アンディーク星系
銀河帝国の首都星は首都圏にある。銀河の中心であ中央星系、その外縁である近縁星系までを首都圏とし、それよりも外は外縁星系、最果てを辺境星系という。
アンディーク星系は辺境星系にある。要するにど田舎ということだ。日本で言うなら、離島とか山奥とかそんなイメージである。
辺境のど田舎であるアンディーク星系ははっきり言えば、全く発展していない。首都星が鋼の星、惑星を何重にも覆うほどの多層構造になっていて、元の惑星以上の体積になっているのに対し、アンディーク星系の居住可能惑星は地表が露出しているのはもちろん、行政庁が置かれているアーコロジーを除けば、ほとんどが開発されていない。
敢えて言おう。ものすごく退屈な惑星であると。
そのアンディーク星系になぜ俺が、銀河帝国皇帝がいるのか。首都星でのうはうは生活はどうなったのかと。
追放された。一言で言えばそう、追放されたのだ。
俺は皇帝だが、皇帝としての権力はないに等しい。実権は母のベラとその家族や家臣団が握っていた。それ自体は俺が望んだことでもあるし、そもそも幼少の皇帝に政治をさせようなんて思う人間もいなかった。だから最初はそれでうまくいっていた。
しかし歯車はどこかで狂うもので、在位からわずか3年、俺を廃して別の皇帝を据えよう、という勢力が台頭し、そいつらが起こしたクーデターに流される形で、俺と俺の家族は辺境のこんなど田舎にまで逃げてきた。
俺を首都星から追放したのはウォルズ家だ。継承権第2位の皇子を抱えていた家だ。そのウォルズ家の女傑、ソフィア・ウォルズ・ソル・アルクセレスが第2位の皇子を擁立させ、俺を排除しようとした。
主だったベラの家臣団や家族はソフィアによって殺され、あわや俺も殺されそうになった。しかしそれに待ったをかけたのがセドリックらをはじめとした他の皇子やその実家だった。
共同統治者という形で俺と第2位の皇子それぞれを皇帝として擁立させることで、手打ちにしたのだ。
最初にことわっておくと、別にこれは情けとかではなく、単にソフィアがここで俺を殺せば、同じことをソフィア自身がされるかも、とソフィアが危惧し、それにセドリックらが同調したからに過ぎない。言ってしまえば、未来の自分を守るための布石と保険だ。
「はぁ。クソ。ネイズラハットのやつ」
アーコロジーの一角には俺と俺の家族が隠れている屋敷がある。宮殿と比べれば小さく手狭だが、文句を言うことはできない。
その屋敷の一角にちょっとした庭園がある。庭園と言ってもプレイパークのようなもので、花壇があったり、泉があったりといったことはない。そこのちょっと小高い丘の上にある巨木の根本に背中を預け、俺は一人で不貞腐れていた。
元いた庭園でも同じようにしていたことがある。大抵は勉強が嫌だったときだが、今回はなんとなしに生きるのが嫌になった。
「追放されてうはうはライフではないよなー」
アンディーク星系に逃げてきた俺達の生活は激変した。屋敷が小さくなったこともそうだが、一人一宮殿だった生活が一人一部屋に、たくさんいたメイドはほとんどいなくなり、騎士もまた護衛を除いて全員がエールマン家を去った。
なんならその護衛の騎士も何人かいなくなった。逃げたり、寝返ったりとかではなく、俺の兄弟を守るために死んだのだ。前世の自分を見ているようで、彼らが死んだと聞かされた時はさすがに胸が苦しくなった。
なんで他人のためにそんなに命を無駄にするのか、と。
「——陛下、侍女長のアリーナ殿がお呼びです」
「キリル。俺はすごく不機嫌だ。悪いけど、侍女長には」
「なんでも、贈り物がある、と」
「爆弾でも送ってきたか?」
「いえ、そうではありません」
俺を呼びにきたのはキリル・イト・イクスだ。
