第二話
「んにょっ!」
だから、何なんだよ。フニッとかぐちょっていう効果音何なんだよ!……ん?まて、『んにょっ!』って俺が口から漏らしたくね?効果音じゃないじゃん。え、何、俺、キモいんだけど。
俺が思考を巡らせていると、怒号が鳴り響く。
「せいやぁああ!」
セイヤァアア?
その言葉と同時、俺は海老反りになり体をビクビクと痙攣させた。
局部がとにかく熱い。ていうか、痛い。痛い?なんで痛いんだ?この空間に来てから一度たりとも痛いなんて感じたことがない。まして、熱いという感覚もなかった。
だとしたら、今、体で何が起こっていると言うのだろうか?
開眼し、その回答を確かめる。
「えっ……」
お……おんな……女の子?
髪の毛が肩までかかっているので女の子だろうと浅はかな推測をしたが。男の子が髪を伸ばしていないという事ではない。男の子だって伸ばす子もいるだろう。
だけど、女の子と推測するにはもう一つある。
それは、「体の線」だ。
「なーにーがー!体の線だ!ナイスバディじゃなくて悪かったな!」
荒々しい声が耳に届く。その声は可憐なものだ。
あ、やべ、心の声が漏れてた。
彼女は足を大きく反り上げ、勢いよくつま先が俺の下半身目掛け振り下ろされた。
「ぐっ!はっ!」
ガクガクと体が震え、俺の両手は彼女のつま先から保護するようにしてチンチンを包み込んだ。
「や、やめろよ」
俺は弱弱しい口調でそう言い、このチンチン蹴り上げる大会を幕引きしようと試みた。まず第一、参加者が一人しかいない時点で大会とつけるのは間違いなのではないだろうか。俺もこんなこと思いたくないし、こんなシチュエーションになったのが意味不明すぎて理解が追いつかないのだが、『女の子にチンチンを蹴られる場面なんてあってはならない』そんな気がする。たぶん、俺は『M』方面の人間ではないと……思う。思いたい。
今度は口を開くことなく心の中で唱えた。良し、俺、グッジョブ。
彼女は、俺の言葉に呼応したのかチンチンを蹴ることを制止した。
「パンツ見た」
「え?」
俺は突拍子もない声が出た。
「色まで言った」
「え、いや、え?」
「拒否権は認めない」
「不可抗力だ」
「拒否権を認めない!」
「あ、う、あ」
俺にどうしろと?
「なんで、やられてんのよ」
「え?やら?ん?なんのことだ?」
俺は混乱していた。先ほどまで、抜け殻のようになり、廃人になっていたわけだし、何十年も誰とも会話なんてしていない。言葉が出てこない。いや、待て、話題変更してないか?
彼女の発言が何を指しているのかがわからないのだ。
全身が軋んでおり、筋肉が拘縮している。足は完全に麻痺している。動く気配すらしない。
そんな体だが、肘をつきなんとか彼女が見える体勢を立て直そうとした。あと、このままじゃあ丸見えだし。
「何、起き上がろうとしてんのよ」
「いや、だって、さ。……見えるじゃん。この体勢じゃあ、さ、ね」
ははは。と薄ら笑いを浮かべ俺がそう言うと、彼女は自身のスカート?の裾をギュっと握りしめ皺を寄せた。もう少し視線を上げると彼女の顔が見えた。きっと普段は可愛い顔をしているのだろうと分かるのだけれども、現状は少しばかりその表情とかけ離れている。顔を真っ赤に染め上げ、ほっぺをぷっくりと膨らませている。そんな顔も可愛いんだけど。
「セイヤァアア!」
彼女は目をめい一杯に瞑り、足を振り上げた。
あ、やばい。
デジャブ。
俺は危機を感じ、チンチンを抑える手に一層力を込めた。
だが、誰が俺のチンチンを蹴るなんて言っただろうか?誰も言ってない。どこを蹴るかなんて誰も言ってないのだ。
俺には拒否権がない。
「ははは」
苦笑いするしかなかった。
瞬間、俺の視界は別方向にベクトルを向けていた。
体は宙で回旋した。どんだけ、蹴り強いんだよ。アニメの世界じゃん。
痛すぎる。
頭が回転し首からネジ跳んで行くそんな気がするぐらい、衝撃があった。
本当に頭が吹っ飛んだのではないのかと首元に手をやると、ちゃんと繋がっていることに安堵した。
それにしても、痛い。
拒否権はないが、謝罪を述べるぐらいは許される筈。
「ごめん」
彼女はムスッとした表情を崩さないが、どこか申し訳なさそうに見えた。
「で、なんでやられてんのよ」
「それなんだが……どういうことだ?」
「言葉の通りよ」
「いや、だからどういう意味なんだよ」
「え?」
沈黙が生じた。
______。
______。
「だって、え?私がおかしいの?待って、え?衝撃もちゃんと与えたし……え?え?」
彼女は相当混乱しているようだ。
丁寧に整えられた髪をワシャワシャ掻きながら時たま、「ああああ!」とか「うううう!」とか奇声を発するが彼女が求める回答に辿り着かないようだ。
俺から何か言ってあげたいのは山々なのだが、何せ、俺には記憶がない。
彼女が言った『なんでやられてんのよ』は、なんで殺されてるのよ。なのか。どうなのか。
仮にそうだとしたら、あの場面で俺にどうしろってんだよ。
俺はただの人間だし、あんな化け物じみた生き物にどう歯向かえばいいんだよ。まして、俺の敵であるようには思えない。俺は一度たりとも標的とされていないからだ。電車が横転し、外壁は全壊し同時、いつの間にか俺の体はグチャグチャになっていた。
あの現状で、死なず逃げろと?
