だろうか。
「もしかしたらお気づきでないかもしれませんので、一応言っておきますけど。彼女のあの胸、偽物ですよ」
「「「……ええっ!?」」」
ギルバート殿下だけでなく、カイルとリチャードまでもが驚きの声を上げた。
「リチャード、あなたまで騙されてたなんて……」