俺の意地の悪い冗談にもキリルは真顔で答える。その体にはところどころ裂傷の跡があり、右手は義手になっていた。
俺が皇帝になった後、キリルは俺を庇って爆弾の直撃を受けた。かろうじて生き残ったが、再生治療が困難なほどの傷だったため、彼の右手は義手に、右半身は人工臓器に移し替えられた。
俺が爆弾と口にして、キリルは少しも嫌な顔をしない。むしろ、俺を守って死ぬのが当たり前と考えていそうで、なんだか怖かった。
「まぁいいや。案内してくれ」
「かしこまりました」
キリルに案内され、俺は屋敷の一角にある応接室に入った。入ってすぐ、俺は目を見開いた。
アリーナの隣にはよく見知った顔があったからだ。
「せ、先生?どうしてこんな辺境に?」
先生ことヴェロニカ・イト・カウシルは驚く俺を見てはにかんだ。その出たちは宮殿で見たものよりも少しだけ見窄らしくなっていたが、凛々しさは1ミクロの狂いもない。まさに気高い女性騎士という感じだ。
「アリーナに呼ばれたのです、陛下。今一度、陛下に剣術とアステラについて指南せよ、と」
「それは、願ったり叶ったりですが。でも、よいのですか?俺は皇帝と言っても名ばかりですよ?」
むしろ、いつ暗殺されてもおかしくない。俺が生かされているのはソフィアには政敵がいるからだ。俺を攻撃した隙を狙って、今度は自分が権力を簒奪されるかもしれない、と危惧する彼女は今は首都星で権力闘争に明け暮れている。
しかしそれも10年、20年と経てばどうだろうか。銀河世界の人間の時間感覚が前世に比べ、いくら大雑把だろうと、やはり10年、20年も経てば権力闘争くらいは終わっている。
そんな俺に剣など教えていいのか、と問う俺に先生はかまいませんよ、と即答した。
「いざとなればセドリック殿下や、他の皇族の方を頼ります。これでも帝国の騎士ですから、士官の先はいくらでもありますよ」
「そう、ですか。ならいいのですが」
「はい、でん、いえ陛下。日取りはいつがよろしいでしょうか」
そうだな、と腕を組み、俺はアリーナを一瞥する。今ではこの屋敷の侍女長を務めるアリーナは俺や俺の兄弟のスケジュールを把握している。剣術の訓練を挟む余裕はあるか、と目で訴える俺にアリーナは首肯した。
「現在の陛下であれば、それほど勉学に時間を割く必要もないでしょう。お好きなだけ、剣術に打ち込めるでしょう」
「それは重畳。ではさっそく、稽古を始めましょう」
そして俺と先生の稽古の日々が再び始まった。
稽古が始まってすぐ、俺は先生に模造剣で殴られた。長い間、剣を握ってこなかったせいで、タコ殴りになった。
「とりあえず、基礎から覚え直しましょう」
キリルに抱え起こされた俺は、はい、となさけなく項垂れた。
*
稽古が終わると、今度はアリーナによる勉強時間だ。統治についてあれこれと叩き込まれた。
「陛下、一般に帝国では貴族が惑星を統治します。ですが、一部には例外もあり、適した貴族がいない場合は、帝国政府の高級官僚が代官として惑星を統治します。中には星系全体を統治する場合もございます」
アンディーク星系は後者で、帝国の代官が統治している。代官の主な仕事は徴税だ。ざっくり言えば、惑星の人間から税を搾り取る仕事だ。
この場合、代官は領地を発展させたりしない。自分の給金に直接反映されるわけではないし、そもそも辺境の星の代官は窓際部署だからだ。
「代官が統治する惑星は概ね、発展レベルが著しく低く、中には先史文明の技術レベルの惑星も多く存在します。そうですね、わかりやすく言えば、ガソリン車だったり、蒸気機関車だったりでしょうか。それらを移動手段としているそうです」
「なんでそんなことするんだ?領地を発展させた方が中抜きできる税収も増えるだろ?」
