プロローグ
キーンと、金属音が聞こえたのか、脳内で反響したのか分からない。その響きは数秒して消えた。
プシューッと、音を立て入口の扉は閉まった。
数秒後、電車は車内をガコンッと揺らし緩やかに発車した。
車内の揺れや車輪が擦れる音、建付けの悪い窓の隙間風___空間は様々な音で溢れだす。
______………。
______………。
しばらくすると、車内のスピーカーから音声が流れ始めた。ジリジリとノイズを乗せたアナウンスは、
「本日も……ご利用いただき誠にありがとうござ……___直通各駅停車……___行きです。進行中は揺れにお気を付け……___この列車は自動運行になります……___」
激しい揺れが原因か、ノイズが原因か、電子音のアナウンスは肝心な部分が聞こえなかった。
数分後、電車は減速し始め、こじんまりとした駅に停車した。
またもプシューッ、と音を立て扉が開く。
「うっ、……さむっ」
扉が開くと同時に、暖かさで満ちていた車内に冷気を流入する。
俺の体はブルッと身震いした。
俺は勢いよく立ち上がり、前傾姿勢で扉に向かって翔り出した。
「うっ、と」途中、つまずきそうになる。
パンチを繰り出すかのように腕を伸ばし人差し指を立てる。
『フニッ』
心のなかでは、そういった効果音が響いたのかもしれない。
扉の横にある閉ボタンを押した。これで扉は閉まるはずだ。
……はずだ?
______………。
「______ん?……えっ?」間抜けな声を出し、再度、閉ボタンを押した。
が、しかし______、
「えっ、閉まらん……」
俺をおちょくるかのように先程に増し、車内に冷気が流入する。
フニフニフニフニフニッ……______!
「う、うううっ!」
俺は、寒さで凍えながら『閉』ボタンを連打したが、その扉は頑なに閉まろうとしない。
フニフニフニフニフニッ……______!フニフニフニフニフニッ……______!
幾度かボタンを連打したが、
「っう、はぁはぁはぁはぁ……______」
疲れてしまった。
「はぁはぁはぁ……ど、どうせ、すぐ、勝手に……閉まるか……」と呟き、連打するその指を制止し、手すりにもたれ掛かった。
視線を外に移す。外は既に闇に沈んでいた。
プラットホームには真っ白な大雪が積もっている。チカチカと点滅する外灯。駅には人の気配はない。仮に誰かがいたとしても今、見当たらないのであれば、それは無人に等しい。
「はぁ~」と息を吐くと白い吐息はフワッと宙を浮遊し、闇に溶けるようにして消えていく。そんな様を目で追った。
吐いて、目で追って、また、吐いて、目で追って……。幾度か繰り返していると、
扉からプシューッ、と音がした。
同時、『ピンポーン、ピンポーン』と扉から先程はなかった音が鳴りビクリと肩を上げ驚いたが、大人しく外界とを遮るように弱弱しく閉まった。
車体をガコンッと揺らし緩やかに発車した。
手すりに寄りかかりながら、呆然と扉ぼガラス窓に反射する車内を見つめる。
「うっ、さむっ」
俺は小走りで先程まで鎮座していた席に戻る。座席には少しの温もりが残っていた。
俺は揺れる電車に身を任せ再度、何気なく外の景色を見ようと窓に視線を向けた。
ガラスは真っ白に曇っており外の景色を遮っていた。
服の袖を伸ばしガラスに押し付けその湿気を拭き取った。
頭ではわかっていたが、外の景色なんぞ見えるはずがない。
その代わり、ガラスに俺の顔が反射する。
そこには真っ白の肌にカサついた頬を少し赤らめ、情けない程に間抜けで締まりのない顔つきがあった。口を開けぼんやりとし、無気力な顔だ。
「なんて顔してんだ、俺……」周囲の音に掻き消されそうな程の声量でぶつっと呟く。
「はぁ」とまたも溜息を漏らし、座席に深々とだらしなく体を沈ませ天井を見上げた。
