129 久しぶりです
「皆、久しぶりだな!」
ニッコニコのギルバート殿下とそれを見て苦笑しているカイル。
「あらあら、二週間とちょっと会わなかっただけなのに、ギルバート殿下は大げさね」
呆れたような言い方だが、声はどことなく弾んでいるマーガレット。
「でも、確かに久しぶりな気がしますね」
「あら、うふふ、リチャード様にそう言われると、なんだかそんな気がしてきました……」
「おい! 私の時と態度が違い過ぎないか!?」
悔しそうにするギルバート殿下と、ウフフと笑うマーガレット。
リチャードとカイルも、そんな二人を見て楽しそうに笑っている。
今日は夏季休暇の宿題のために、5人で王都の国立美術館に行くのだ。
美術のレイン先生の課題は、『王都の国立美術館に行き、一番好きだと思う作品を選び、それについての感想を書くこと』だった。
しかも『感想は出来るだけ簡単でOKよ。芸術を目一杯楽しんできてね!』というコメント付き。
「私は国立美術館に行くのは初めてなの。だからすごく楽しみ! ギルバート殿下とカイルも初めてなのよね?」
「ああ、隣にある国立科学博物館には何回か行ったことがあるが、美術館に行くのは初めてだ」
「フォートランの国立科学博物館、面白いよね! 俺は古代竜の骨の展示が好きだったな!」
古代竜。すなわち恐竜の骨か。確かに男の子が好きそうだ。
「私とカイルは小さい頃から何度もフォートランに来ているからな。国立科学博物館には来るたびに連れて行ってもらった」
「そうそう。お土産に買った古代竜の骨格標本の模型、アルドラの家の自分の部屋に飾ってあるんだ」
「へぇ、なんだか楽しそうね。私は国立美術館にも行ったことがないのよね」
「そうなの? だったら今度、一緒に行こうよ、エリザベス嬢!」
「わぁ、いいわね、行ってみたい!……あ、も、もちろんリチャードも一緒にね!」
危なかった。
リチャードの顔が不穏なことになりかけていたが、なんとか機嫌が直ったようだ。
国立美術館は、王都の大聖堂からほど近い森の入口にある。
国立美術館、国立科学博物館、国立博物館の三つが並んで建っているのだが、どれも有名な建築家が設計したらしく、建物自体が芸術だと言われるほど美しい。
私は外側しか見たことがなく、中には入ったことがなかったので、今日は本当に楽しみだ。
(他の皆も一緒だったら、もっと楽しかったんだけどな……)
チューリップトリオは今、領地に帰っている。
ハイジは警備の都合で一緒に行くのが無理らしい。
(でもまあ、この5人でも十分楽しそうだからいいか!)
改めてギルバート殿下とカイル、マーガレットとリチャードの顔を眺める。
皆、少しうきうきしたような笑顔になっていた。
今日は一旦、バーランド侯爵家で待ち合わせをし、そこでお茶を頂いてから美術館に行く予定だ。
どうして直接美術館で待ち合わせをしないのかというと。
私達が仲良くしている姿をバーランド侯爵家の使用人の皆さんに見せるためなのだ!
バーランド侯爵家の使用人たちはギルバート殿下のことを物凄く大事にしている。
その殿下が、夏休みの間中、カイル様としか遊んでおられないとは。
もしや殿下には、夏休みに一緒におでかけするような友人がおられないのでは?
ああ殿下、なんとお労しい――という雰囲気に負けたギルバート殿下が、『頼む。うちに来てお茶を飲んでから一緒に美術館に行ってくれ!』と懇願してきたのだ。
そして今。
バーランド侯爵家の使用人達が、私達の様子を遠巻きにして眺めているのだが。
白髪の穏やかそうな家令は、嬉しそうにうんうんと頷いているし、侍女頭のヘレンに至っては、ハンカチを目元に当てて感動している。
ヘレンは元々ギルバート殿下の母イザベラ様の侍女だったそうなので、ギルバート殿下のことは自分の子供のように可愛がっているらしい。
そして他の使用人たちも、一様にキラキラ輝く瞳でこちらの様子を見守っている。
(ふふっ、皆、すごく嬉しそう。作戦は大成功ね!)
