新たなる刺客
無音の回廊を茶髪で長身、顎に髭を蓄えた男が歩いていた。その男、ジェイムズ・ソル・アルクセレスに供回りはなく、彼は渋い顔を浮かべていた。
左右には帝国黎明期より歴代の皇帝を象った彫像が並び、その背面の壁には彼らの治世において帝国が鮮烈なる勝利を得た戦いを描いた絵画が飾られていた。古典主義、あるいは王賛主義とも言える芸術群の前を通り過ぎ、ジェイムズは巨大な扉の前に立った。
その扉は重低音を響かせ、外へ向かって開いた。そしてジェイムズが胡乱な瞳で扉の向こう側を見ると、そこには白いドレスを着た強面の女性、ソフィアが立っていた。
ツカツカと謁見の間に入りながらジェイムズは室内の左右に視線を向けた。
謁見の間は入り口から見て右側に壁が、左側に庭園がある半開放的な空間だ。貴族が数千人以上、下手をしたら数万人以上を収容できる巨大な空間に、今はソフィアとジェイムズ、そして玉座に座る皇帝とその近侍のみしかいない。
「ジェイムズ殿下。来訪、大義であります」
ソフィアの前で膝を折り、ジェイムズは片膝をついた。頭を下げた彼の表情は言い表せない屈辱感に満ち満ちていた。仮にも皇族である自身が、下げたくもない相手に頭を下げるというのは屈辱以外の何者でもなかった。
しかしジェイムズも皇族の一員で、かつては皇帝の座を求めて政争を繰り広げた身だ。感情そのままに不快感を滲ませた表情を浮かべることはなかった。
「摂政閣下、私めは今上陛下に忠誠を誓う身、お呼びとあらば万難を廃し、駆けつける所存でございます」
「その忠節に惜しみない感謝を。さて、この度、殿下をお呼びだてしたのは他でもありません。殿下にはある大任を任せたいのです」
腰を上げたジェイムズは眉間に皺を寄せた。ソフィアの言う大任という言葉に少なからず警戒心を見せるジェイムズにソフィアはご自慢ではない、強面のしかめ面をわずかばかり綻ばせた。微笑んだつもりなのだろうが、ジェイムズには凶笑にしか見えなかった。
「大任とは?僭越ながら、我が身はその任に耐えうるかどうか、計りかねております」
「ええ、ええ。大任と聞けばどなたであれ、そのように考えるものですわ。それは当然のこととぞ思います」
ソフィアは優雅ではない、どちらかと言えば緩慢な所作でくるりと踵を返し、庭園へ通じるガラス張りの壁へ近づいた。ガラス越しに差した人工陽光に照らされたその微笑みにジェイムズはゾッとした。下手なホラー映画のジャンプスケアよりも怖かったからだ。
「殿下にお願いしたい大任とは他でもありません、帝国西部を統一していただきたいのです」
ソフィアの言葉にジェイムズは目を細めた。即座に彼の脳内では帝国西部について、知りうる限りの情報が超高速で駆け巡り、ソフィアの言葉の意図を読もうとした。
ジェイムズにとって帝国西部とは鉱物資源の一大産地という認識と、先進的な前衛芸術の産屋であるという認識の二つがある。そして、この場合、ソフィアが共有したい認識は前者だろうことは予想できた。
「帝国は現在西部を御しております。いたずらに介入すべきとは思えませんが」
「いたずらなどと。かような事態にいたずらや冗談を言うほど、私は世間知らずではありませんわ。無論、理由はございます」
そう言ってソフィアが手を叩くと、どこからともなく端正な顔立ちの少年が現れ、資料が入っていると思われるファイルをジェイムズに手渡した。それを受け取ると、後ろ歩きで少年はジェイムズの視界から消えた。
拝覧させていただきます、とへりくだりながらことわりを入れ、ジェイムズはファイルを開いた。そしてその仲の資料を読み進め、ソフィアの危惧するところを理解し、ファイルを閉じた。
「なんと申し上げればよいのか。かかる事態にあるに、まるで他人事ですな」
「ええ、そうでしょう。しかし彼らはずっとこれを続けてきたのです。それこそ日常化するほどに」
ソフィアの言葉には実感がこもっていた。日々を無為な政治闘争に明け暮れた人間を散々見てきた人間ならではの実感だ。他ならぬ彼女自身がそうであるのだ。