季節が変わり使用されなくなった扇風機は埃を被り、そこだけ時間が停止しているように感じた。薄明りの蛍光灯が車内全体を点滅させ照らし、目がチクチクと痛む。
ふと、思う。
「___てか、なんで、俺……電車に乗ってんだよ……___」俺は困った顔のまま薄ら笑いを浮かべた。
座席に沈み込み、仰向けの姿勢で空を眺めていると、先程ガラスを拭いた面からひょっこりと月が雪夜に佇んでいる姿を視線が捉える。
深夜の電車が積雪を駆け抜けるのを見守るかのようだった。
白色に輝き、躊躇いもなく月光を地上に降り注ぐ。
______。
______。
______。
電車はガタンゴトンと音を立てながら目的地を目指す。
俺は、しばらく月を眺めていた。
その時、何かを考えていたわけではなく、ただただ、その空間の置物と化していた。
電車の暖かさと揺れが心地良い。
そのせいか、俺はいつの間にか眠りについていた。
* * * * *
深く熟睡していた為か______その衝撃が身体に伝わるまで一度も目を見開くことはなかった。
キィィィイイイ!けたたましい怒涛のようなブレーキ音が車体を激しく揺らした。
鼓膜をつんざくような騒音と共に、急ブレーキの衝撃で重圧が電車の先頭付近に集まり俺の体は前方へ雪だるまのようになって転げ、壁に叩きつけられた。
否応なく起こされた体はまだ寝ぼけているかのように重い。
いや、全身を激しく強打したことによって軋むような、千切れるような痛みが走るのが原因だ。
「う、う、うう……」横転した全身に痺れを走らせながら体勢を直し、髪の毛に手を突っ込んで苛ついたようにカリカリと頭を掻く。
「急停車すんじゃねぇよ……」誰もいない車内に向かって呟く。
幸い列車は路線から脱線することはなかったらしい。車内の蛍光灯はジリジリと音を立て照明を落とす。
プシューッと音を立て、煙を出しながら扉が開いた。開くと同時に車内に冷気が流れ込み俺は再度身震いした。扉の向こうで風に揺らめく雪が潸潸と降っているのが見えた。
夜空に浮かぶ月が彼を嘲笑うかのように薄明りで積雪を照らすが妬ましい程に綺麗であった。
静寂を取り戻した外界は殺風景な程に静けさで満ちている。
「え?お、おおおおおおお!」
夜空にキラリと光る一閃。
流れ星?と一瞬。
______!
事は、一変した。
静まり返った空間を一瞬にして彩り、重々しい音が鳴り響いた。猛烈な爆発音が鼓膜を震わし脳になだれ込んで来たのだ。
電車は横転し、脱線した。
電車の外壁を突き破るようにして大きく抉り、車内に暴風が吹き荒れた。
「う、……」
体が妬けに熱くなっているのを感じた。いや、溶けだしてるかのようであった。
一番熱く感じる部位に手の平をあてようとしたが、利き手が言う事聞かない。
「うっっっ!」
何かが気管から込み上げ、口腔から何かが吐き出た。
「ヒュー……ヒュー……ヒュー……」
息が苦しい。ドクドクと鳴り響く心臓の音がうるさい。脈拍を強く感じる。
左手が辛うじて感覚があった為、一番熱い部位に掌を添えた。
ぐちょ。
さっきから、フニフニとかぐちょとか文字起こししたらなんか可愛いような効果音が脳内で再生されるのは何なんだよと思ったが、今回のは違う。
確かに耳に届いた。蝸牛が音を脳に伝達した。
掌を持ち上げようとしたが、腕が重たい。ゆっくり持ち上げ視界に入った。
ねっとりと線を引き、黒にも近い、深い赤が掌を染め上げていた。
突如、痛みが増しだす。
痛いと叫ぶことが出来ず「ヒュー……ヒュー……ヒュー……」と先ほどに増して呼吸が荒くなるのを感じた。
脈拍も速度を増した。
持ち上げた腕に力を抜き、床に落とした。なぜか、痛みを感じない。
視線を左に移すと思考が停止した。
あまりにも衝撃的すぎて何が何だか理解が追いつかない。
