緊急事態
「陛下、反省なさいましたか?」
風呂上がり、三週間振りの風呂に俺は涙していた。ラナは俺ほど涙していなかった。
日本出身の俺からすれば風呂には切っても切れない縁がある。言わずもがな、俺がイタリア人でもだ。
落語の「たちきれ」ほどひどい蔵生活ではなかったが、それでも風呂に入れない、シャワーもだめ、歯磨きもだめ、となると身体中のあちこちがむず痒くて仕方ない。口の中もぐちゃぐちゃのガムになっているようで気持ち悪かった。
兎にも角にも謹慎部屋生活が終わった俺は盛大に風呂を満喫した。この世界ではジャグジーが一般的で、長風呂は一般的ではないらしいが、俺は俺だ。皇帝である俺がやること、それすなわち王道、正道、絶対常識である。
久々の風呂は心が温まった。身体以上に心が休まったのだ。足先から指先まで、じんわりと温かさが伝わり、肩まで浸かれば甘露の極みだ。
「あー極楽極楽」
結局、1時間くらいずっと湯船にいた。前世だとそんなに長い間入浴していたら、色々と言われるが、この世界のこの身体なら、そんな心配はない。いい汗をかいた、と俺が脱衣所で冷えた氷水を飲んでいると、半眼になったアリーナが脱衣所に入ってきた。
反省したか、と聞かれ、素直に俺は頷いた。それはよろしかったですね、とアリーナは満面の笑顔で応えた。
クソ、これがアリーナでもなければアステラ能力の実験台にしていたぞ。
「陛下、湯上がり早々で申し訳ありませんが、実はこちらの手紙をお預かりしております」
差し出されたのは一枚の紙を二つ折りにしたものだ。手紙というか、メモに近い。受け取って、中身を改めた。
「クリント達からか。それにしても汚い字だな」
アンディーク少年自警団のやつらはみんな、貧民街出身だ。文字の読み書きなんてできる学はない。きっと貧民街の誰か、文字が書ける奴に書いてもらったんだろう。
「——マジか」
気になったのか、ラナが隣から手紙を覗き込んだ。というか、バスローブを着ているとはいえ、なんで羞恥心とかなく俺と同じ脱衣所にいるんだろうか、こいつは。
「ロアが捕まった?」
「それも代官にな」
手紙の内容をかいつまんで説明すればこうだ。ロアがノースガーター一派の残党に捕まった。しかもノースガーター一派は代官を味方につけている。
「手紙はいつ?」
「10日前でございます、陛下」
クリント自身が屋敷に来るということもできただろうに、それをしなかったってことは相当切羽詰まっている感じか。まずい状況だな。
「すぐに出かける。俺の道具を用意しろ」
「かしこまりました。しかし、いずこに行かれるのでしょうか?」
「貧民街だ。仮にも俺の部下だ。それが助けを求めているんだ、助けてやるべきだろう?」
アリーナは目に見えて嫌そうな顔を浮かべた。何を言いたいのかはわかる。あんまり下々と関わるべきではない、とか言うのだろう。けれど、これは俺が玉座を取り戻すために必要なことだ。
「クリント達は今の俺の数少ない戦力だ。助けなければいけない。業腹だがな」
「陛下のおっしゃられること、まことにその通りかと存じ上げますが、それでしたらわざわざ陛下が出向かれることはないのではないでしょうか?」
一理ある。そういえばなんで俺がわざわざ貧民街に行かなくてはならないのだろうか。俺は主人で、あいつらは部下だ。少なくとも俺の認識では。
「そうだな。むしろ、俺があいつらを呼びつける方が筋だな。ラナ、すぐにクリント達をここに集めろ」
「へいか、それはきゅーむですかー」
「急務だ。ほら、早くしろ。リムジンでもなんでも使って、さっさとここに連れてこい」
はぁ、とラナはため息を吐く。皇帝の前でする行動ではないが、俺は寛大だ。お目溢ししてやろう。
「りょうかいしました、へいかー。すぐにクリント・カムシをこの屋敷につれてまいりますー」
「ああ、そうしろ。それと、来る時は身綺麗にしろ、とも伝えろ」
「無理では?」
とたんに棒読みをやめ、ラナは真顔になった。
*
クリント達が屋敷に到着したのはそれから6時間ほど経ってからだった。汚い身なりの彼らが着たため、俺は眉をひそめた。
「すぐに風呂場に放り込め。汚い」
貧民街ならいざ知らず、ここは俺の屋敷だ。俺の前で汚い格好のまま現れるなど、不敬にもほどがある。かしこまりました、とアリーナは一礼し、すぐさまクリント以下5人の浮浪児を浴槽に放り込んだ。無論、俺が使う浴場ではなく、使用人用の風呂場だ。
身綺麗になったクリント達は古着に袖を通して、俺の前に現れた。一応は客人ということで、それなりの料理を作らせ、彼らを歓待した。
「久しぶりだな、クリント。今日はわざわざ、出向いてもらってすまなかったな」
名ばかりの謝罪をするが、クリント達はそんな俺の貴重な謝罪など聞いていなかった。初めて見る俺の屋敷の内装に、料理にただただ驚いている様子だった。
「お前、本当にいいとこのお坊ちゃんだったんだな」