苦笑するソフィアにジェイムズは無言を突き通す。余計なこと言うべきではない、と感じたからだ。むしろ、今の彼の関心ごとは与えられた任務をどのようにこなすかにあった。
断る選択肢はない。ジェイムズが断れば、その時はソフィアの雷霆が彼と、その兄弟、姉妹を襲う。そうならないためにわざわざ亡命したのに、逆鱗に触れては本末転倒だ。
だが、与えられた資料を読む限り、西部の統一は難題だ。少なくとも真っ当な手段での統一は何十年とかかるだろう。
ソフィアの自分語りが終わりに差し掛かった頃、ジェイムズは意を決して彼女に対し、お願いをした。
「お役目、承りました。しかしこれほどの大任をこなすには相応の支援をいただきたく思います」
ジェイムズのお願いをソフィアは予想していたのか、いいでしょう、と恩着せがましく頷いた。次の瞬間、ジェイムズの背後から誰かが歩いてくる足音が聞こえた。
はっとなって振り返ると、そこにはジェイムズが見知った男が立っていた。背の高い美丈夫で、外見年齢は30代ほどだ。浮かべる微笑みは柔和で人の良さを窺わせる、素朴さがあった。
「お久しぶりですな、セドリック兄上」
ジェイムズの挨拶に男は、セドリック・ソル・アルクセレスは頷き、握手を求めて右手を差し出した。その手をジェイムズはためらいもなく握り返した。
「兄上が首都星にいるとは、知りませなんだ」
「昨日、来たばかりなのですよ、ジェイムズ殿下。今回の大任、殿下にはセドリック殿下を補佐にお付けします。他に、ご入用のものがあれば、なんなりとおっしゃってください。検討いたします」
ジェイムズとセドリックに会話をさせるつもりはないのか、会話をしようとした二人の間にソフィアが割って入った。久しぶりの異母兄弟との会話を邪魔され、ジェイムズは不愉快な気持ちになったが、それを顔に出すことはなかった。
*
帝国西部はその名の通り、帝国の西部に位置している宙域一帯を指す言葉だ。今更そんなことを話してどうしたこうしたという話ではあるが、セクターで分ければ19、20、38、39、41とたった5つのセクターの集まりでしかないのだ。
ちなみに東部は9つのセクターの集合体、南部は4つ、そして北部は9つのセクターの集合体だ。
著しく西部と南部はまるでセクターが存在しないな、と思うかもしれないが、それには理由がある。シンプルに居住可能な星系が少ないからだ。
あとは地政学的な要因が大きい。東部は武を重んじる武王国が、北部は帝国黎明期からの宿敵である合同共和国が隣接しているのに対し、西部と南部はそれほど敵対的な国家と隣接しているわけではない。
一応、連合王国が西部と、二重連邦が南部と隣接しているが、それなりに距離があり、滅多な侵攻があるわけではない。攻める理由があまりないからでもあるが。
さて、その話題の西部であるが、西部は帝国黎明期から四つの家が主導権争いを繰り広げていた。すなわち、セクター14のオーデル公爵家、セクター31のリップマン侯爵家、セクター19のバートン伯爵家、セクター20のリノベル伯爵家である。いずれの家もひとつのセクターの顔役であり、最初はひとつのセクターだけの争いだったが、時の皇帝により、それぞれの家は別々のセクターに転封されたらしい。
それですべてが丸く収まればよかったが、そんな都合のいいことは起こらない。転封された後も四家は小競り合いを繰り返し、時にセクター間を超えた抗争や、経済戦争をしているのだと言う。
むしろ彼らを転封させた皇帝はひとつのセクターで収まっていた問題をより拡大させてしまったと言える。まさに歴史に残る失敗だろう。
ちなみになぜセクター14のオーデル公爵家が西部の争いに加わっているのかと言えば、もともとオーデル家がセクター20に領地を持っていたからだ。そんなわけで、もう土地柄上、関係ないのにオーデル家は他の三家と争っていた。
実に馬鹿馬鹿しいことこの上ない話だ。
「そ、そういった争いが日常化しているとはいえ現在は安定しており、あからさまな争いなどには発展していません。ほんの数十年前はバルトアンデスの侵攻もありましたし」
