リノベル伯爵領
リノベル伯爵家はセクター20にあるローレンス星系を本拠地としている由緒正しき帝国貴族だ。帝国成立以前からその地の豪族であり、その歴史は数千年以上という、名家中の名家だ。
そんな名家なのに伯爵位に収まっているのは、シンプルに帝国設立期に、初代皇帝の勢力と敵対していたからだ。所領は安堵されたが、以来、政治の世界では日陰者というまぁまぁおつらい立場の家門であるが、こと芸術となればその地位は皇族に次いで高いともされる。
政治の世界で花開かなかった蕾は、芸術の世界で開花し、優秀な審美眼を持つパトロンとして名をはせるようになった。そのため、帝国全土から芸術家達がリノベル伯爵領に集うのだという。
——俺はまるで興味ないが。
「いえいえ、そうバカにしたものでもありません。芸術の世界は強力なコネクションを作りやすいことで有名ですから」
俺の認識は間違っている、とゼルドリッツ兄上は言う。その言わんとするところは理解できるが、やっぱり俺のような審美眼のない人間には縁遠い世界だ。
俺の前を歩くゼルドリッツ兄上はいつになく饒舌で、いつになく興奮していた。久方ぶりにローレンス星系の基幹惑星であるジヨンに来れて浮き足立っているように見えた。
今回、表向き俺はゼルドリッツ兄上の従者という形でリノベル伯爵のもとを訪れている。まさか表立って皇帝その人が敵地を訪れるとか言えるわけないでしょう、というのがルードヴィッヒやテオの主張だ。実際、その通りなので俺はうん、と首を縦に振った。
「ぉお、ゼルドリッツ殿下。お久しぶりですな!!」
宇宙港から地上の基地へ続く長いエレベーターを降り終えると、その入り口に集団が見えた。恰幅の良い、西洋貴族を思わせるクルクル頭の男がその先頭に立ち、諸手を挙げてゼルドリッツ兄上を出迎えた。
写真で知ってはいたが、かなり太ましい人物だ。その男、セドワール・エル・リノベルは毒気を感じさせない屈託のない笑顔を浮かべながら、ゼルドリッツ兄上と抱擁をかわし、心の中で俺の笑いを誘った。
「——この度はよくぞ、参られた。長旅であったでしょう、まずはゆるりと休まれよ。そして」
刹那、リノベル伯爵の視線がゼルドリッツ兄上からその背後に立つ俺へと向けられた。俺を一瞥するそのその視線にどきりとすると、リノベル伯爵はにっこりと俺に微笑みかけた。
そのまま踵を返してリノベル伯爵はその場から去っていった。残った俺はこそっとゼルドリッツ兄上に耳打ちをした。
「ひょっとして、俺のこと気づいてる?」
「え、ええ。おそらくは」
ゼルドリッツ兄上の同意に俺は肩をすくめた。相手を驚かせたくて変装もしたのに無駄になってしまった。
「いずれにせよ、屋敷へ行けばわかることでは?」
俺の背後に控えていたキリルの言葉に、俺はそうだな、と返した。敵か味方かわからない人間のふところに乗り込むのは正直気乗りがしない。
ただこの展開は俺が正式にリノベル伯爵領を訪れていたら起きえなかっただろう。例え秘密裏であっても、俺の来訪を表立ってリノベル伯爵が喜ぶわけはないのだから。
*
夜、俺はゼルドリッツ兄上と共にリノベル伯爵の私室を訪れた。誓って侵入したわけではなく、夜の晩餐会が終わった頃、リノベル伯爵家の執事に案内されて、私室に足を踏み入れたのだ。
「よくぞ参られました、ゼルドリッツ殿下、そして」
背後に控える俺を一瞥し、リノベル伯爵は俺に向かって微笑みかけた。
「レアン陛下」
そう言うと、リノベル伯爵は片膝をつき、俺の前で頭を下げた。その体躯のせいで動きは緩慢だったが、貴族としての矜持を感じさせる見事な姿勢での一礼だった。
「この度は我が領地にご行幸くださり、まことに感謝申し上げます。かかる栄誉によくしたるは、帝国貴族として無上の喜びでありまする」
「さすが、名だたる芸術を見定める審美眼を持つリノベル伯爵。この程度の変装で騙せるわけもないか」
正体がバレていたことに驚くそぶりを見せず、俺は皇帝モードに突入した。尊大で傲岸不遜な悪逆皇帝としての演技だ。それもリノベル伯爵にはバレバレの三文芝居なのだろうが。
変装を解いた俺を見て、リノベル伯爵は改めて頭を下げた。そして俺を私室の席に座るように勧めた。
「さて、陛下。この度はいかなる由において我が領にご行幸遊ばされたのでしょうか?」
「帝国西方の統一だ」
率直な、飾らない俺の言葉にリノベル伯爵は動じるそぶりを見せない。俺がこう答えることを予想していたのだろう。
