ラナ・二キャフ
不愉快な商談から四日後、アブ・ベーコンは再び俺の前に現れた。相も変わらずぶくぶく太った奴の後ろには手術服に似た服一枚を着せられた白髪銀目の少女、写真にあったチェネレント人の少女が立っていた。
少女はとても汚れていた。顔にはあざもあった。
「ずいぶんと手荒に扱っていたんだな」
「はい、陛下。かなり素行に問題がある奴隷でして。資料にもそのように記したと思いますが?」
「ああ、そうだったな。調教師も匙を投げたんだったか?」
写真と共にアブから送られてきた資料には、目の前の少女は気性が荒く、並の人間では抑えられないのだと言う。大の男、それも肉体強化をされた男がどうにか取り押さえられるほどなのだとか。
「とりあえず、汚れているな。アリーナ、すぐにこいつを風呂場に放り込め。次に俺の前に出す時は汚れ一つ残すな」
アリーナは無言で会釈し、少女を伴って俺とアブの前から姿を消した。アブは不思議そうに俺を見ていた。
不愉快な視線だ。皇帝である俺に実験動物でも見るかのような好奇の視線を向けていた。
「そんなに意外か?奴隷を綺麗にするなど」
「いえ、そのようなことは。一部の貴族様は奴隷を愛妾のように扱いますので。ですが、その」
アブは口籠る。何が言いたのかは想像できた。だが、俺は敢えて意地悪く、アブ自身の口からその言葉を言わせることにした。
「どうした?何か言いたいのか?」
「いえ、その。よもやブラッシュをああも大層大事に扱うようにするとは思いもよらぬことでしたので」
俺が例の少女を妾にするとか思っているのだろう。物好きだな、とでも心の中で俺に唾を吐いているのかもしれない。
「アブ・ベーコン。お前は理解していないな。俺がどうして彼女をそう扱う。せっかくの奴隷だ。長持ちしてもらわなくちゃ困るだろう」
「な、なるほど。いやはや、皇帝陛下の深慮には驚かされるばかりでございます」
「お前からすれば、じゃんじゃんと奴隷を売れなくて口惜しいかもしれんがな」
「いえ、そのようなことはございません。今後ともご贔屓いただければ幸いでございます」
うやうやしくアブは俺に礼をする。この場で蹴り倒してやりたくなったが、俺は自制した。
*
その日の夕方、食事が終わった俺のもとにアリーナが少女を連れてきた。
ジェルやクリームを塗られ、化粧をした状態で現れた少女は見違えるほど綺麗になっていた。その髪色と同じ白いドレスを着せられ、薄い口紅まで付けている。
それでもなお、少女の目つきの悪さは直っていなかった。そこにちょっとした好感が持てたことは俺だけの秘密だ。
「見違えたな。朝方のみすぼらしい姿が嘘のようだ」
少女は喋らない。黙ったまま、俺を睨んでいた。
「言葉が喋れないのか?失語症という報告はなかったが」
わざとらしく俺は印刷した資料を仰ぐ。少女はまだ俺を睨んでいた。
「喋るのが嫌なのか?一応、俺は皇帝だぞ?」
権力をひけらかすと、少女は怒るでも喚くでもなく、嘲笑をこぼした。哀れなやつを見る目で俺を見た。
「名ばかりのくせに」
綺麗な声だった。ただ吐いた言葉は毒だった。
アリーナが目を見開いて少女に平手打ちをしようと、前に出るが俺は静止する。事実だったし、最初に少女を挑発したのは俺だ。だから俺に毒を吐く権利が彼女にはある。もちろん、限度はあるが。
「知っているぞ、お前は名ばかりの皇帝なんだぞ、あのクソ商人がそう言っていた」
「アブ、か。ふーん。やっぱあいつ殺すか、いつか」
アブが俺を馬鹿にしていた、と少女は言うが、そんなことはわかりきっていることだ。わざわざ言われずとも、誰でもわかる。
ドアの近くに控えるアリーナは鬼の形相で少女を睨んでいた。俺に対して敬語でない、礼儀がなってないからだろう。しかし俺は気にすることなく、話を進めた。
「ま、それはおいおいやるとして。そろそろ自己紹介でもしようか。俺はレアン・ハイラント・ソル・アルクセレス。この銀河帝国の第10代皇帝だ。お前の名前は?」
「は。名前なんて」
「必要だろ、名前。それとも俺にずっとD50-219とか呼ばせるつもりか?」
嫌だぜ、俺は。前世での囚人生活を思い出してしまうし、何より名前を呼ばないっていうのは存在の否定だ。だからできるだけ名前を呼びたい。