「俺は皇帝だぞ?いいとこのお坊ちゃんなんていうチャチな表現には収まらない」
「いや、皇帝って。皇帝なら首都星でふんぞり返ってるもんだろ?」
「事情があるんだ。まぁそんなことより、ロアが攫われたってのは本当か?」
俺の問いにクリントは食事の手を止め、ああ、と言った。
「なにか、証拠があるってことか?」
「そうだ。11日くらい前だったかな。俺らのアジトの前に包み袋と一緒に手紙が置いてあったんだ。包みの中身が、その。ロアの目だったんだ」
どうしてロアの瞳だとわかったかは簡単に想像がつく。チェネレント人の銀色の瞳は、この銀河世界広しといえど、彼らだけの特徴だ。その上ロアが行方不明となれば容易に彼女の目だと推測できるわけか。
「目は片目か?それとも両目?」
「片目だ。それが、どうした」
「再生治療をするなら、片目の方が安く済むんだ。それを確認したかっただけだ」
俺が使える金は限られている。月々の小遣いは宮殿にいた時と比べ、大幅に減らされていた。
そんなのは嫌だ、と兄弟達は現地のヤミ金から借金をして生活している。もう少し俺の慎ましさを見習って欲しいものだ。
まぁそんな話は今はどうでもいい。本題はどうやってロアを助け出すかだ。
「ロアが代官の手元にあるのは確定なんだな?」
「それは間違いない。ちゃんと調べた」
クリント曰く、アーコロジーの中を調べまわったらしい。子供だからこそ侵入できる場所というのがあるそうだ。
おおかた、代官の部下の話をどこかしらで盗み聞きでもしたのだろう。子供の前なら、と大人はすぐに口紐が緩むものだ。
「となると、すぐに動く必要があるな。どうしたものかな」
「協力してくれるのか?」
クリントが身を乗り出す。期待が目に見えて瞳の色に出ていた。すぐに俺はその間違いを訂正した。
「違うな。協力してやるんだ。くれるとやるの違いはもちろん、わかっているな?」
くれるとは善意だ。ボランティアだ。対して、やるは取引だ。善意とは程遠く、悪意に近い。そしてその悪意をクリントは受け入れざるを得ない。
「——なにをすればいい?」
「単純だ。例の件について真剣に考えて欲しい」
「あんたの仲間になるって話か」
「正しくは俺の下につくって話だ。最初からそう言っている」
クリントは真剣な眼差しで俺を見つめた。押し黙る彼に代わってクリントの隣の席に座っていたジュリアスが声を上げた。
「おい、クリント!こんな奴の話に乗る必要なんてない!!ロアなら俺達だけでも救出できる」
「へー?代官はお前達を敵と認識しているのにか?」
代官とはこのアンディーク星系の実質的な支配者だ。武装だってノースガーター一派とは比べものにならない。レーザー銃はもちろん、その防護装備だって持ってるだろうし、一層強力な兵器を持ち出してくる可能性がある。
子供だけで太刀打ちできる相手ではないことは明白だ。それを俺が懇切丁寧に説明してやると、ジュリアスはうるさい、と声を張り上げた。
「上から好き放題言いやがって!お前の言うことなんて信用できるか!!」
「じゃぁ、誰を信用する?誰を信頼できる?お前達だけで、ロアを助けられるわけないだろ」
「やってみなくちゃわかんないだろ!!」
「無理だな。少なくとも、素手の俺に勝てないお前には絶対に無理だ。それとな、俺に対してその口の利き方はどうなんだ?ここは一応、俺の屋敷だぞ?」
ガチャリと扉の方から音がした。扉の近くに立っていたキリルが腰の剣を鳴らした音だ。いつでも殺せるんだぞ、と脅しをかけると、ジュリアスは俺を睨みながらも、口をつぐんだ。
気分がいい。こうやって暴力で誰かを屈服させるというのはなかなかにいい気分だ。子悪党の命乞いを聞くより、ずっと悦に浸れる。
何度もこんな気分を味わったら、なるほど前世で俺を散々弄んだ「先生」の出来上がりというわけか。それに思い至ると急激に感じていた熱が冷めていった。
「——それで?どうする、クリント。こいつらのリーダーはお前だろ?お前が決めろ」
クリントは額に汗を滲ませていた。色黒だからか、キラキラとそれは光っていた。
「お前の下に付けば、ロアは助かるのか?」
「確約する。そればかりか、この星系を発展させてやるとも」
「わかった。俺達はお前の下につこう。いや、つきます」
「別に今更敬語なんて使わなくていい。今まで通りで構わない」
クリントの周りの奴らは考え直せ、と連呼する。だが、クリントの意思は変わらないようだ。なかなかどうして意思が固い。
「それじゃぁ早速、ロアを救出するための準備をしよう。——キリル、アブ・ベーコンに連絡を取れ」
「かしこまりました、陛下。何を申しつけましょうか?」
「子供でも使えるレーザー武器を用意しろ、と伝えろ。それと断熱装備もだ」
「御意。早急に手配いたします」
キリルは騎士礼をすると、部屋から出ていった。クリントが俺を不思議そうに見つめた。
「何をするつもりだ?」
「簡単だ。夜襲をかける」
*




