11 マシューがやって来た
「どどど、どうしよう!!」
「とりあえず、会ってみるしかないでしょう」
リチャードに促され、マーカスにマシューを応接室に招き入れるよう伝えた。
そして、現れたマシューを見て、私は声を失った。
「くそっ! まだ絶賛拗らせモード継続中か!!」
「なんてわかりやすい……婚約する気満々ですね……」
リチャードとマリーも驚いている。
マシュー・ボールド。ボールド伯爵家次男。
私がドアマットヒロインだったあのつまらない小説の中では、私と彼は12歳の時に婚約する。
そしてその後、継母と義妹に虐げられていた私は、優しく労わってくれるマシューにかなり依存するのだった。
今、目の前に立つマシューは、小説と同じ柔らかそうな緩い巻き毛の金髪で、少し目尻が下がったヘーゼルブラウンの瞳が優し気な雰囲気の美少年だった。
ある意味予想通りの容姿。
だが、彼が腕に抱えているものが予想外すぎた。
彼は――イチゴが山のように積まれた籠を抱えていた。
これはちょっと不味いなと思っていると、私を見るなり頬を染めていたマシューが嬉し気に言った。
「ああ、エリザベス……待たせてごめんね。やっと、やっと会いに来れたよ……」
潤んだ瞳でそう話すマシューは、事情を知らない人が見たら、「なんだか知らないけど良かったですね!」とでも言いたくなるほど嬉し気な様子だった。
これは不味い。これはダメなやつだ。
私の頭の中で、警告のサイレンが鳴り響く。
「花束にしようかと思ったけれど、君との約束だったから……ほら、イチゴをたくさん持ってきたよ」
褒めてくれるだろう? とでも言いたげなその笑顔。
返す言葉が見つからず、呆然と立ち尽くす私に代わって、リチャードが皮肉たっぷりに言った。
「これはこれは、ボールド伯爵子息は、何かとんでもない誤解をされておいでのようですね」
「……君は誰だい?」
「名乗りが遅れて申し訳ありません。私はベルク伯爵家三男、リチャード・ベルクと申します。エリザベス様の従者を務めておりますので、以後お見知りおきを」
「……従者!?」
リチャードは一人称を「私」にして、これが正式な貴族としての挨拶だということを示した。
しかも、「従者」というのをやけに強く発音した。
これはもう、完全に喧嘩を売っている。
「ああ、貴方のことは存じ上げておりますので、名乗りは不要です。エリザベス様の妹君であるキャサリン様と婚約のお話があったそうですね。諸事情によりお話は纏まらなかったと聞いておりますが」
マシューはリチャードのことを不用意に「君」と呼んだが、それは貴族のマナーとしてはいささか不味い。
それに比べてリチャードは、マシューを「貴方」と呼んでいる。
二人は同い年だが、ここまでの会話を聞いていると、リチャードの方が一枚上手でずっとずっと年上のように感じられる。
(会話だけで相手を圧倒するなんて、さすがハイスペック少年!!)
これはいける! と調子に乗った私は、思わず前に出て一気にまくし立てた。
「お久しぶりです、ボールド子爵令息。お名前はマシュー様でよろしかったかしら? ごめんなさいね、私、昔のことはあまり覚えていなくて。先日は妹のキャサリンが失礼いたしました。本日はどのようなご用件で? あ、もしかしてキャサリンに無礼な言葉を浴びせた挙句、私と婚約するなどと、とんでもないことを言ったことの謝罪かしら? だとしたらお気になさらず。売り言葉に買い言葉なんて、子供同士の会話ではよくあることですので」
(よし、言ってやった!!)
あんたのことなんて覚えていない、キャサリンとの婚約話があったのに、姉の私と婚約するなどと馬鹿なことを言ったようだが、正気か? 本当に子供っぽいな、という意味を込めたつもりだが、ちゃんと伝わっただろうか。
逆恨みが怖いので、リチャードとは違って、できるだけ無邪気に当たり障りのない笑顔で言ったつもりだが。
「そんな……エリザベス……?」
真っ青な顔で唇を震わせながら、マシューが言った。
「おや、婚約者でもない令嬢の名を呼び捨てで呼ぶとは……」
リチャードが再び私の前に出て、嫌みたっぷりな表情で小馬鹿にしたような声色で呟くと、マシューは羞恥のためかパッと頬を赤らめた。
(しかしリチャードは凄いな。さすが『星空の下の恋人たち』の主人公……ってそうだった、リチャードは本来相手に容赦しない性格なんだった……! ひー! 怖い怖い怖い!)
