騎士の修行
「クソ皇帝!!!クソ、クソッッタレぇ!!!」
屋敷の庭園に巨木がある。俺が昔、勉強を嫌がって寝ていた木だ。その太い枝の一本にジャージ姿のラナは逆さになって吊るされていた。クソガー、と悪態づく彼女を見上げるのは俺とジョナサン、そして彼女指南役に抜擢されたキリルだ。
喚き続けるラナを見て、俺はキリルになんで吊るされているのかを聞いた。キリルはため息を吐きながら答えた。
「訓練の時刻に遅れましたので、反省の意味も込めて吊るしました」
「妥当だな。ラナ、ちょっとは反省しろ」
「5分の遅刻でこれって理不尽だろー!!」
ギャーとラナは叫ぶ。俺とキリルは叫ぶ彼女を真顔で見上げていた。
それこそ奴隷時代は5分遅刻しただけで殴られたり、折檻を受けたりとかもあっただろうに、どうしてここまで気丈に振る舞えるのだろうか。
「あと10分したらおろしてやれ。俺は先に稽古をしてるから」
「かしこまりました。——ラナ・ニキャフ、そういうことだ。あと10分経ったらおろしてやる」
「くそったれがー!!!」
叫ぶラナを無視して、俺はジョナサンと向き合った。今日のジョナサンはいつもと異なり、リーディングデバイスを付けていた。
「今日からは本格的にアステラの修行を行います」
よろしいですね、とジョナサンは確認してくる。俺は無言で頷いた。それを見たジョナサンは俺にリーディングデバイスを渡した。
腕輪型のリーディングデバイスを付けると、ほどなくして俺の体から虹色の洸粒がほとばしった。それが迸り始めると、先生とのあの日の出来事が思い起こされた。
「まずは『発露』のコントロールを陛下は学ばねばなりません。『発露』において、重要なのは体から漏れ出る洸粒をいかにして体に止めるかです」
実践してみせましょう、とジョナサンが言う。ジョナサンの体から俺と同じ、虹色の洸粒が漏れ出した。しかしそれはすぐに経ち消え、わずかな粒さえもなくなった。
「今の私は体の内側に洸粒を止めている状態です。この状態ですと、まず純粋な防御力が上がります。そればかりか、ある程度アステラ能力の作用から身を守ることも可能です」
「つまり、先生もあの日、今のジョナサンみたいにやっていたら俺の能力は通じなかったってことか?」
「可能性はあります。カウシル卿は死亡時、洸粒の収束を解いていらした。あれではアステラ能力に対してほぼ無力でしょう」
それを聞いて、罪悪感が少しだけ芽生えた。俺が不用意に何かしなければ、と。すぐにその気持ちを胸の奥にしまうが、微かな気持ち悪さは残った。
「イメージとしては、そうですね。自分の心臓に向かって身体中の筋肉を寄せるような感覚です。早速、やってみましょう」
言われた感覚はなんとなく想像ができる。脇を締める時と同じ感覚のことだろう。言われるがまま、やってみると、少しだけ漏れていた力が少なくなったように感じた。
不思議な感覚だ。身体中に流れる血管が熱くなっていって、それが心臓を暖かくしていた。
「今、陛下が感じられている感覚が洸粒を体に止める時に感じる感覚です。こればかりは実際に体験していただかないと分かりづらいのが歯痒いところですな」
確かに内に力を集めていくこの感覚を言語化するのは難しい。適した言葉が俺自身、見つけることができなかった。
「洸粒を体に止め続ける戦い方を『静身』と呼びます。静身は防御に適していますが、攻撃には向きません。なぜだと思いますか?」
少し考え、俺はジョナサンの問いに答えた。
「普通の剣で切るのと変わらないからか?」
「はい、その通りでございます。洸粒を体に止める都合上、剣などの武器に洸粒を纏わせることができません。そのため、決定打にかけます。洸粒を武器に纏わせる戦い方、これを『攻身』と呼びます」
そう言ってジョナサンは止めていた洸粒を放出し、持っていた剣に纏わせた。先生が剣に纏わせた時よりも数十倍の密度で洸粒が剣に集まった。
