127 リチャードの兄達 ⑦
その後。
とりあえず衝立は見なかったことにし、気を取り直してお茶とお菓子を楽しむことにしたのだが。
「美味しい……!!」
出された焼き菓子が、とんでもない美味しさだった。
「バターの香りが凄い……噛むたびにバターがじゅわっと染み出てくる……」
「うちの領地は酪農が盛んでね。バターは毎日、領地から運ばせてるんだ」
「美味しいです。私、こんな美味しいフィナンシェ、初めてです!」
「ふふっ、気に入って貰えたようで良かった。ああ、こちらもおすすめだよ」
「ではこちらも頂きますね!……うわぁ、なんて美味しいチーズケーキ!」
アーサーに薦められたチーズケーキを一口頬張ると、濃厚なクリームチーズにレモンの酸味が相まって、なんとも爽やかで上品な味だった。
「このチーズもうちの領地で作られたものなんだよ」
「とっても美味しいです! リチャード、あなたのところの領地って、こんなに美味しいものが沢山あるのね。羨ましいわ!」
隣で私が食べる様子をじっと見ていたリチャードにそう声を掛ける。
するとリチャードは、ちょっと自慢気な顔になった。
「領地の牧場には羊も沢山いるんですよ。羊の群れを監視する牧羊犬がいるんですが、とても見事な動きで見ていて楽しいです。是非、お嬢様にも見て頂きたいです」
「牧羊犬!! 見たい見たい見たい!」
前世で見た映画で、牧羊犬に育てられた子豚が、立派な牧羊豚になるという感動作があった。
私はその映画を見て以来、牧羊犬が大好きになったのだ。
その牧羊犬を近くで見られるチャンスがやってきた!
「その牧羊犬、近くで見ることはできる? その、撫でたりとかは無理かしら?」
「ああ、お嬢様は犬がお好きなんですね。牧羊犬は人に慣れていますから、もちろん頭を撫でることも可能だと思いますよ」
「本当に!? わぁ、凄く楽しみ! じゃあ、私にも触らせてね! 約束ね!」
そう言って小指を差し出し、リチャードと指切りをする。
「ふふっ、なんとも微笑ましいね」
「ああ、リチャードとエリザベスは本当に可愛いな」
「ああっ! まるで天使のようだ……!」
アーサーとハリーの声に混じって、またしてもハァハァと荒い息遣い交じりの声が聞こえた。
バッと振り返ると、部屋の隅に置いてあった衝立が、心なしか近づいてきている。
「リチャード……」
「お嬢様……」
私とリチャードは、指切りをしたまま、大きなため息をついた。
※※※
何はともあれ、その後も和やかに過ごし、リチャードの兄達とのお茶会を無事に終えることができた。
アーサーとハリーは私のことをとても気に入ってくれたらしく、また遊びに来るようにと誘ってもらっている。
今回の訪問で一番の収穫は、私が物凄く気に入ったお菓子の材料となるバターとクリームチーズを、定期的にフォークナー伯爵家でも仕入れることができるようになったことだろう。
料理長も、『こんなに良質のバターやチーズを格安で仕入れられるなんて』と大喜びだ。
そして一週間後。
リチャードから「あの時の下絵に色を付けたものだそうです」と言ってA4サイズくらいの絵を渡された。
受け取った絵を一目見るなり、私はおもわず声を上げてしまった。
「え! ちょっと何これ!?」
そこには、両手を広げて立つ私を、お腹に手を回して支えるリチャードの姿が描かれていた。
(え? 何この格好!? タイタ〇ック!?)
「お嬢様が庭の池を覗き込もうとした時、俺が落ちないように支えたでしょう? あの時の絵らしいです」
「あー、あの時ね……」
言われてみれば、確かにそんなことがあった。
ベルク伯爵邸の庭には、とても大きな池があった。
帰り際、その池を眺めながら皆で散策していた時のこと。
なんとそこで飼っている鯉の中に人面魚がいたのだ。
「リチャード見て! あれって人面魚じゃない!?」
「うわっ、お嬢様! 危ない! うちの池にそんな気味の悪い魚がいるはず……っ、いた!!」
「ああ、あれは確かに人の顔のように見えるね」
「ははっ、うちにあんな面白い魚がいたなんてな」
それからしばらくの間、人の顔のように見える金色の鯉を見ながらお喋りしていたのだ。
「ずっと見てたら、なんだか可愛く見えてきたわ」
「冗談ですよね!? こんな気味の悪い魚が可愛いだなんて!」
「えー、そうかな、可愛くない?」
「ふふっ、では名前をつけてみるのはどうだい?」
「ははっ、それはいい。せっかくだからエリザベスにつけて貰おうか」
というやりとりの後、私はその人面魚にジョンという名前を付けた。
ジョンは意外と賢い鯉だったようで、「ジョン、おいで」と呼ぶといそいそと近寄ってきた。
「わあ、寄ってきた! 可愛い!」
「確かに、呼ぶと来るなんて賢い魚だね」
「こうして懐くと可愛く感じるな……って、どうしたんだ、リチャード?」
ハリーが心配そうにリチャードの方を見た。
「もしかして、怖いのか?……リチャードを怖がらせる魚など、この家には置いておけないな」
「そうだね。ハリーの言う通りだ。すぐに処分することにしよう」
(え! もしかしてジョンピンチ!? 殺されちゃうの!? さっきまで可愛いとか賢いとか言ってたのに!?)
あまりの急展開に驚いていると、リチャードがキリッとした顔で私の方を見て、大丈夫だというように頷いた。
「いえ、怖くなんてないです。ですから、どうかジョンは殺さないで、このままここに置いてやって下さい!」
「リチャード……」
私がジョンのことを心配そうにしたからか、リチャードはジョンが処分されないように兄達にそう言ってくれた。
「リチャード……ああ、本当は怖いだろうに……エリザベスのために我慢してそんなことを……大きくなったね……」
「無理しないようにな? 夜怖くて眠れないようなら、いつでも一緒に寝てやるからな?」
「そうだね、リチャード。雷の時のように、いつでも私のベッドに入ってきていいんだからね」
「アーサー兄上! ハリー兄上! そんな昔の話をするのはやめてください! 今はもう平気です! お嬢様に誤解されてしまうでしょうが!」
良かった。
ジョンはこれからもベルク邸の池で優雅に暮らしていけるようだ。
(それにしても。リチャードって、雷が苦手だったんだ……)
小さいリチャードが、涙目で兄のベッドに潜り込み、アーサーとハリーに慰められているところを想像してみた。
うん、可愛い。アーサーとハリーがリチャードを溺愛するのもわかる気がする。
(リチャードも母親を失くしていた……)
ふと、そのことを思い出し、少しだけ胸がきゅっとなった。
でも、リチャードにはこうやってリチャードのことを溺愛する優しい兄達がいる。
いつかのリチャードが、一人ぼっちで震えながら眠れない夜を過ごすことがなくて良かった。
(それに、今は私だっているし。だからリチャードは大丈夫!)
私は、うん、と両手を握りしめ、気合を入れて頷いた。
そんな私の背後の木の陰から、『貴い……可愛いが過ぎる……』と荒い息交じりの声が聞こえた。
リチャードの兄達のお話はこれでひとまず終了です。
次からは王都の博物館に行くお話になります。