不意に、リチャードが悪役令嬢であるエリザベスを殺す小説のことを思い出してしまい、思わず恐怖で体がすくんでしまった。
リチャードは、そんな私の自損事故をどう受け取ったのか、マシューの方を睨むと、冷ややかな声で言い放った。
「エリザベス様は気にしないと仰っています。ですから、その籠を持ってそろそろお帰りになってはいかがですか? 男は引き際が肝心ですよ」
「えっ? イチゴ持って帰っちゃうの?」
「しっ、お嬢様……あとでイチゴのケーキをたくさんご用意しますから……」
「ごめん、マリー。イチゴ大好きだからつい反射で……」
私とマリーがコソコソとそんな会話をしていると、リチャードが振り返り、声に出さずに口の動きだけで『しずかに』と言った。
はい。黙ってます。ごめんなさい。
リチャードに帰れと言われたマシューは、潤んだ瞳で唇を噛みしめ、絞り出すような声で言った。
「ひどい。僕が、僕が今までどんな思いで……」
そして、突然、イチゴの入った籠を両手で高く持ち上げると、思いっきり床に叩きつけた。
「ああっ!! もったいない!!」
「お嬢様、拾っちゃダメです!」
「ああもうっ! マリーさん、お嬢様を連れて下がっててもらえますか!?」
突然の暴挙に出たマシューは、部屋の隅に控えていたマーカスによってすぐさま体を拘束された。
「みんな、みんな僕から離れていく。父上も、母上も、兄上も……! 僕にはもうエリザベスしかいないのに!! エリザベスだけが僕の心の支えだったのに……!」
マシューが泣きながら叫んだ。
その瞳は最早光を失っており、絶望に染まった声には狂気すら感じられた。
「ひどい。どうして僕ばかりこんな目に……許さない……エリザベス……許さないから!!」
マシューと目が合った途端、恐怖で足がすくみ、思わず目の前に立つリチャードの背にしがみついた。
リチャードの身体がびくっと動いた。
「お嬢様を怖がらせるのは止めろ!!」
「絶対に許さない! エリザベス! そして、お前もだ!!」
リチャードの声をかき消すような大声でマシューが叫ぶ。
マーカスが必死に抑えているらしく、腕を振り払おうともがくマシューには、すでにあの優し気な雰囲気は微塵も感じられなかった。
「お前たちなんて、まとめて、ころ」
「マシュー! やめるんだ!」
突然、マシューの声を遮るように声がした。
見ると、応接室の扉の前に、一人の男性が立っていた。
(うわ、なんて綺麗な人……)
長い金髪は、片側に寄せてゆったりとした三つ編みにし、前に下ろしている。
斜めに流した前髪の下には、少し目尻が下がったヘーゼルブラウンの瞳があり、左側の唇の斜め下にあるほくろと相まって、何とも言えない色香を漂わせている。
背が高くほっそりとしていて、どこか中性的な魅力が感じられるが、彼から発せられる声には男性らしい力強い響きがあった。
(あれ? でも、なんだろう、どこかで会ったことがあるような……?)
「それ以上はいけないよ、マシュー」
「兄上……」
マシューの兄、ボールド伯爵だったらしい。
どうりで見覚えのある顔だと思った。
「お、お嬢様……」
呼ばれて横を見ると、マリーが真っ青な顔でガタガタと震えていた。
涙目で、可哀想なくらい怯えている。
「ど、どうしたの、マリー? 大丈夫?」
「お嬢様、あの方の顔をよく見て下さい……」
(あの方の顔? いや、すごく綺麗な顔だと思うけど……どうしてマリーがこんなに怯えてるの? マリーがこんなに怯えるのって、あの小説の中でヤンデレ伯爵に監禁されてる時みたいって、ああああっ!!)
もう一度、ボールド伯爵の顔を、凝視する。
(間違いない! 『囚われの天使』のヤンデレ伯爵だ……!!)
籠いっぱいの○○