106 犬と猿とキジ
ギルバート殿下の両親の出会いのお話は、短編「夏至祭の奇跡 ~精霊が願い事を叶えてくれました~」です。こちらもよろしくお願いいたします。
「信じられない…………ああ、精霊は本当にいたんだ…………!」
どういうこと!?
ギルバート殿下が突然、おかしなことを言い出した!
私、リチャード、マーガレットの三人は、驚いて思わず顔を見合わせてしまった。
精霊とは一体なんのことだろう。
もしや、ギルバート殿下が学院を休んだのは、キャサリンの言う通り、頭の具合がおかしくなったからなのかも……?
「お嬢様、不敬ですよ」
「はっ! やだ、私ったら口に出してた?」
「ええ、しっかりと」
まずい。
いくらなんでも他国の王子に向かって頭がおかしいと言うなんて。
とりあえず、話を変えてごまかそう。
もしかしたら、ギルバート殿下には聞こえていなかったかもしれないし。
「精霊とは、一体何のことでしょうか?」
「いやその、実は……私が学院を休んだのは、頭がおかしくなったからではなくて……」
やばい。どうやらしっかり聞こえていたようだ。
「夏至祭に、精霊を探しに行っていたのだ」
「「「…………は?」」」
それから、ギルバート殿下は言葉を選びつつ、ゆっくりと話し出した。
※※※
一昨日。
スペンサー伯爵令嬢にチェスで惨敗し、なおかつブルック先生の補修も受ける羽目になった私は、帰宅するなり部屋に籠り、そのまま夕食も摂らずに不貞寝した。
そして次の日も、私は部屋から出ずにいて、朝食も食べようとしなかった。
心配したメイドに少しだけでも食べるようにと言われたが、うるさいと怒鳴って部屋から追い出してしまった。
メイドは自分のことを心配してそう言ったのに、八つ当たりをしてしまった自分が恥ずかしかった。
昼食も食べる気にならず、ぐったりとベッドに横たわっていたところ、せめて水分だけでも摂るようにと言ってメイドがレモネードを運んできてくれた。
その際にメイドは、今日が夏至であると言って、ジャムサンドクッキーの乗った皿も置いていった。
フォートランでは、夏至祭の日にはアラザンの乗ったジャムサンドクッキーを食べる習わしがある。
このジャムサンドクッキーだが。
共通しているのは上にアラザンが乗っているということだけで、挟むジャムの種類や大きさ、形などは特に決まっておらず、各家庭で代々受け継がれるレシピがあるらしい。
バーランド侯爵家では、上に乗せるクッキーをハートの型でくり抜いて、間に挟んだイチゴジャムが見えるようにしたものが作られる。
これは亡くなった祖母の家に伝わるレシピなのだそうだ。
クッキーを手に取り、一口かじる。甘くて美味しかった。
空腹だったせいもあり、レモネードと共に全て平らげた。
満腹になると気持ちが少し落ち着いた。
そして、ふと思い出したのだ。
幼い頃、母が語ってくれたお伽噺を。
それは母が父と初めて会った日の話、つまり両親の出会いの物語だった。
夏至祭には、こんな言い伝えがある。
――夏至祭を楽しむ人々の中には、人間に姿を変えた精霊が紛れ込んでいる。
その精霊を見つけ出してアラザンが乗ったクッキーを捧げると、何でもひとつ願い事を叶えてもらえる。
夏至祭の夜、母は精霊と出会い、自分ではそれと気づかないうちにクッキーを捧げていた。
その結果、母は父と結婚することができたのだという。
子供ながらに、そんな話があるわけないと思った。
でも、母は笑いながらこう言っていた。
『あら? ギルは信じてくれないの? でもね、これは本当にあったことなの。精霊は本当にいるのよ』
――夏至祭の奇跡。
『精霊は本当にいる』と言った時の母の夢見るような笑顔が、頭に浮かんで離れない。
そして私は、居ても立っても居られないような気持になり、大声でメイドを呼んだ。
精霊を探しに夏至祭に行く、と言うと、メイドはすぐに家令のスコットを呼びに行った。
スコットは、夏至祭に行くのならば、護衛騎士のジャンと一緒に行くようにと言って譲らなかった。
今、祖父であるバーランド侯爵は所用があって家を空けている。
『旦那様が留守の間は私がこの家のことを任されております。どうか、私の言う事を聞いて下さいませ』
スコットがそう言って譲らないので、仕方なくジャンと出かけることにした。
本当は、カイルを呼んで二人で出かけるつもりだったのだが。
準備が整い、馬車に向かうと、大きな籠を持ったジャンが立っていた。