「この状態ですと攻撃力と間合いは伸びますが、防御がおろそかになります。洸粒で盾を作ることもできますが、それは消耗が激しいため、おすすめはしません」
すぐれた騎士はこの静身と攻身を交互に使い分けて戦闘をするのだと言う。そもそも、騎士は剣術の達人で大抵のものは洸粒を纏わせずとも切れるから、攻身を使うのはもっぱら騎士同士の戦いに限定されるらしい。
「さて、ここまでが基礎。ですが、私が陛下にお見せしたいのは基礎の集大成であるもう一つの戦闘方法です」
「それは、なんだ?」
「お見せしましょう。と、その前に陛下、あちらをご覧ください」
洸粒を再び止め、ジョナサンは剣である方向を示した。そこにはいくつか、トルソーが置かれていた。たぶん、俺の姉妹のものだと思う。なんでジョナサンがそれを持っているのかは知らないが。
「距離にしてざっと30メートル。普通であれば届かない距離です」
ですが、とジョナサンは笑みを浮かべ、抜き身の剣を鞘に戻した。直後、ジョナサンは抜剣した。それはとても速く、俺が抜剣したことに気づいた時にはもうすでに結果が出ていた。
はるか向こうにあったトルソーはスパンと切れていた。まるで手品でも見ているかのようだった。
最初は洸粒を剣に纏わせたのだろうと想った。けれど、ジョナサンは洸粒を解放していなかった。それにも関わらず、トルソーは切られた。
「どういうことだ?」
「今、お見せした技が基礎の集大成である『双身』でございます。文字通り、静身と攻身の合わせ技で、緻密な洸粒のコントロールが求められます」
すごい技術だと素直に感心してしまった。確かにこれなら攻撃と防御が同時にできる。なるほど、騎士が歩兵一個大隊と等価と言われるわけだ。
期待に胸をふらませる俺を見てか、ジョナサンは大きく咳払いをした。
「陛下、まずは静身を身につけていただきます。最初は動かないまま、次は走りながら、最後に実戦を交えて静身を行っていただきます。ご安心ください、私も静身をしたまま、修行を行いますので、万が一にも陛下のアステラが及ぶことはありません」
それを聞いて少し安心した。テンパってジョナサンまで肉塊になられてはたまらない。
*
「静身、攻身、双身か。覚えることがたくさんだな」
「楽しそうですね。——あたしは全然楽しくないのに」
今日教わったことを反復する俺を見て、ラナが嫌味を言ってくる。俺と同じようにところどころに擦り傷がある彼女は訓練の時のジャージ姿ではなく、メイド服を着ていた。
ラナの扱いは書類上、俺の侍従だ。アリーナがかつてになっていた仕事をラナが引き継いだ。ただし、アリーナほど気が利くわけでもないし、礼儀作法がきちんとしているわけでもない。実際、アリーナが扉の近くで、ラナをものすごい形相で睨んでいた。
「陛下、本日の新聞でございます。おめどーしを」
パサっと電子新聞が俺の前に投げてよこされた。直後、ラナの首筋めがけてアリーナの鞭が振り下ろされた。
「ぐぎゃ、なにすんのよ、このババァ!!」
「陛下に対して不敬は許されません。いずれ、陛下の侍従武官となるならば、礼儀作法は早い段階で身につけなければなりません!!」
ギャーギャーと言い合う二人をよそに俺は電子新聞を広げた。一見すると見開き1ページだけの短い新聞のように見えるが、リアルタイムで色々なニュースサイトの情報が映し出される優れものだ。ざっくり言えばニュースのまとめサイトのようなものだ。
世間のことをまるで知らないというのは不味いと思い、大体8年くらい前から新聞を取り始めた。まさか、皇帝になってまで新聞を読むことになるとは思わなかった。
紙面を見ると戦争について取り上げられていた。国境付近で起きた戦争は一進一退の攻防を繰り広げているらしい。ソフィアはこの戦争に手一杯でとても俺の暗殺などできないだろう、いい気味だ。
他になにかめぼしいニュースはないかとパラパラと紙面をスライドさせていると、戦時下の財政難に対して、帝国直轄領で増税を行う、と書いてあった。一応、このアンディーク星系も帝国直轄領だから、その対象だろう。
