114 てるてる坊主ですってば
「てるてる坊主です!」
そう言いつつ、てるてる坊主を掴んだ右手を高々と振り上げる。
「はりきって大きいの作っちゃった!」
すると。
次の瞬間、信じられないことが起こった。
「…………っ!?」
物凄い勢いで走り寄って来たリチャードが、私の手からてるてる坊主をひったくるように奪ったのだ。
そして、教室の窓に向かい急いで開けると、思い切り遠くへ投げてしまい――その後で何故かパンパンパンと三回、大きく手を叩いた。
その間、僅か三秒程度。
教室の中で呆然とその様子を見ていた皆は、リチャードが手を叩く音にはっとするように我に返ると、慌てて同じように手を叩いた。
「………………一体、何事?」
「それはこっちの台詞です! どうしてキャスタなんて作ったんですか!?」
「…………キャスタ?」
リチャードの剣幕が凄い。
一方的に責められるような感じになっているのが腑に落ちない。
キャスタなんて生れて始めて聞いた言葉だし、そもそも私が持っていたのはてるてる坊主であってキャスタなどではない。
「キャスタ……」
「ハイジ……大丈夫よ、リチャード様がもう部屋の外に投げ捨ててくれたから」
怯えるハイジをマーガレットが宥めている。
だが、マーガレットもかなり顔色が悪い。
よくよく周りを見渡すと、皆、ひどく怯えているようだった。
「あの、キャスタって何?」
私の問いかけは、その場の全員を凍り付かせるくらいの破壊力があったようだ。
皆、目を見開き、驚きの表情でこちらを凝視している。
「お、お嬢様……まさかとは思いますが、キャスタを御存じないんですか?」
「う、うん、知らないけど。えっと、知らないと駄目な奴?」
その後、リチャードが『キャスタ』について詳しく教えてくれた。
――キャスタとは。
主に他人を呪う目的で使われる人形のことなのだそうだ。
呪いたい相手の髪の毛や爪、直接触れていたものなどをキャスタの中に入れて仕上げるのが一般的。
出来上がったキャスタは、呪う相手に気付かれないようにそっと机の中や鞄の中に仕込まれる。
気付かれずに側にある状態が長ければ長いほど呪いの効果が高くなるそうだ。
なので、通常使われるのは、親指くらいの大きさの小さなものらしい。
呪いの効果の大きさはキャスタの大きさにも比例する。
大きければ大きいほど効果も高くなるが、その場合、相手に気付かれて呪いを回避される率も高くなってしまう。
たかだかそんな人形ごとき、と馬鹿にしてはいけないようで、その効果は絶大なのだそうだ。
そもそも、皆、何故か『呪い』を信じているし、物凄く恐れている。
気の弱いご婦人だと、自分が誰かから呪われている事実に耐えかねて、そのまま倒れて床についてしまうこともあるのだとか。
そこままではないにしろ、呪詛の道具であるキャスタは、目にするだけで恐怖を感じるものらしい。
そして、そんな恐ろしい呪詛の道具を不幸にも目にしてしまった時は。
できるだけ急いで三回手を叩くと良いとされている。
手を叩く回数は厳密に三回と決められていて、それ以上でも以下でもだめなのだそうだ。
「私はキャスタなんて作ってないわ!」
「でも、あれは確かにキャスタでしたよ!」
「違うってば!」
百聞は一見に如かず。
私はカバンの中からハンカチを二枚取り出すと、一枚をくしゃくしゃに丸めた。
そして、もう一枚をその上から被せててるてる坊主の頭部分を作り、親指と人差し指で作った輪っかできゅっと止めるように持ってみた。
「ほら、こうやって作ったのよ!」
そう言って皆に見えるようにてるてる坊主を差し出してみる。
すると、辺りに拍手喝采が巻き起こった。
「お嬢様っ! 早く、その手を放してハンカチを元に戻して下さい!」
手を叩きながらそう叫ぶリチャード。
拍手喝采のように見えたそれは、皆が呪いから逃れようと必死に手を叩いていただけだったらしい。
仕方なくてるてる坊主を元の形に戻す。
ただの二枚のハンカチに戻ったそれを呆然と眺めていると、恐る恐るといった様子でギルバート殿下が話しかけてきた。
「エリザベス嬢は、その、それが怖くないのか?」
「キャスタじゃないです。てるてる坊主です」
「テルテルボーズとは一体、何なのだ?」
その言葉に、今度は私のほうが驚いてしまった。
「もしかして、皆、てるてる坊主を知らないの? え、嘘、知ってるわよね?」
慌てて周囲を見回すと、全員がふるふると首を振っている。
(あちゃー、てるてる坊主は通じなかったかー)
言われてみれば、てるてる坊主なんて、いかにも日本でしか通じ無さそうなものだった。