戦艦ヒッタイトの艦内に設けられた俺の居室でゼルドリッツが補足する。ゼルドリッツの話を聞きながら、俺はテティスが淹れた紅茶に口をつけた。驚くほど味がしなかった。
ゼルドリッツ兄上の話すバルトアンデスとは、宇宙を放浪する遊牧国家だ。その勢力は強大で、国境周辺のセクターは常にその危機にさらされていると言ってもいい。数十年前も西部の星系を求めて帝国と戦争をしたばかりだ。
だから俺は今回、少し警戒して護衛を含めた一万隻の艦隊で西部入りしている。目的地はセクター20にある。リノベル伯爵の領地だ。
「しかし、陛下。一万もの艦隊が勝手に自領に入ってきて、かの摂政は許すでしょうか」
表向きはただの内戦だが、実態としては俺の支配域とソフィアの支配域で帝国は二国化している状態だ。言うなれば俺が西部に行くというのは入管の許可なく他国に土足で踏み入る行為に等しい。
ゼルドリッツ兄上の発言はそれを危惧してのものだ。俺も当然、そのことは計画に織り込んであった。
「問題ありませんよ、兄上。艦隊のほとんどは西部境界の軍事基地に残し、こちらは千隻程度で秘密裏にリノベル伯爵の領地に入る予定ですから」
そのための偽装身分も用意しています、と俺は胸を張った。それを聞いてゼルドリッツ兄上も安心したのか、張り詰めていた表情を綻ばせた。
安心した様子の兄上の顔を見て、俺も肩の力が抜け、ようやく安心して紅茶が飲めた。四六時中、パニックを起こしている兄上とお話しするなんて、面倒くさいことこの上なかった。
*
話が終わり、ゼルドリッツはおずおずとレアンの部屋を出た。見送ったのはラナだ。いつもの白髪ではなく、黒髪に染め、赤目のコンタクトを入れ、肌を褐色にしていた。
「お部屋までお送りします、ゼルドリッツ殿下」
「いえ、いえいえ。そこまでしてはレアン陛下に申し訳ない。それに最近はまるで歩いておりませんで。少しは運動しないと生活習慣病になりますよ、と言われて」
「そうでございますか。失礼いたしました」
そう言ってラナは頭を下げた。ゼルドリッツは改めて彼女を一瞥し、ふと覚えた疑問を口にした。
「ひとつ、聞きたいのだが何故、貴殿はレアン陛下に従っているのだ?」
「それは、皇帝陛下がその寛大な御心によって私を重用なさってくださったからです」
「それだけではないように私には見える。少なくともただの慈悲だとか、ならチェネレント人をかくも大量に陣営に登用しないはずだ」
ゼルドリッツの言葉にラナは、心の中で「ですよねー」と苦笑した。
現在の戦艦ヒッタイトの艦長はチェネレント人だ。他にも多数のチェネレント人が要職に就ている。レアンの支配域を見れば、いっそう多くのチェネレント人が武官、文官はたまた、民間企業の重役として働いている。
必然、被差別階級であったチェネレント人の登用は多くの軋轢を生んだ。例え彼らの能力は一級品であっても、根底にある差別意識や被差別意識を塗り替えることはできないのだ。
「レアン陛下は開明的なお方であらせられます。我々臣下がその胸中を推し量ることはできかねます」
「それは、そうでしょうな。少なくとも臣従を誓った私をいまだに兄上、兄上などとお呼びになるお方ですから」
「やはりご不快にお思いですか?」
ラナの問いにゼルドリッツは失敗した、とあからさまに顔に書いた。皇帝への叛意と捉えられかねないかもと危惧して青い顔を浮かべるゼルドリッツにラナは一礼した。
「陛下はあまりそういったことを気にされないと思います。少なくとも、呼び名を気にされている程度で立腹はされないかと」
「いやいや。そうだろうか。そうだろうか?」
「気になられるのでしたら、今お聞きしましょうか?」
「いや、それはそれはダメ!!絶対にダメだ。これはここだけの話にとどめていただきたい」
かしこまりました、とラナは一礼する。おっかなびっくりしながら帰っていくゼルドリッツを横目で見つめながら、ラナはいつもの通りにレアンの居室へと帰っていった。
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