「やだやだ。不景気な話ばかりだな。——それで?そちらの話は終わった?」
「はい、陛下。この娘にはもう少し厳しく指導する必要があると再認識いたしました」
「ほどほどにな。一応は騎士になる訓練を受けてるんだ。反撃されたらアリーナの身が危ない」
「ご心配には及びません。指導の際にはセーベル卿が見張っておりますので」
「なるほど、キリルか。それなら安心だな」
俺の護衛騎士であるキリルは最近はもっぱらラナの教育に奔走している。彼女に肉体強化の施術をする手続しかり、なにかとあればキリルに任せっきりになってしまって、申し訳ないとは想っていた。
それにしても、キリルにラナの教育係を任せたのは我ながらファインプレーだった。標準的な騎士であるキリルは剣術を基礎からラナに叩き込み、そのおかげで彼女はめきめきとこの一年ちょっとの間に力をつけていた。
チェネレント人の血ゆえか、それともラナの才能かはわからない。ただ彼女の実力がめきめきと伸びていったことは俺にとっては喜ばしい。強い駒が手に入るのは大いに結構だ。
*
アリーナを下がらせ、俺はラナと二人きりになった。彼女が消えると、それまでの肩肘を張った空気がよほどきつかったのか、ラナは大きくため息を吐き、俺が普段寝ているベッドに身を投げた。
主君の、それも皇帝の前でする態度ではない。けれど、俺は咎めようとはしなかった。この後、おかんむりのアリーナにラナが折檻されることがわかっていたからだ。
「なんか面白いニュースでもあった?」
アリーナがいなくなったことで敬語を使う必要もないと判断したのか、ラナは砕けた口調で俺に話しかけてきた。
俺は手に持っていた電子新聞を机の上に置き、べつに、と返した。実際、戦争とか増税の話をしてもラナにはピンとこないだろう。
「ねー、レアン。レアンはさー、皇帝になりたいんだよねー」
「俺はもう皇帝だ」
「じゃー。玉座を取り戻したいんでしょ?」
「そうだ。そうしないとお前との約束も履行できないからな」
少なくとも100人単位でチェネレント人を貴族階級に押し上げるとラナには約束した。その約束を果たすためにも玉座を取り戻さなくてはならない。
「今の俺には何もかもが足りない。権力も、武力も。一体どうやってそれを手に入れたものかって毎日思案しているよ」
「ふーん?それならさー。いっそこの星乗っ取っちゃえばいいじゃん。そこそこ大きい星でしょ、ここ」
床を指差しながら、ラナは言う。彼女の提案に俺はため息をついた。
「それができたら苦労はしない。乗っ取るって言ったってどうやって乗っ取るんだ?」
「それを考えるのはあたしの仕事じゃない。ま、せいぜい色んな人に聞いてみたら?」
「提案しといて投げやりだな。けど、まぁ冗談としては面白かったな」
アンディーク星系は複数のアーコロジーに少数が住み、アーコロジーの外に多数が住んでいる歪な辺境の星系だ。必然、外の住民は言い表せない不満を抱いている。
もしそれを利用できるなら、と一度は考えたことがある。民衆を扇動して、代官を討伐する。そしてこの惑星を足がかりにして、帝国首都星を目指す。
そんな妄想を何度かしたものだ。
「現実はそう甘くないもんなー」
仮にアンディーク星系一帯を支配できたとして、発展させるためには内政に力を入れなくてはならない。10年、20年、あるいはもっとかかるかもしれない。その間にソフィアが暗殺部隊でも送ってくればアウトだ。それ以前に代官を殺せるかどうかもわからない。
「けど何もしないよりかはマシか。どーせ、ここで座っててもいいことないし」
よし、と俺は意気込んで椅子から起き上がった。
「ラナ、古着をどこからでもいいからかっぱらってこい」
「なんで?」
「アーコロジーの外に行くぞ」
「はぁ!?」
バカを見る目で彼女は俺を見ていた。
*




