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謹慎部屋での生活

 ドナンを殺した俺はさっさと屋敷を出た。幸い、ドナンの部下は大半が火事の消火に出払っていたようで、出る時はほとんど誰にもすれ違わなかった。


 おかげで無事に外でクリント達と合流できた。


 「ドナンを殺した?確かか?」

 「ああ、確かだ。首の写真でも見るか?」


 なんて言っているが、写真なんて撮っていない。そもそも、携帯電話も持っていない。だから、写真を見る、と言ってきたので、ごめん実はない、と答えた。


 「——にしてもさー。これはやりすぎじゃない?」


 振り返ったクリントは燃え盛るノースガーター一派の屋敷を見つめていた。メラメラ、ガラガラと崩れ去っていく仇敵の牙城、それを感慨深げに見ていた。


 やりすぎ、というが果たしてそうだろうか。これだけやってドナンの首一つしか戦果はないのだから、むしろ消極的すぎたくらいだ。


 それを言うと、クリントは渋い顔をして、見ろよ、と燃え移ったプレハブ小屋を指差した。


 屋敷から燃え移った炎に巻かれた貧民街の住民が逃げ惑っていた。すごくかわいそうだ、と思った。


 「——炎、思ったよりも強かったんだな」

 「それだけか?もう少しなんとかできなかったのか?」


 「まさかここまで炎が広がるなんて予想外だった。ただ、まぁ大丈夫だろ」


 ほら、と俺を空を指さした。炎によって起こった積乱雲が雨雲を起こし、慈雨を降らした。雨が降り注ぎ、炎が少しずつ勢いを殺していった。


 「な?この雨が降り続ければ炎だって鎮火する」

 「どうだか。三日三晩降る雨なんて聞いたことないぞ?」


 俺も聞いたことがない。ノアの大洪水じゃあるまいし、そんな都合のいいことは起こらない。だけど、これだけ激しい雨だ。きっと思っているよりも早く鎮火するに違いない。


 「——なーんて思ってたんだけど、降るもんなんだなー」

 「ほんと、火炎瓶ってすごーい」


 屋敷の謹慎部屋にある窓から人工空の向こう側に浮かぶ灰色の雲を眺めながら、俺とラナは互い互いに感想を漏らした。雨は三日三晩どころか一週間も降って、なお止むきざしを見せなかった。


 あのあと、アーコロジーに戻った俺とラナを待っていたのはアリーナによる厳しい、厳しい折檻だった。両手を前に出させられ、バンバンと鞭で叩かれた。勉強漬けの日々、囚人向けのベッド生活、地獄の貧食待遇。おおよそ、皇帝に対する待遇ではなかった。


 「貧民街がお好きなのでしたら、貧民街式の待遇はいかがですか?」


 アリーナは俺をこの謹慎部屋に入れる時にそう言った。衣服は貧民街に行った時のまま。靴もだ。風呂どころかシャワーもない。香水もない。歯ブラシも歯磨き粉もない。


 「お食事と勉強道具が用意されるだけマシかと思いますが?」


 笑顔の裏側に般若の仮面を隠しながらそう言って、アリーナは俺の剣とリーディングデバイスを丁寧に回収していった。おかげで洸粒を利用した脱獄もままならなかった。


 「あー退屈。もう勉強飽きたよー」


 アリーナが持ってきた参考書を壁に向かって放り投げた。帝国の一流大学の経済学の基本教科書らしいが、今の俺には簡単すぎて眠気すら覚える内容だ。


 いっそ帝国大学の論文でも持ってこさせるか、と思っていた矢先、屋敷の窓を叩く音がした。俺が窓に駆け寄るより早く、ラナが窓を開けた。


 窓を開けるとぴょこんと白髪銀目の少女が顔を出した。一応、屋敷の五階なのだが。


 「クリントかられんらく。ノースガーター一派の残党狩り、じゅんちょーだって」

 「それはよかった。このまま全滅してくれるといいな」


 屋敷に戻る前、俺はいくつかクリントに指示を出した。その一つがノースガーター一派の残党狩りだ。リーダーを潰されたあいつらがどんな行動に出るかがわからない。だから、ことごとくぐちゃぐちゃに潰してやる必要があった。


 その進行を確認するために屋敷と貧民街を出入りするのが目の前の少女、ロア・トラカトキンだ。ラナを少し幼くした外見の少女で、見ての通りチェネレント人だ。


 「にしても本当にレアンて屋敷でかいんだね。驚いちゃった」


 部屋の中に入ってきたロアは俺の今いる謹慎部屋を眺め、は、と嘲笑った。


 クソ、俺の現状を笑いやがって、このクソガキ。


 ラナほど無愛想ではないけど、このいじめっ子気質はどうにも好きになれない。やっぱりキリルだ。キリルみたいな仏頂面がいい!!あの忠誠心の塊みたいな感じがいい!!


