第五話
食事を終え、静那がテーブルを片づけているとタマが触ったままの窓ガラスからぬっとポチの顔が現れる。
「タマ、荷物がちょっと多い。手伝ってくれ」
そう言うと、またガラスの向こうへと消える。
皓はそれを見て一瞬驚くが、直ぐに深い溜息をつく。
「なんで俺んちがこんな事に……」
思わず愚痴ると、静那が片付けたテーブルの上にお茶を置く。
「旦那様、お茶を淹れましたのでどうぞ」
靜那の柔らかな笑顔と声音にああと頷き、次いで静那が甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる事に何やら落ち着き始めている事に驚愕する。
旦那様と呼ばれるのもなんだか聞き慣れて来ているという事実に、むしろ慣れたら負けだと己を奮い立たせる。
このままなし崩し的に押しかけ女房を認めるわけにはいかないのだ。
それ以上に、自分のやりたい事を探す為フリーターをしているのだから、それを邪魔されるなどとんでもない。
そう頷き、皓はお茶を一気に飲み干し顔を上げると、タマとポチが大きな収納ケースを三つほど窓の横に積み上げていた。
「お嬢。主様達からの手紙と、昨日と先一昨日に浄化した報酬だ」
そう言って、ポチは収納ケースの上に二通の封筒を置く。
「あ、ありがとうございます」
何時の間にやら移動し、台所で食器を洗い終えた静那は捲くった袖を直しながら封筒を開ける。
テーブルの上に報酬だと言う封筒を置き、両親からの手紙が入った封筒を開けていた。
何やら言い出すタイミングを悉く外され、皓は憮然としながらじろりとポチとタマを見る。
「婿殿、聞きたい事があるなら聞いてくれ」
ポチはそう言って、真っ直ぐに皓を見る。
「我々に許されている範囲であれば、教える事も出来よう」
タマの物腰は良いが持って回った言い方とは違い、ポチは単刀直入に問いかける。
皓はそのポチの言葉にやっと話が通じるものが来たのかと安堵して、口を開く。
「なんで俺なんだよ。そもそも、なんで拒否をするのが出来ねぇんだ?」
低い声で問いかける皓に、ポチはふむと頷く。
「木崎の家は、二君に仕えない。それは、木崎の成り立ちに関わる話。それ故、わたし達には語る事は出来ない。また、成り立ちを知る時は婿殿が本当の意味での契約を交わす事を決意した時のみと決まっている」
しっかりとした口調で、ポチは成り立ちに関わる話は口にできないと言い切る。
「あぁー……俺に拒否権はねぇのか?」
そう問いかける皓に、ポチはしばし考えてから口を開く。
「婿殿以上にお嬢と相性が良く、格が釣り合う者がいれば別だが……お嬢ほどの格とつり合える者はまずいまい」
はっきりとしたポチの言葉に、皓の片眉が跳ね上がる。
「何だ? それ」
低い声音で説明しろと脅す皓に、タマが口を開く。
「お嬢様は、稀有です。人として最高の部類に入るほど、強く穢れていない。それは、お嬢様が選んだ貴方にも言えるのです……婿殿」
タマの真剣な声音にむっと唸り、皓は眉を寄せる。
このままなし崩しは嫌だと態度も表情も語る皓に、ポチは静かに告げる。
「いまだ契約すら交わしていない以上、婿殿には確かに拒否権はある」
ポチの言葉に皓は少しだけ明るい表情を浮かべ顔を上げるが、難しい表情を浮かべるポチとタマに嫌な予感がした。
「……あー、なんかあるのか?」
皓が問いかけると、タマが嫌そうな表情を浮かべる。
「婿殿は契約するとおっしゃってくださったゆえ、言うつもりはなかったのですが……」
言い辛そうに口ごもりつつ、タマは言う。
「鬼達にとって、木崎の長子が伴侶を見つけるのは脅威でしかありません。それは、契約を拒絶しても同じこと。もし我々が離れれば、婿殿は無事では済みますまい」
タマの言葉に、ひくりと唇の端がひきつる皓。
「それは……?」
聞きたくはないと思いつつも問わなければ始まらないと、皓は訊く。
「殺すか、食べられるか……そのどちらかです」
真剣なタマの言葉に、皓は嘘を言っていないとすぐに理解する。
「どっちにしろ死ぬのかよ……選択肢ねぇじゃねぇか」
がっくりと項垂れ、皓はぼやく。
「我々とて、お嬢の婿になる気の無い者を護る謂われは無い。それに、この世界そのものを拒絶するのであれば、身を護る術を与える事も出来ぬ」
ポチはきっぱりと皓に言い、皓はガシガシと頭を掻く。
靜那を受け入れるつもりがなければ、彼等は皓を護る気はないときっぱりと斬って捨てた。
