10 過去の自分に一言
誤字報告を下さった方々、ありがとうございました!
次の日。
事の次第をリチャードに説明した。
「要するに、そのマシューという伯爵子息が、お嬢様に懸想しているということですね。そして、そいつがお嬢様を訪ねてくるかもしれない、と」
前世のことなど正直に話せないことが多くて、しどろもどろの拙い説明だったが、とりあえず要点だけはしっかり伝わったようだ。
「そうなの。妹の話だと、どうしても私と婚約したいって言い張ってるらしいの。なので、困ってしまって……ごめんなさい、リチャード。来て早々こんな話をしてしまって」
来たときは笑顔だったリチャードは、今や氷のような冷ややかな表情になっている。
「そのような身の程知らずには、わからせてやる必要がありますね」
「ひっ、な、何を?」
「自分が虫けらのような価値の無い人間だということをです」
怖い。自分に向けて言われているわけではないのに、怖くて足が震える。
(信じられない、この子、本当にまだ12歳なの? すごい迫力!)
「お嬢様、そいつとは会ったことがあるんですよね?」
「ええ、何回か会ってると思う。でも7年前だし、ほとんど覚えてないのよ」
「7年前か……とするとお嬢様はその時、5歳か……5歳のお嬢様……」
何故かリチャードが顔を赤くして、うっとりとした表情になったので、心配になり声をかけた。
「リチャード? どうしたの?」
「ハッ、すみません、ちょっと想像に浸ってしまいました……」
リチャードはキリッとした表情になり、力強く言った。
「大丈夫です、お嬢様。俺が、なんとかしてみせます。どうか安心してください」
「リチャード! ありがとう、嬉しいわ!」
12歳の子供に頼るしかないなんて本当に情けないけど、ハイスペック男子リチャードなら、きっとなんとかしてくれるに違いない。
私はお礼の意味も込めて、メイド達から「天使のような」と言われる笑顔で答えた。
顔を真っ赤にしたリチャードが、「うう……」と呟く。
よし。こうかは ばつぐんだ!
それにしても。
マシューはどうしてそんなに私に執着してるんだろう。
自分で言うのもなんだが、確かに私は美少女だ。
でも、それだけで、絶対に婚約したいと思うなんてことがあるのだろうか。
今では必死に身に着けた「天使の笑顔」という武器があるけれど、当時の私はぼんやりしたただの女の子だったはず。
何か、他に理由があるのでは。
「ねえ、マリー。私がボールド家のお茶会でマシューと会った時に」
「ちょっと待ったぁ!!」
リチャードが、突然叫んだ。
「お嬢様。従者でも使用人でもない者を、そんな風に親し気に呼び捨てで呼ぶのはお止め下さい!」
「え? ええ、そうね。そうよね。気を付けるわ」
何故だろう。リチャードが急に礼儀にうるさくなった。でもまあ、正論なので従う。
「マリー、私がボールド伯爵子息と会った時に、何か変わったこととか無かった?」
「ええと、私は7年前にはまだ働き始めてなかったので、その時のことはわからないのですが……家令のマーカスさんならご存じかと」
「そうね! マーカスなら覚えてるかも!」
早速、マーカスを呼び、当時のことを覚えてないか聞いてみた。
「ああ、覚えておりますよ。お嬢様とボールド伯爵子息は仲良く遊んでいらっしゃいました」
その時のことを思いだしたのか、マーカスが目を細めて微笑みながら言った。
「ええと、その時のことをできるだけ詳しく教えて欲しいのだけれど……何か覚えているかしら?」
「そうですね……ああ、そうそう。苺が乗ったケーキをお嬢様が大変喜ばれて」
「あら、お嬢様はその頃からイチゴがお好きだったのですね。今も大好物ですもんね」
マリーがふふっと笑いながら言う。そう、私はイチゴが大好き。果物の中で一番好き。
「ご自分のケーキの上のイチゴを食べ終わった後に、ボールド伯爵子息のケーキの苺を羨ましそうにじっと見つめていらっしゃって」
――嫌な予感がする。
「それに気づいたボールド伯爵子息が、『僕のお嫁さんになるって約束してくれたらあげるよ』と仰って」
――嫌な予感がする!!
「『いいわよ! お嫁さんになる!』とお嬢様が天使のような笑顔でお返事されて……あまりの可愛らしさに、周りの者は皆、ため息をつきながら見とれてしまいました」
――嫌な予感的中!!