「やはりそうでしたか。そうなりますと、まずは我が家を、次いで他家をその手中に収めるということですかな」
「そうなるな。もちろん、見返りも用意する」
税の優遇や陞爵なんかが妥当なところだろうか。領地の拡大もいいかもしれない。そんな俗っぽい見返りを脳裏によぎらせていると、リノベル伯爵は肩をすくめた。
「見返りなど不要です。陛下が麾下に入れ、と言うのならそうしましょう」
「即決だな。大抵の貴族は時間をくれ、とか言ってきたが」
俺の愚痴にリノベル伯爵は、はははは、と笑った。年の功を感じさせる、余裕のある笑い声だった。
「見返りなど求めても栓のないことでございましょう。陛下が玉座を奪還した暁に得るだろう栄誉の分前を欲するなど、俗人の所業でございます。私は、そうですね。この領地でただただひっそりと芸術活動に勤しみたいのです」
「ご立派ですな、リノベル伯爵。私もそうありたいものです」
リノベル伯爵に同意するようにゼルドリッツ兄上が声を上げた。心なしか、興奮しているようだ。
「——そうなると、貴殿は西部四家の争いには無頓着、ということか?」
「そうなりますな。もともと我が家門は争いなど求めてはいなかったのです。他の三家の争いに巻き込まれただけなのですよ」
「それは不運だったな。ならば、こういう見返りはどうだ?俺が貴殿の協力に対する見返りは、西部の安定、というのは」
それを聞いてリノベル伯爵は、声を上げて笑った。よほどおかしかったようだ。
「よいですな、西部の平和。いや、それが実現すればどれだけ良いことか」
どこか遠いところを見る目で、リノベル伯爵は窓の外を見た。遮るものが何もなく、外には満天の星空が煌めいていた。
「歴代の皇帝陛下は西部の問題にわりかと無関心でした。あくまで地方貴族の争いと思っていたのでしょう。平時であればその認識でも良いでしょうが、戦時有事となれば、この険悪な状態は決して良い目を出しません」
「知っている。先のバルトアンデスとの戦いでは大分、苦労があったそうだな」
御意であります、とリノベル伯爵はため息をついた。
先のバルトアンデスとの戦い、大体20年前だかのそれは帝国軍の惜敗に終わった。防衛目標だった星系を数年にわたり、占拠され、バルトアンデスに散々飲み食いされた挙句、無様に逃走を許したのだという。二度にわたって送られた討伐軍はいずれも惨敗、結果として東部や南部の鉱物資源の価格高騰を招いたりしたのだが、まぁそれは今はどうでもいい。
重要なのは二度にわたる帝国軍の敗北の理由の一つが、西部貴族の非協力的な態度にあるという点だ。この場合の非協力的な態度とは足の引っ張り合いだ。特にオーデル家とリップマン家の足の引っ張り合いはすさまじかったらしい。我先にと手柄を求め、味方に誤射までしたのだという。
その時、俺はと言えば東部貴族の協力を求めてえっちらおっちら行脚していた。だから、報告書や新聞記事以上のことは知らない。
だが、リノベル伯爵の態度を見る限り、俺の知っている情報は概ね正しかったのだろう。ひどい戦いでした、と心情を吐露する伯爵のドス黒い感情がひしひしと伝わってきた。
「話を聞く限り、問題の根源はオーデル家とリップマン家にあるようだな」
俺が認識の共有を求めると、リノベル伯爵は頷いた。
曰く、争いを主導しているのはオーデル家とリップマン家で、バートン家は両者の争いに便乗しているだけ。リノベル家は哀れな被害者、というのがリノベル伯爵の言い分だ。
「仮に俺が他の三家のいずれかに介入したとして、貴殿はどうする?」
「仮定の話でありますな。しかし、どうもしないでしょう。私はもちろん、我が家のものは西部の覇権になど興味がありません。誰が支配するでも構いません。ただ我々が安心して芸術活動ができる地を求めるばかりでございます」
きっぱりとリノベル伯爵は宣言した。清々しいほどの自分本位に思わず笑みが込み上げてしまった。
「その清々しさにはいっそ敬意すら覚えるな。いいだろう、貴殿のその言葉を信じよう」
「恐縮であります、陛下」
「さて、それじゃぁ次はどこへ向かおうかな」
かくして、俺とリノベル伯爵のファーストコンタクトは穏便に終わった。
少なくとも、俺の目線では。
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