「味気なさすぎるだろ。名前があるなら名前で呼ぶのが俺の流儀だ」
もちろん、ムカついたやつは除く。クソジジィとかクソジジィとかクソジジィとか。
名前を呼びたい、という俺の祈りが通じたのか、少女は観念して名前を口にした。
「ラナ。ラナ・ニキャフ」
「じゃぁ、ラナ。ここにあるのはお前の所有権を示す契約書だ」
俺はラナを受け渡される時にアブから手渡された契約書を彼女に見せた。文字が読めないのか、彼女はそれを見せられてもきょとんとしていた。
「これがある限り、俺はお前の所有権を主張できる。未来永劫な。——くだらな」
ビリッと俺は契約書を破いた。ラナは瞠目し、信じられないものを見る目で俺を見た。
「はい、これで俺のお前に対する所有権は喪失しました。——さーて、と。これからどうする?」
「は?なにが?」
「奴隷だったから、俺はラナをこの屋敷における。けど、奴隷でなくなったら、それは無理だ。帝国人が嫌うチェネレント人だからな、ラナは」
「自分で買っといて、その言い草?」
「俺が俺の所有物をどう扱おうと俺の勝手だ。それで、どうする?奴隷でないなら、もう屋敷にはいられないぞ」
ラナは俺を睨む。このクソ野郎、とでも思っているのだろう。
ラナは今は奴隷ではない。一見するとそれはいいことのようだが、実は違う。被差別種族であるチェネレント人が裸一貫で辺境の惑星に放り出され、果たして無事でいられるか?
否。おそらく不可能だ。すぐに捕まって、殴られてボロ雑巾になるのがオチだ。
それをラナもわかっているのだろう。俺をものすごい形相で睨んでいた。
「なにをすればいいの?」
「なにも。ただ、俺はラナに俺の部下、いや違うな。うーん、友達?親友?まぁ、とりあえず、俺の仲間になってもらいたいなーってだけ」
「は?なにそれ」
「俺はいずれ玉座を奪還する。そのためには少しでも仲間が欲しい。戦ってくれる仲間が欲しいんだ」
俺の言葉にラナは怪訝そうに眉を寄せた。
「出自は問わないし、性別なんてもちろんどうでもいい。ただ、俺と一緒に玉座を奪還してくれる人材が欲しいんだ」
「わたしがそれだって?頭、大丈夫?ただのチェネレント人なんだよ、わたしは」
「それが?チェンレント人は生まれつき、ミクロコードが活性化している。それは騎士になりやすい人種ってことだ。優遇するだろ、普通?」
騎士やミクロコードという言葉がラナにはよく理解できないのか、彼女は首をかしげるばかりだ。そのあたりはおいおい教えていけばいいか。
「とにかくだ。俺はお前に仲間になってもらいたい。ただ、それだけだ」
ここで断られたら別のチェネレント人を誘おう。ラナはどうしようか。しばらくメイドとしてこき使うか。さすがに殺すのは気が引ける。
「——あんたが皇帝になればわたし達の、チェネレント人の待遇はよくなるわけ?」
「百人規模で帝国貴族として重用できるように善処しよう。それだけの人数を貴族にするとなると時間がかかるがな」
帝国貴族の叙爵権は帝国皇帝が有している。かと言って好き勝手誰も彼も貴族にできるわけではない。叙爵する上で監査機関は当然存在するし、それを押し通してまで叙爵しようとすれば、人心も離れかねない。
つまり、暗殺のリスクが高まるわけだ。
「意外と帝国皇帝って自由じゃないよな?」
「なに?何が、自由じゃないって?」
「いや、なんでも。——それより俺の仲間になるって話はオーケーってこと?」
独り言をごまかし、話を軌道修正する。ラナは無言で頷いた。
「じゃぁ、ラナにはこれから騎士になるための修行をしてもらう。気にするな、ちゃんと先生は用意してやる」
それを聞き、ラナはちょっとだけ驚いた様子だ。
「チェネレント人のわたしが騎士?それってなにかの冗談?」
「俺が求めているのはまずは武力だ。そのために騎士はたくさん欲しい。幸い、チェネレント人は騎士になりやすい体質だからな」
拒否権はない。俺の手を取った時点でラナが騎士になることは確定事項だ。
この詐欺師ー、とラナは去り際に叫ぶが、俺は聞かないことにした。
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