横を見ると、マリーが呆れたような顔で、「お嬢様……」と呟いている。
リチャードはというと、眉間に皺を寄せて、物凄く険しい表情になっている。
マーカスは「お嬢様のほっこり可愛いエピソード」としてこの話をしたのだと思う。
なのに、マリーはともかく、リチャードのこの表情は一体どういうことか。
自分の分のイチゴを食べ終えた後、他人のイチゴまで狙った意地汚い当時の私に呆れているのだろうか。
言い訳になるが、当時の私はイチゴを制限されていたのだ。
何故なら、あればあるだけ食べてしまい、一度お腹を壊したことがあるから。
なので、イチゴをもらえるチャンスがあったならば、絶対に飛びつくに決まっている。
「お二人の可愛らしい様子を見ていたボールド伯爵夫人が、お二人を婚約させてはどうかと仰って」
――思い出した!! そうだった!!
ボールド伯爵夫人が、言ったのだ。『まあまあ、なんて可愛らしいんでしょう。うちのマシューはエリザベス様にもう夢中ね。どうかしら、年の頃も丁度良いし、婚約させてみては?』と。
「マーガレット様にどうするかと聞かれたお嬢様は、これまた天使のような笑顔で『イチゴをたくさんくれるなら婚約しても良いわ』と仰ったのですよ」
そうだった。
『あらまあ、どうする? エリザベス』
母にそう聞かれて、私は答えた。無邪気に。『イチゴをたくさんくれるなら!!』と。
どこまでもイチゴのことしか考えていなかった5歳の私に言ってやりたい。
あなたのその食い意地のせいで、7年後の自分はとても困ったことになるんですよ、と。
「その後、マーガレット様が体調を崩されまして、あちらも伯爵夫妻が事故で亡くなりご長男が跡を継ぐことになりましたので、婚約の話は途中で止まってしまいました」
危なかった。かなり危ないところまで話が進んでいたのかもしれない。
その後、「お嬢様のほっこり可愛いエピソード」を話してくれたマーカスにお礼を言って下がらせ、私とマリー、リチャードの三人は、引き続き今後のことを話し合うことにした。
「過去の私の意地汚さのせいで、こんなことになってしまって……本当にごめんなさい」
先手必勝。
私は何かあったらできるだけすぐに謝罪することにしている。
しおらしく謝る私に、マリーとリチャードが慌てて言う。
「お嬢様……! そんな、頭をお上げくださいませ」
「そうですよ、お嬢様は全然悪くないです! それに、婚約の話のことは全く覚えていなかったのでしょう? そんな幼い子どもの頃の約束なんて無効ですよ!!」
「二人とも、ありがとう……そうよね、無効よね! そんな昔の話を引き合いに出されても、こちらにはもうリチャードがいるんだし! はっきりと断れるわよね!」
思いがけず過去の自分が深く関わっていたけれど、そもそもそんな昔の話を今更言われても困る。
だが、マシューは『僕は絶対にエリザベスと婚約してみせる! どんな手を使ってでも、エリザベスを手に入れて見せる! 待っててエリザベス!』と言っていたらしい。
そんな拗らせた人に、「昔のことだからもうその話は無しで」と言って納得してもらえるんだろうか。
不安が表情に出てしまったのか、リチャードが気遣わし気にこちらを見て言った。
「お嬢様、大丈夫です。お嬢様には指一本触れさせません」
「ありがとう、リチャード」
「お嬢様の目の前にあいつが現れたら、自分がいかに愚かでくだらない妄想に囚われているのかを判らせてやりますので!」
とても12歳とは思えない言葉遣いと気迫。頼もしい。
「そうですよ、お嬢様。リチャード様がいらっしゃれば、きっとなんとかなりますよ。お好きな蜂蜜入りの紅茶をお淹れしましたので、ゆっくりお二人でお飲みくださいね」
「ありがとう、マリー」
そうだ。きっと大丈夫。私には二人が付いている。
それに、よく考えたらマシューだってまだ12歳の子供ではないか。
前世20代社会人の私が、そんなちびっこにどうこうされるはずがない。
うん、と頷き、紅茶のカップを手に取る。
蜂蜜の良い香りが立ち上る。
とりあえず今は、落ち着いてお茶を楽しもう。
――そう思ったのに。
「お嬢様、ボールド伯爵子息、マシュー様がお見えになっております」
マーカスが、マシューの突然の来訪を告げた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。