籠の中には綺麗な布が敷き詰められており、中にはアラザンが乗ったジャムサンドクッキーがたくさん入っていた。
「夏至祭か、なんだか懐かしいですね。私は殿下のお母様のイザベラ様と一緒に夏至祭に行ったことがあるんですよ」
「そうなのか?」
「はい。夏至祭は楽しいですよ。色んな屋台が出ているので、食べたいものがあれば言ってください」
馬車はしばらくして王都の噴水広場の手前で止まった。
それから二人で、広場の中を見て回った。
街の至る所に飾られている花の薬玉が美しい。
時刻はもうすぐ夕方という頃合いだ。
せっかくだからと、アラザンとミントの葉が乗ったレモネードを買い、ジャンが買って来てくれた串焼きの肉を頬張る。
「美味い!」
「それは良かった。そうそう、イザベラ様もその串焼きがお好きだったんですよ」
「母上も?」
「ええ」
ジャンは仕事中だからと一緒に食べることを拒んだが、自分一人で食べているのは気が引けて困ると言って一緒に食べてもらった。
「イザベラ様もそう言って、一緒に食べるようにと言って下さったんですよ」
「へえ、そうなのか」
「ええ、殿下はイザベラ様によく似ていらっしゃいますね」
私の外見は父親似だと言われている。
なので、母に似ていると言われることは滅多にない。
なんだか気恥ずかしいような気持になって、残っていたレモネードをぐいっと飲み干した。
夏至祭の食べ物も楽しんだし、さあ、次は精霊探しだと思った瞬間。
すぐ横の建物の陰に、薄茶色の大きな塊のようなものが動くのが見えた。
なんだろうと近づいてみると、それは犬だった。
程よく焼けたトーストのような色の毛並みは、薄汚れていて所々に血が滲んでいる。
犬同士の喧嘩か、それとも心無い人間にやられたものか。
あまりにも気の毒で、思わずしゃがみ込み声を掛けた。
「どうしたんだ、お前、こんなに傷だらけになって……」
犬は、ちらりと私の顔を見たが、すぐにまた目を閉じてしまった。
具合が悪いのだろうか。見ただけではわからないところに大けがをしているのかもしれない。
ふと思いついて、手に持っていた籠の中からクッキーを一つ取り出し、犬の顔の前に差し出してみた。
すると、犬は薄目を開けくんくんと匂いを嗅いだ後、はぐはぐとクッキーを食べ始めた。
ひとつ食べ終わると、もっとくれと言うような仕草をしたので、続けてクッキーを与える。
そうやって美味しそうにいくつかのクッキーを食べ続けているうちに、信じられないことが起こった。
「傷が……消えた……?」
先程まであったはずの傷が消え、薄汚れていた毛並みも輝くばかりの艶を取り戻していた。
まるで、傷なんて最初から無かったかのようだった。
「お前は、一体……?」
犬が、すっくと立ち上がった。
そして私の上着の裾を咥えると、まるで自分の後を付いて来いとでもいうように二、三度引っ張った。
私は黙って犬の後ろを付いて行った。
しばらく歩いていると、広場の外れの街路樹の根元に、茶色い生き物が倒れているのが目に入った。
犬が足早に走り寄ったので、私も急いで後を追った。
そして、それが何かがわかって驚いた。
犬が鼻を押し付けてしきりに体を揺すって起こそうとしているそれは、なんと猿だったのだ。
「犬猿の仲」と言う言葉があるからには、犬と猿は仲が悪いと思っていたが、こうしてみるとそれはこの二匹には当てはまらないようだった。
犬は心配そうに猿を見ている。
私は静かに猿の側にしゃがみ込み、声を掛けた。
「どうしたんだ、お前、こんなに傷だらけになって……」
手に持っていた籠の中からクッキーを一つ取り出し、猿の顔の前に差し出してみた。
すると、猿は薄目を開けくんくんと匂いを嗅いだ後、はぐはぐとクッキーを食べ始めた。
ひとつ食べ終わるともっとくれと手を差し出して来たので、続けてクッキーを与える。
そうやって美味しそうにいくつかのクッキーを食べ続けているうちに、信じられないことが起こった。
「傷が……消えた……?」
先程まであったはずの傷が消え、薄汚れていた毛並みも輝くばかりの艶を取り戻していた。
まるで、傷なんて最初から無かったかのようだった。
「お前は、一体……?」
※※※
ギルバート殿下の話はなおも続いた。
話が長いので簡単にまとめると、犬を助けた後で猿も助けた殿下は、同じようにキジを助けクッキーを与えた。
そして、見違えるほど元気になった二匹と一羽を連れて歩き出した。