 「他になんか報告することってある?」

 「そうだね。あ、一番の幹部のジョン・バールがまだ逃げてるってさ」


 誰、と聞くとロアが自分を捕まえた奴だ、と答えた。ノースガーター一派で一番の武闘派だったらしい。


 「そんな奴がまだ逃げてるのか。大変だな」

 「クリントと互角だからね。ジュリアスさんもすぐに倒されちゃったし」


 「クリントは呼び捨てなのに、ジュリアスはさん付けなんだな」

 「クリントはさん付けしなくても怒らないし。ジュリアスさんはなんていうか、その。ちっちゃいから」


 なにが小さいのかは聞かないでおこう。ジュリアス何某の沽券のために。


 「さ、それじゃぁそろそろ帰ってくれるか?さすがにそんなに長い間、キリルとジョナサンも見逃さないだろ」


 この一週間の間、ロアは何回もこの屋敷と貧民街を行き来していた。その時にロアは侵入者として見つかっている。俺の身内とわかってからは意図的にお目溢しされているが、それに限界があった。


 「ちょっと待って。このケーキ食べてから帰るから」


 今ではケーキまで用意されている。むしゃむしゃとロアは美味しそうにケーキを頬張っていた。



 ケーキを食べ終わり、ロアはレアンの屋敷を出た。正門からではなく、鉄柵の隙間からこそこそと。


 屋敷を出たロアは繁華街へと足を運んだ。繁華街を出入りする運送車、それの一つが貧民街に向かうからだ。


 繁華街はアーコロジーの一角にある商業施設や飲食店が立ち並ぶ場所でどこを見ても綺麗な服や美味しそうな食べ物で溢れていた。歩いている人達も煌びやかな衣装を着ていた。


 そんな場所に足を運ばされて羨まないはずはなく、腹を空かせない道理はない。


 しかし物欲しそうに見ていると、店の人間が出てきて自在箒や警備棒でロアに殴りかかってきた。たまらず、逃げるロアを店の人間はブラッシュ、ブラッシュと怒鳴った。


 ブラッシュとはチェネレント人を差別する言葉だ。彼ら、彼女らの肌や眼、髪色が陶器のように白いことからそう言われている。


 汚れた奴らが洗剤で体を白くして誤魔化しているぞ、という嘲笑も多分に含まれていた。ゆえにブラッシュだ。


 ロアは貧民街で育った。彼女が物心ついた時から、ブラッシュと呼ばれ続けていた。アンディーク少年自警団の仲間はそんなことは言わないが、他所の大人や子供だって彼女をブラッシュと呼んで蔑んだ。


 なんでこんなに嫌われているんだろう、と思ったことは何度もある。けれどロアには学がなかった。学のない彼女には自分達が差別されている理由がわからなかった。仲間に聞いてもなんでだろ、と返された。


 そうやって悶々としている中、レアンとラナに出会った。それなりの身分にも関わらず、チェネレント人を側に置いているレアンは不思議な存在だった。


 クリントやジュリアスはレアンを警戒しているが、ロアはその姿勢を疑問に思っていた。ラナについてもだ。


 なんで、と聞いたことがある。クリントはこうかえした。


 「アイツは俺達とは違う世界の住人だ。だから、俺達とは真の意味で仲間になることはできないんだ」


よくわからなかった。別にレアンが何かしたというわけでもないのに、彼を警戒する意味がロアには理解できなかった。


 考えるのをやめ、スタスタとロアは目的の運送車の発車場へ向かった。その道中のことだ。ふと視線を路地へ向けてみると、見知った顔が見えた気がした。


 気になってロアはその人物の後を追った。後ろ姿に見覚えはないが、顔はどこかで見た気がした。


 「どこだったっけ?」


 直接見たのは一度か、二度だった気がする。ただそれまでに何度か遠目に見たことがある気がする。


 「おい、嬢ちゃん。俺になんかようかい」

 「え?」


 不意に視線を上げると、長身のやさぐれた印象の男が立っていた。無精髭を生やしており、着ている服は繁華街を歩く人達のものよりいく段か劣って見えた。


 「あ、思い出した」

 「奇遇だな。俺もだ」


 ジョン・バール。つい一週間前、ロアを誘拐した人間だ。一瞬しか見てなかったので、今の今まで気が付かなかった。


 「貧民街のガキが、繁華街になんの用だ、ぁあ?」

 「やば、逃げないと」


 「逃げられるわけないだろ」


 逃げ出したロアの襟首をジョン・バールの手が掴んだ。持ち上げられたロアをいつの間にか現れたジョンの仲間が拘束する。もがくが、少女の腕力で大人の手を解くのは不可能だった。


 「さてどうしようかな?」


 ロアはジョンを睨む。ノースガーター一派の残党がまさかアーコロジーの中にいたなんて。それがアンディーク少年自警団の自分を捕まえてやることなんて想像できた。


 「こいつの仲間を呼び寄せるぞ。メンツ揃えろよ?」

 「アニキ、代官様にはどう言いますか?」


 「ちょうどいい。代官様にもお声がけして差し上げろ。こいつらに奴隷の仕入れルート潰されてご立腹で荒らせられたからなぁ」


 変な謙譲語を使うジョンはニヤニヤとした笑みをロアに向けた。その手には手入れがされたナイフが握られていた。


 「信用は大事だよなぁ?」

 「そうっすね、アニキ」


 ロアの顔の向きをジョンの部下が固定する。両目を開き、それが閉じられないようにした。


 「片っ方だけでいいぜ?両方なんてがめついことは言わねーからさ」


 ロアの瞳から涙がこぼれた。


 「ブラッシュで良かったぜ、本当に」


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