第十九話
帰りついた時にはかなり遅い時間で、皓は嘆息してしまう。
寝ておけと言われたからか、それとも疲れがあったからか静那はすやすやと健やかな寝息を立てている。
仕方ないとタマとポチを見ると、ポチは静那の部屋の扉を開けて促す。
皓は頷き、静那を彼女の部屋へと運び布団に寝かせて直ぐに出る。
ポチが着替えさせている最中に、部屋にいる程皓は無神経ではない。
すると、ポチがソファーの横でごそごそと何かの準備をしているのが目に入り、小さく嘆息しながらソファーに座る。
昨日まで一人暮らしだった部屋に、三人増えて四人暮らしとなってしまった。
正直、狭い。
そこまで考えた瞬間、はたと思い出す。
「しまった」
思わず口に出して呟くと、タマが顔を上げる。
「如何しました? 婿殿」
不思議そうに問いかけてくるタマに、渋面を浮かべる皓。
「いや……まぁ、良い」
説明しようとはするが、皓は直ぐに頭を振る。
「今すぐ連絡入れ無くても、良いだろう」
小さく呟き、うんと頷く。
そんな皓の様子にタマは、じーっと話すのを待つように見られる。
「……何だよ」
思わず問いかけると、タマは皓の正面に移動する。
「いえ、何か御用があるのかと思いまして」
タマの言葉に手を振るが、タマは動かない。
何があるのかを話すまで、絶対に動かない上に寝かさないと言う雰囲気を持って皓を見ている。
そんなタマに、皓は眉間に皺をよせて口を開こうとすると、静那の部屋の扉が開く。
ポチが入ってきたのか皓はちらりとそちらを見ると、静那が浴衣姿でパタパタと駆け寄ってくる。
しかも、そのまま静那は皓の腕にしがみ付く。
「お、おい!」
思わず皓が慌てた声を上げるが、静那はフルフルと頭を振ってますます強く腕を抱きしめる。
皓は困惑しながら静那を見ていると、ポチがタマの隣に座り苦笑する。
「お嬢の事は気にせず。それよりも、何か困った事でもあるのか? 婿殿」
ポチの問いかけに、皓は静那をちらりと見て小さく嘆息する。
今にも泣き出しそうな表情で腕にすがりつかれては、皓とて無理やり引き剥がす事はできない。
仕方が無いと反対側の手で静那の頭を撫でてやりながら、皓は口を開く。
「まぁ、あれだ。同居人が増えるっつー事を大家に知らせ忘れただけだ」
皓は特に大事なことではないと、苦笑しつつ告げる。
「ここの大家は、そう言うのにうるせぇからよ。きちんと連絡入れておかねぇと、後で面倒な事になるんだわ」
ちなみに皓が見たのは、隣に住む男が大家に連絡を入れなかったばかりに彼の保証人である親に連絡を入れ、結婚したなら知らせてくれないと困ると苦情を入れた事に端を発する同棲発覚の瞬間であった。
その後、彼は同棲相手と結婚してアパートを出て行っている。
同居するにも同棲するにも大家に連絡を入れておかないと、後々面倒になるのだろうと悟った瞬間であった。
「俺の保証人はばっちゃんだからなぁ……」
遠くを見ながら呟き、深い溜め息をつく。
それでなくても静那との同居は、社会的に見たら非常識に分類されかねない物だ。
鬼切の神子の成人年齢は十六歳とタマから教えられた事を考えれば、必然的に静那の年齢は十六歳。
皓の年齢は二十一歳で、世間一般で言えばロリコンと言われかねない状況だ。
そんな状況下で祖母に知られれば、責任を取って結婚しろと言われかねないのである。
祖母には家を飛び出す際に色々と迷惑をかけた為、頭が上がらない。
それに、祖母は早く結婚して曾孫を見せろとせっついてくる事もあるのだ。
ここぞとばかりに静那との縁談を進めかねない様な気がするので、予防線を張らなくてはならないだろう。
「まぁ、明日だ明日。だからお前……静那もよ、ゆっくり寝ろ」
今日はもう何も無いだろうと、皓は静那の髪を梳く様に頭を撫でながら言う。
しかし、静那はいやいやと頭を振って皓の腕から離れない。
子供の様に聞きわけの無い所作の静那に、皓は何かあったのかとポチとタマを見る。
ポチもタマも心当たりはあるのだが、それを口にするのは躊躇われた為に視線を逸らす。