暗黙の了解、公然の秘密とでも言うべきか、帝国の代官が中抜きをして、政府に納税をしているのは周知の事実だ。本来得た税から納税分を引き、あまりを自分の懐に収めるのだ。
アリーナは俺の疑問に苦い顔をする。彼女からすればまだ子供の俺が、大人の汚い側面に理解を示しているのが苦々しいのだろう。
しかし俺も一度は悪逆皇帝を目指した身だ。多少の汚職や脱税は見逃すべきという考えがある。もっとも、俺から税金をちょろまかしたりなどすれば問答無用で処刑ではあるが。
そんなことを考えていると、アリーナが俺の質問に答えた。
「端的に言えば、代官には領地を繁栄させることで得る利益がないのです。代官には三権のうち、徴税権しかありませんから」
三権とは帝国貴族に与えられる基本的権利だ。徴税権、統治権、相続権の三つである。
徴税権は税を徴収する権利、統治権は惑星を統治する権利、そして相続権は惑星や星系といった領地を相続させる権利だ。代官に与えられているのはこの内、徴税権だけで、統治権はあくまで委任でしかなく、いわんや子や孫に土地を相続させることはできない。
「まして代官は任期制です。十数年もすれば離れる土地のためにわざわざ労力を割くような人間はおりません」
いっそ一代貴族として迎えてやってもいいんじゃないか、とアリーナに言ってみたが、彼女は渋い顔をして両手で大きくバツマークを作った。
「準男爵として登録する手がございます。準男爵と騎士は一代貴族としての権利を得ますが、すでにそれが形骸化している以上、ここで新たに準男爵を増やすことは帝国にとってなんら利益をもたらしません」
「準男爵って一代貴族なんだな」
「はい。ですが貴族は貴族です。帝国政府に抗議する権利がありますし、集まればその力は無視できません」
「へー。それは。面白そうだな」
「何が面白いのかはわかりませんが、本日のお勉強は以上です。そろそろ夕食のお時間です」
*
夕食は家族全員で取る。そう決まっているわけではないが、屋敷が狭いため、必然と家族全員で夕食を取るようになっていった。
長いテーブルの上座に俺が座り、その両脇にベラと長兄であるジェイムズが座る構図。残りは出生順にならんで座る。
しかし今日のテーブルには、俺以外に席に着いたのはベラとジェイムズ、そして姉妹達だけだった。
「ジェイムズ兄上。レイモン兄上とベンサム兄上はどうされたのですか?」
「外で食べてくる、と」
「そうですか」
兄弟同士なのに他人行儀っぽいな、と思った。ジェイムズの態度もそっけない。いや、ジェイムズだけではなく、俺の兄弟はみんな俺に対してどこか距離を置いていた。ジェイムズはまだマシな方だ。
わからない話でもない。
俺の元々の継承権は140位だ。ジェイムズは4位で、その下の兄弟姉妹はアリンを除けば全員が俺よりも継承権の順位が上だ。それにも関わらず、ベラは俺を皇帝に推挙した。まだ成人していない俺は操り人形として最も適していたからかもしれないが、それなら、リリシアやアリンもいた。
俺が選べれたのは偶然だと傍目から見られるだろうし、それは身内である兄弟達にしてもそうだろう。だからこそ、ただの偶然で皇帝になることが気に食わないというか、面白くないのだ。
「今日の魚は美味しいですね」
「そうね」
母親の態度もそっけなかった。ベラはこの屋敷でずっと引きこもっている。たまに外に出ることはあるが、すぐにまた屋敷の中にこもってしまう。瞳に覇気はなく、豊満な体も萎んだ風船のように、日に日にしなびていた。
陰鬱と形容していいだろう。俺の家族を表現する言葉としては最も適している。
そのうち、身内が毒殺でもしてくるんじゃないかとすら思えるほどに、最悪な空気が我が家には立ち込めていた。
*