責務を背負わないくせに甘えるなと、突き放したのだ。
もっとも、知らなくて良い世界を連れて来たのは向こうだと言う腹立たしさを感じるわけなのだが。
皓は深い溜息をつき、改めて現状をしっかりと認識しようと思った瞬間、ふわりと柔らかな香りが鼻を擽る。
その香に視線を動かせば静那がいつの間にか皓の足元に座っており、皓の視線に気が付きにこっと笑う。
「私、旦那様以外のかたは選びません。旦那様が一番です」
無垢な笑顔で言われ、皓は思わず咳払いをする。
何の迷いも無く、昨夜初めて会ったばかりの自分に真っ直ぐな好意を寄せてくる静那。
それが酷く照れ臭い様な、気恥しい様な心持になる。
だがすぐに、何故自分はこんなに静那の事で動揺しなくてはいけないかと深く項垂れる。
靜那は皓のそんな姿に小首を傾げ、心配そうにそっと手を伸ばす。
「旦那様、大丈夫ですか?」
靜那の心配そうな声音に、皓は誰のせいだと突っ込もうとするが飲み込む。
怒鳴りつけた所で解決するわけでは無いし、静那を泣かせたら後ろが煩い以上に、自分が落ち着かなくなりそうだと思うからだ。
「何でもねぇから、気にすんな」
ため息交じりにそう言うが、静那は隣から動かずそっと皓の手に触れてくる。
「あの……やっぱり、私では不安ですか?」
そう問いかけてくる静那の声は、酷く揺れている。
皓はそれに気が付き、視線を上げて静那を見る。
靜那は、酷く不安げに、それ以上に哀しげに皓を見ている。
まるで捨てられるのを恐れる子犬の様なその表情に、軽く目を瞠る。
「お嬢、婿殿は契約をすると約した。だから、そんなに不安そうな表情をするな」
ポチが冷静に言い、じっと静那を見つめる。
靜那はなんとか頷くが、その表情は全く変わっていない。
今にも泣き出しそうなその雰囲気に、皓が動揺してしまう。
「お嬢様、大丈夫です。お嬢様なら、必ずできます」
タマは慌ててそう言い添え、皓をじろりと見る。
「婿殿、お嬢様を不安がらせないでください」
そうきつい口調で言い、おろおろと手を彷徨わせるタマ。
ポチは小さく溜め息をつき、タマを見る。
「タマ、こればかりは仕方ない。お嬢は生まれた時から『アレ』では無かった」
ポチの淡々とした言葉に、静那の肩が震える。
「だい、大丈夫です……」
小さな声で大丈夫だと答える静那に、皓は眉根を寄せて口を開く。
「何だかわかんねぇけど、あんまりこいつを追い詰めんな。大丈夫だ、必ず出来るは人によっちゃ逆効果だ」
皓はそう言い、俯いている静那の頭を撫でる。
「まぁ、あれだ。お前じゃなくても、俺は不安だぞ」
皓の言葉に、静那はキョトンとした表情を浮かべる。
「あのなぁ。いきなりこんな自分の知らない世界を押し付けられて、不安がらないわけねぇだろ」
皓は呆れた表情で、静那を見る。
「でもよ。成り行きとは言え、自分でお前に協力するって言ってんだ。それなのに、お前がそんなに不安がってたら俺だって不安になる。まぁ……俺が何をどうすればいいのか全く分からねぇから、不安は割り増しなわけだ」
だろ? と皓は静那を見ると、静那はこくこくと頷く。
「俺としては不安がらないで欲しいわけだが、お前も俺と似たような立場みてぇだし……無理だろ?」
タマとポチ、そして静那を見ながら皓は言う。
タマは驚きに目を瞠り、ポチは片眉を上げて皓を見ている。
靜那は、皓を真剣な表情で見上げ言葉に耳を傾けている。
「だからよ……泣くなり喚くなりしてから、腹を括れや。逃げられねぇなら、それしかねぇだろ?」
皓の真剣な言葉と表情に、静那はゆっくりと瞬きをする。
ぽろぽろと眦から涙が零れ落ちるが、静那の表情は先ほどよりも明るい。
「はい……はい、旦那さま!」
泣きながら、静那は笑顔で頷く。
皓はそんな静那の頭を撫でながら、胸がふわりと暖かくなるのを感じた。
しかしまぁ、引き受けなかったら貴方は死にますとか、どんだけ酷い話なのかと小一時間ですね。
自分の命を質にされたら、普通に言う事を聞くしかないと思います。
ちなみに「木崎」とは「鬼の血花を咲かせる」と言う意味です。
「鬼咲」と言うのをかけて見た訳ですが、無理やり感漂うのは仕様ですので苦情は聞きません(何)
前の話からある「アレ」とか、「モノ」とかは、そのうち説明されます(適当)
世界観は私の妄想の産物なので、突っ込まれても困ります(笑)