固唾を呑んだ。というべきだろうが、情けなく息を吸う事しかできない。
車内の壁面は大きく抉られ、もうそこには壁という存在が撤廃されたのかのように消え去っていた。
道中、俺の体から線を引くかのようにして伸びる赤い線が床に散らばる手足と繋がる。
視線を左側に向けると誰もいるはずのない車内に人?がいた。その人?は全身を真っ黒な破れかけのローブで身を覆い、真っ白で血色を感じられない肌の上に動かない笑顔を浮かべていた。
例えるなら……そう。まるで、能面。
見れば見る程どこか汚らわしく、どこという事なく、見る者を引きずり込む異様なオーラがあり、ゾッとさせ、嘔気を誘う不快感があった。
俺は今までにこんな不気味な顔立ちを見たこと______……。
「____________」
脳裏に何か見えたがすぐに消えた。
大きく抉られた天井に視線を向けると、上空には月光に負けを取らないまでに輝く白い影が浮遊していた。
それは人の形に見えたが、人は浮遊しない。そんなに文明が進んでない。
故に、それは人ではない。なら、なに?だが、次の瞬間、俺の思考を一掃した。
電車に突っ込んだ黒い存在が、白い影に向かって荒れ狂う熊のように叫び大気を震わせた。そのことにより、俺の意識は黒い存在に引き戻された。
月光を背に浴びる白い影は鋭く細い響きを持つ叫びを放つと共に、黒い存在目掛けて上空で白い閃光を引くようにして落下した。
それを迎え撃つように黒い存在は体勢を整え、ローブから伸びる異様な発達を遂げる肥大化した腕を光の下に露わにし、拳を固く握りしめ床を勢いよく抉り飛翔した。
____________。
上空で二つの影が衝突し衝撃波が広がった。
その衝撃波が地上にまで届き、俺を吞み込んだ。
不思議なことに美しいと感じた。
俺の眼光はこの光景を捉え続ける。
白い影は赤い糸を帯のように引き、地面目掛けて落下していた。直後、鋭利な黒い拳が追随する。
流れるように落ちる白い影には既に力が残ってないように感じられた。
しかし、白い影はその軌道上で体を大きく捻り、黒い存在に向き直り「ルゥゥクッ!」と高々と叫んだ。白い影に覆い被さる形で鋭利な拳が心臓付近を貫こうとした____。
___瞬間。
上空で鮮やかに赤く輝く流星が迸り、赤色に光る直線を描いた。
黒い存在は不意を突かれたかのようにその直線を直に受け、血を噴き出すかのように上空でキラキラと体液のようなものを撒き散らせ、地面に急降下した。
俺は心臓の高鳴りを激しくさせ、弾んだ呼吸で太息に吐き出した。そして、視界が霞み始めた。
相変わらず雪は潸潸と降っている。
先程まで煮えたぎる油鍋に投げ込まれたかの如く体を燃やしていたが、気づいた頃には、全身に雪が積もり真っ白で覆われ、体は冷え冷えと冷めきっていた。
歯切れの悪い息は白かった。
段々と顔に落ちる雪に焦点が合わなくなってきた。
意識が途切れていく。
声が聞こえた。
「もっと早くさぁ」「いや、だって」「だってじゃない!」______。
____________。
「待って、血の匂いがする」______。
「今日は、誰も乗車してないはずだろ?」______。
ギシギシと雪を踏みつける足音が耳に届く。
何かが雪を搔きわける。
「え?人じゃない⁉」______。
何かが頬に触れた。
「まだ、脈がある……けど」______。
「っ、‥‥…______えっ?嘘でしょ……_______」
「切断面が……」
「彼もまた同じなのかもしれない______」
「……かもしれない。救えるかもしれな……______」______。
「ルーク!鞄取ってきて!急いで帰るわよ!」
何も見えない。息の根や心臓の拍動も感じない。感覚さえ消え去り何も感じない。
ただただ、どこかに沈んでいく……そんな気がした。