117 夏休みが待ち遠しい
「皆、夏季休暇はどのように過ごす予定だ?」
放課後、いつものように空き教室でダラダラ過ごしていたのだが。
ギルバート殿下が不意にそんなことを言い出した。
そういえば、もうすぐ夏季休暇。
フォートラン中央学院の夏休みは7月後半から9月の中旬までの約2ヶ月弱。
結構長めに感じられるが、領地に帰省する生徒にとってはそうでもないらしい。
王都から離れた領地の子供たちは、王都にあるタウンハウスもしくは寮で生活している。
中には領地まで馬車で一週間から十日程度かかる生徒もいるらしい。
そういった場合は、自領に戻るのはせいぜい年に一度、夏季休暇の時だけになる。
行き帰りで往復二週間から二十日前後かかってしまうとなれば、それも仕方が無いことだった。
「……もし、よければ、なのだが」
ギルバート殿下がコホンと咳払いする。
なんだろう、何か言い難いことを言い出すような気配。
「夏季休暇の間で、一緒にどこかに遊びに行かないか?」
顔を真っ赤にして、キリッとした表情でそう言うギルバート殿下。
「と、友達というのは、休みの日に一緒に遊びに出かけたりするものなのだろう? 家令たちがそう言っていたのだ。私達は、その、と、友達なのだから、そういうことをしてもいいのではないかと思ったのだ」
「ギルと俺は夏休みの間は王都にいる予定だからね。長い休みの間、俺一人でギルの面倒を見るのは辛いからさ。皆も一緒に遊ぼうよ」
「カイル! その言い方は失礼だぞ!」
殿下の実家はアルドラ王国。
夏季休暇だからって、気軽に帰ることはできない。
まあ、近場だったとしても、命を狙われるような祖国には戻りたくないだろうけど。
「うふふ、いいわよ。楽しそうじゃない?」
マーガレットがにこやかにそう言うと、他の皆も口々に同意した。
ギルバート殿下がほっとしたような顔になっている。
断られたらどうしようって思ってたんだろうな。
私達は、もうすっかり打ち解けている。
最初はアルドラの王子という事でかなり警戒していたが、よくよく話を聞いてみればギルバート殿下もアルドラでは命を狙われる被害者だった。
ハイジの身の安全を脅かす相手の中にアルドラの第二、第三王妃が含まれていることもあり、お互いに共通の敵がいることを知った今、ギルバート殿下はわりと信用できる相手となっていたのだ。
要するに、敵の敵は味方ってことだ。
「私は夏季休暇の後半に、母と一緒に領地に行く予定なの。皆は?」
マーガレットの家、スペンサー伯爵家の領地は、王都から馬車で二日ほどの距離にある。
ちなみに、フォークナー伯爵家の領地はマーガレットの家の隣だ。
うちの両親の実家とマーガレットの両親の実家はお互いにすぐ近くで、幼馴染同士だった。
なので、夏季休暇は四人でよく遊んでいたそうだ。
私とマーガレットも、両親たちのように領地に行ってから遊ぶ約束をしている。
お互いの家に泊まりに行って『寝巻の会』をしたり、乗馬をしたりするつもりなので、今から物凄く楽しみだ。
「私もマーガレットと同じよ。前半は王都で過ごして、後半は領地に行くの」
「お嬢様と一ヶ月近く会えないだなんて……」
リチャードが悲しそうな顔で大きなため息をついた。
先日、夏休みの予定が決まったと話してから、ずっとこんな調子で困ってしまう。
「俺も前半は王都で過ごして、後半から領地に向かいます。……お嬢様、本当に付いて行っては駄目なのですか?」
リチャードは私と離れたくないからと言って、フォークナー伯爵家の領地に付いて来たがったのだが。
「ダメよ。ベルク伯爵夫人が我が子に会えるのを楽しみにしてるんだから。リチャードはお母様に会いに自分の領地に行かなくちゃ!」
「……はぁ」
リチャードの家の領地は馬車で三日ほどかかる。
何やら特別な事情があって、リチャードの母親であるベルク伯爵夫人は普段は領地で過ごしている。
久しぶりに息子と過ごす時間を取り上げるわけにはいかない。
「私は、前半は王都にいて、後半は叔母様と一緒にバースルに行くの。クララも一緒」
ハイジも母国ロルバーンに帰るわけにはいかないので、フォートランにずっといなければならない。
不憫に思ったハイジの叔母、すなわち王妃様が、気を利かせて旅行に誘ったのだろう。
バースルは西部にある有名な避暑地だ。
王都からは馬車で2時間程で行けるため、手軽な観光地として日帰りで訪れる者も多い。
町はこの地域で採れるオレンジがかった石造りの建造物で埋め尽くされており、美しい街並みが観光の目玉の一つになっている。
さらにバースルには天然温泉が湧いており、湯治で長期滞在する人も沢山いるため、手頃な値段で泊まれる宿も沢山ある。
「わあ、バースルに行くんですね? いいなあ、あそこの温泉は肌にとても良いんですよ。バースルの温泉水を使った化粧水は王都でも人気なんです」
「温泉施設が充実していて、色んなお風呂が楽しめるんですよ。薬草を沢山入れた薬湯もあるんです」
「鍛錬後の筋肉の痛みや疲れにも効くって、父や兄が言ってました」
シャーロット、ビアンカ、アメリアのチューリップトリオは、バースルの温泉が気に入っているらしい。
そんな三人の予定は、私達とは逆で、前半に領地に行き、後半は王都に戻ってくるとのこと。
「うーん、だったら、夏季休暇の真ん中あたりで皆でお出かけしましょうか」
マーガレットがそう言うと、ギルバート殿下が目をキラキラと輝かせて勢いよく頷いた。
『友達とお出かけ』が余程嬉しいんだろう。
「じゃあ、どこに行きましょうか」
「えっとだな、王都のカフェや本屋に行ったりはどうだろう」
「えっ? そんな近場のお出かけ? せっかくなんだからもっと遠くに行きましょうよ」
そんな普段の放課後に行けるようなところじゃなくて……と言いかけてハッとした。
(もしかして、ギルバート殿下って、友達とカフェに行ったり買い物に行ったりしたことないの!?)
慌ててカイルの方を見る。
するとカイルは、私が何を考えているのかがわかったようだ。
「俺とはよく行くんですけどね」
苦笑しつつ、そう答えたカイルを見て、私は思わずギルバート殿下に言った。
「カフェとか本屋くらいなら、いつでも付き合うわよ!」
ぱあっと顔を輝かせるギルバート殿下。
……の横に立つカイルの顔が、サッと青褪めた。その視線は私の後ろに向いている。
恐る恐る振り返った私の視界に飛び込んできたものは。
「お嬢様……」
整った顔で優雅に微笑んではいるが、目だけは笑っていない、氷のように冷たい笑顔を浮かべたリチャードの姿だった。