無理だろ?
あんなことになる予兆さえないのに。
「ふっ、ふー」
彼女は胸元に手を当てる仕草を見て、自身を落ち着かせるためか、呼吸を整えているのが分かる。
俺が思考錯誤してる間、彼女自身なりの回答を導き出せたのかもしれない。
そして彼女は、
「貴方は、そうきっとバカなの!」そう告げた。
「え?」
「バカもバカ、大バカ者よ」
「えっとですね……マジで言ってんの?」
今度は、俺だけが困惑しているようだ。
「で、どこまで覚えてるの?」
彼女が呆れた表情を浮かべそう問うた。
「そうだなぁ……電車に乗ってたら死んだ。そんなところだ」
「序盤も序盤じゃん」
「まぁ、序盤だな」
彼女は大きく溜め息を漏らし、眉間に皺を寄せた。
「で、何で死んだかわかる?」
「化け物の乱闘に巻き込まれた」
「化け物の……その……なんていうか、戦いは目で追えたかしら?」
「え、お、おう」
なんだ?この質問は。意図が見えない。
「ならよかったわ」
「何がだよ!」
彼女はふんっと鼻を鳴らしそっぽを向いた。
「いや、だから何がだよ!」
俺は再度同じ問いを繰り返す。
だが、彼女はそれに答えようとしない。
____________。
ふざけるな。
なぜか、怒りが込み上げてきた。
ふざけるな!ふざけるな!ふざけるな!
俺は死んだんだぞ。なんなんだよ!もう。意味が分かんねぇよ。もう……______。
少しは、弔ってくれよ。
俺は地面に視線を落とした。丸いシミが地面に広がり始めた。
「う……うあ……あああああああああああああああ」
涙は止めどなく溢れ出し、声も漏れる。
俺の思考はこの場所に来た日から支離滅裂だった。
もう疲れた。勘弁してくれ。
何だっていい、お前がこの場所の管理者かなにか。神なんだろ?
「もう、ここから出してくれよ。頼むから……なぁ」
会話が成り立っていないのは理解している。言葉のキャッチボールもできないバカだと思われてもいい、せめてここから出してほしい。それだけだ。
「え、あ、ごめんなさい」
彼女は申し訳なさそうで言葉を落とし、屈んで俺の肩に手を置いた。
「本当にごめんなさい」
彼女は両腕で俺を抱きしめ、
「一人ぼっちにしてしまってごめんなさい」
俺の感情はさらに燃え上がり、泣き声をさらに大きくさせた。
情けない。
全裸の男性が、美少女の前で泣きじゃくるなんてそんな場面でも情けない。
だけど、止まんねぇんだよ。
何十年も孤独と戦ってきたんだよ。
せめてこの瞬間だけ、俺を許してくれ。
* * *
どれだけ泣いたのだろうか。
最近、どれだけ~だろうかってのがほんと、多い気がする。
俺はいつの間にか眠りについていた。
彼女が傍にいるとどうしてだろうか、人間として自覚できる。
頬が仄かに温かい。人の温もりを感じ、安心できる。
「酷く疲れているのね」
意識がぼんやりと目覚めた時、彼女の呟きが聞こえた。俺は目を開けない。静かにいびきを漏らす。心地いい。安心する。
「あなたが、彼を忘れてるなんてね___彼はきっとあなたを見ている。ずっと、見ている。記憶が消えようと、きっと思い出す。きっと、___可哀そうに思えるけど、仕方がないのかもしれないわ……神様って理不尽ね」
彼女何を思ってか、体を震わせ、自身の服の袖で涙を拭い独り言を続けた。
「ここでの記憶も消えるのでしょうね」
垂れる鼻水を吸い込む音が聞こえ、服の袖で顔に集まる水分を拭う。
彼女が先ほどから何を言っているのか、訳が分からない。彼女も支離滅裂なのかもしれない。
目の奥……いや、もっと深い。深層で聞こえる何か。雄叫び、奇声、悲鳴。それが何かわからない。同時、脳内で何か不思議な映像が再生された。
その映像はすぐさま消え去り、その映像を思い出すことが出来ない。
気持ち悪い。吐きそうだ。
______。
一瞬、俺は、俺自身を遠くから眺めていた。俺でないかもしれないが、その時は、それが俺に見えていた。俺に似た誰かかもしれない。
数多の閃光が迸り、俺は意識を吹き返す。
「行ってらっしゃい」
彼女がそう告げた。俺の意識が遠のいていくのを感じた。手を伸ばすが届かない。その引力にどこかに引かれる。そして、彼女が小さくなり、消えた。
心臓の高鳴りがやけにうるさい。「黙れ!」と叫び、右手に力を籠め、左胸を叩く。
俺はいつの間にか起立し、目の前に扉があった。
扉には模様や文字らしき文様が記されていたが俺には読めもしないし、それが何を表わしているのかわからない。
右手で扉に触れる。冷たい。さらさらしている。そのまま、軽く押してみた。
見た目に反して、それはゆっくりと開き始める。先は暗い。俺は一歩踏み出していた。そしてまた一歩踏み出す。
耳鳴りがした。キーンと金属音が脳内で反芻するかのように聞こえる。
足を止めた。体が動かなくなる。
体が後ろに振り返る。自分の意思ではない。
まるで操られたマリオネットのように。
もちろん、そこには彼女の姿はない。
ドクンッ!と心臓が激しい一拍を上げた。
一度、瞳を閉じたはずもない。その一点を見ていた。気がする。
だが、そこには、どうしてだろうか。
そこに居たんだよ。
確かに存在していたんだ。
『化け物』が。