通じると思った私が愚かだったと思う。
でもでも。
まさか、この形のものが『キャスタ』などと呼ばれる『呪いの道具』として認識されているだなんて。
そんなの誰かから教わらない限り、絶対にわかりっこない。
その後、私は皆を安心させるために、てるてる坊主について説明することにした。
その際、またもや亡くなったお母様を利用させてもらうことにした。
「亡くなった母から小さい頃に聞いた話なのですが……」
そう前置きしてから、てるてる坊主とは、大切なイベントの前などに、晴天を願って軒先などに吊るす人形で、東方の国では伝統的に行われていることなのだと説明した。
にっこりと笑顔に見えるように顔を描くこともあるのだと言うと、一同顔色が目に見えて悪くなったので、慌てて話を逸らした。
「明日は『星屑の川の日』だから、絶対に晴れて欲しかったの!」
そう、明日は『星屑の川の日』と呼ばれる日なのだ。
今世にも前世の日本の『七夕』のような日がある。
今世では織姫や彦星の代わりに、『とても愛し合っていた仲の良い夫婦』が主役となる。
その夫婦は死んでから星になった。
だが、お互いが星になった場所がかなり遠かったため、なかなか会うことができない。
嘆いた二人は星屑をかき集めて川を作ることにした。
そして、何年もかけて星屑を集め、ついに星屑の川が出来上がった。
二人は星屑の川を船で進み、途中にある中洲で逢うことができるようになった。
二人が再び会えるようになったのが、7月7日なのだそうだ。
なので、その日は『星屑の川の日』と呼ばれ、様々なイベントが行われる。
そして、その『星屑の川』の日が明日に迫っている。
となれば当然、晴れて欲しいと思うではないか!
『星屑の川の日』は、大きな祭りなどは行われない。
その代わり、各家庭で、『星屑の川』を模した麺料理が食べられるのだ。
大抵はパスタなのだが、我がフォークナー伯爵家では、なんとラーメンを食べるのだ!
今世の食事はナイフとフォーク、スプーンを使う。
箸は全くといっていいほど使われていない。
そのせいか、ラーメンやうどん、そばのようなスープや汁に浸かった麺料理はほとんど見られない。
なので、私は料理長に頼み込んで、ラーメンを作ってもらった。
前世の知識を総動員し、料理長と試行錯誤して作り上げたそのラーメンは、前世と今世を合わせた中で一番美味しく感じられた。
もちろん、フォークなんかで食べたりしない。
太い編み棒を買って来て、自分で切ったり削ったりしたマイ箸で食べるのだ。
マリーとケイトにも作ってあげたのだが、マリーが『なんて懐かしい!』と感動してくれたのに対して、ケイトは『すみません、私はやっぱりフォークの方が……』と使い難そうにしていた。
まあ、それはそうなるだろう。
そんなラーメンだが。
作るのが大変なので、滅多に作ってもらうことができないのだ。
いや、強請れば毎日でも作ってもらえると思う。
だが、忙しい料理長にそんな我儘を言う事はできない。
なので、現状ではラーメンは年に数回しか食べられない。
『星屑の川の日』には麵料理を食べるという言い方は、厳密には正しくない。
正確には、『晴れた日の星屑の川の日』には、麵料理を食べる、だ。
そう、晴れている場合のみ、麵料理を食べることになっているのだ。
この風習の腹立たしいところは、『雨だった場合に麵料理を食べると、風邪をひいてしまう』などという非科学的な迷信がセットになっているところだ。
その場合は、せっかく材料を用意したのだからと、料理長は翌日にラーメンを作ってくれるだろう。
でも! 今夜の夕食はラーメンだ♪ とうきうきした心を押さえるのは難しい。
せっかくラーメンの口になっているのに、他の物を食べるのはなんともやりきれないではないか!
なので私は、てるてる坊主を作った。
よかれと思って、皆の分も。
一人に一つずつ。
(作ったてるてる坊主をいっぺんに全部出さなくて良かった……)
密かにそう胸を撫でおろしていると、教室の外から悲鳴と謎の拍手喝采が巻き起こった。
「しまった! キャスタを外に投げ捨てたままだった!」
慌てて教室から飛び出ていくリチャードに付いて行き、庭に落ちているマイてるてる坊主を涙目で取り囲む生徒達に向かって、「違うの、これは違うの! キャスタじゃないから!」と苦しい言い訳をしながら紐を解いて二枚の布に戻した。
その後、騒ぎを聞きつけてやってきたセオドア・ブルック先生に物凄く怒られたが、頭の中でラーメンのことを考えてなんとかその時間をやり過ごすことができたのだった。