その後、家令の案内で通されたのは、ギルバート殿下の部屋だった。
ギルバート殿下曰く、『と、友達が遊びに来たら部屋に案内するものなのだろう? 使用人が以前、そう言っていたからな』
ギルバート殿下の部屋は、意外なほど落ち着いた部屋だった。
子供っぽい彼のことだから、もっと男の子っぽい雑然とした部屋だと思っていたのに。
壁紙の色は落ち着いたアイボリーで、カーテンも目に優しいグリーンだ。
家具は歴史を感じさせるような使いこまれたもので、それがかえってこの部屋を居心地の良いものにしていた。
ベッドは無いから、ドアの向こうの続き間にあるのだろう。
書き物机の上には、無造作に置かれたペンやインク壺がある。
向かい側の壁際のチェストの上には、ドライフラワーの花束が入った藤籠があった。
それはこの部屋のどこからでも見えるように、わざと少しだけ手前に置かれていた。
「これって、もしかして……」
「ああ、以前、もらったものだ」
それは初めて私達がこの屋敷を訪れた際に、持って来た花束だった。
お見舞いなのに手ぶらで行くのも何なので、途中、王都の商店街の花屋に寄り、薔薇やガーベラなどで作られた小さめの花束を買ったのだ。
色はピンクやオレンジなどの明るく元気になれるようなものにしたのだが、その選択はどうやら正解だったようだ。
ドライフラワーになっても華やかなその色合いは、部屋の雰囲気を温かく見せてくれるようだった。
「ええと。その……初めて友達がお見舞いにくれた花束なのだからな。記念にずっととって置きたいのだ」
照れたようにそういうギルバート殿下は、初めて会った頃とは大違いの、素直で優しい少年に見える。
「うふふ、素敵なお部屋ね。あら、チェスがあるわ」
「ああ、いつもカイルと特訓しているんだ。マーガレット嬢との決着がまだついていないしな!」
「噓でしょ!? あんなに連続負けしているくせに、まだそんなこと言ってるの!? 潔く負けを認めなさいよ!!」
「負けを認めたらそこで終わりじゃないか!」
「何をバカなこと言ってるんですか! 負けた時点でそこでもう終わりなんですよ!」
マーガレットとギルバート殿下のいつもの遣り取りが始まった。
どうしてだろう。こんな何でもないことが、今日はなんだかとても楽しく感じる。
「失礼します。お茶をお持ちしました」
ノックの後、メイドがティーセットを乗せたワゴンを押しながら部屋に入って来た。
(あれ、この人、顔に怪我をしている……?)
そのメイドは左頬に大きなガーゼを貼り付けていた。
良く見ると、ガーゼで隠れていないところに、赤いかさぶたのようなものが見えた。
それは顔中に広がっているようだ。
ひどく痛々しく見えるのだが、痛みや痒みもあるのだろうか。
私の視線に気づいたのか、メイドはぺこりと頭を下げた。
「申し訳ございません。お見苦しいものをお見せしてしまいました……どうかお許しくださいませ」
「え!? いえ、謝るのは私の方です。不躾にじろじろ見てしまってごめんなさい!」
慌てて謝るが、それでもメイドは恐縮したように俯いている。
「ああ、彼女は……エリザベス嬢はそんなことを気にするような人ではない。他の皆もそうだ。だから、顔を上げてくれ」
ギルバート殿下が優し気な声で言った。
「彼女は最近バーランド侯爵家に来たメイドのミーアだ。ミーア、いいからお茶の準備を続けてくれ」
「……かしこまりました」
ミーアという名のメイドは、もう一度ぺこりとお辞儀をしてから、お茶を淹れ始めた。
もしかしたら彼女は貴族の出なのだろうか。
手際もいいし、何より所作が美しい。
「ミーアは、気の毒な身の上なのだ。彼女はアルドラの男爵家の三女だったのだが……訳あって家を出され、この屋敷に勤める従姉を頼って来たのだ。行くところが無いというので、うちで働いてもらっている」
「バーランド侯爵家の皆様には、感謝してもしきれません」
そう言いつつ少しだけ口元を微笑みの形にしたミーアだったが、顔の皮膚が引き攣れて痛むのだろう。
ほんの少しだけ痛そうに目を細めた。