そんな二人に舌打ちをして、腕に縋り付いたままの静那をどうするかを考える。
正直、眠くなってきている。
だがしかし、静那を放置して寝ればタマとポチが黙っていないだろうし、何よりもここで突き放す気はない。
仕方が無いと、先程からため息と舌打ちの度に揺れる静那の体を引っ張る。
静那は驚いた表情で顔を上げ、皓を見る。
「何かあったのかとか、全部明日聞くからな」
そう言って、皓は静那を膝に座らせ子供をあやす様に背中を撫でてやる。
静那は恥ずかしそうな表情を浮かべ、しかし嬉しそうに皓の胸にすりっと頬を寄せる。
まるっきり子供の様なその仕草に皓は呆れた様な、しかし慈しむ様な表情を浮かべてあやす皓。
年齢よりも幼さが際立つが故に、子供に対する庇護欲がそそられ皓は何の抵抗も無く静那を抱き抱えていた。
だがしかし、目を閉じて身を寄せてくる静那は紛れも無く女性で、誘惑する様な甘い香りを纏い、しなやかで柔らかな体を持っている。
皓はそれに気がついた瞬間に拙いと硬直するが、腕の中の静那はもはや夢の世界へ旅立って居た。
物凄く良い寝付きに腹立たしさを覚えるが、これ幸いと皓はタマとポチを見る。
だがしかし、二人はドロンと音を立ててそれぞれ動物の姿へと変じてしまう。
タマは朝と同じスコティッシュフォールドだが、ポチは何処からどう見ても大型犬のシベリアンハスキーだ。
思わず唖然としてしまうが、二頭は特に気にした様子も無くソファーのすぐ横の寝床へと潜り込む。
「おめぇら……」
思わず唸る様に呟くと、ポチが顔を上げる。
「婿殿、悪いが今日はお嬢と一緒に寝てくれ」
苦笑する様に目を細め、お願いする。
「あのなぁ……てめぇら、何考えてんだよ」
静那が大事と言う割に、行動が矛盾していると青筋を立てる皓にタマの尻尾が揺れる。
「お嬢様は、今日はとても気疲れをしているのですよ」
ツンっと澄ました仕草でタマは言い、体を丸めて寝る体勢を取る。
「お嬢は、婿殿が必要なんだ。それは鬼切の神子としての本能なのかもしれない。だが……今は、婿殿の傍で無くては眠れないのだと思う。だから、頼む」
ポチの真剣な懇願に、むっと唸る皓。
そもそも自分だけではなく、静那自身にも環境の変化と言うかなりの負担が強いられていた筈だ。
その上、目の前で見た啓太の罵倒。
静那を静那と言う人間ではなく、道具としてしか見ない輩の言葉。
それを思い出した瞬間、皓は気がつく。
自分に来る物だとばかり思っていた、悪意の行方。
腐り、淀み、捻じ曲がってしまった者達が素直に行動する筈など無い。
思い至った考えに、皓はギリッと奥歯を噛む。
「ポチ、静那ん所へ来たのか?」
皓は低い声音で、ポチに問いかける。
ポチは皓の怒気に一瞬体を震わせてから、頷く。
「はい。油断しておりました」
素直に、ポチは自身の責を認める。
静那を護る為にポチは同行していたと言うのに、皓へ意識を割いていた為に気がつくのが遅かったのだ。
「そうか、悪かったな」
皓自身、それを知っているからこそ責める様な事はしない。
責めた所で静那が傷ついた事実は変わらないし、八つ当たりにしかならないからだ。
「まぁ、次から気を付けようぜ」
それだけ言って、静那を抱き上げる皓。
「ゆっくり休めよ」
皓はタマとポチの返事を聞かずに、自身の部屋に入る。
結局のところ静那と同衾する事になった訳だが、皓は仕方が無いと割り切り布団を捲り静那を寝かせる。
すると、くいっと引っ張られる感覚があり、視線を下げると静那が皓の服を掴んでいた。
「着替えるから、ちっとばかし待ってろ」
皓は思わず苦笑して囁き、さらりと静那の額を撫でる。
すると、静那の手が緩みするりと服が離れる。
実は起きているんじゃないのかと皓は一瞬思ったが、まぁ良いかと手早く着替えて静那の隣に体を滑り込ませる。
異性が隣にいると言うのに体を繋げる事も無く、ただ添い寝する等と言うのは酷く久しぶりな気がする。
そんな事を思いつつ静那を見ていると、温もりを求める様に寄り添ってくる。
押し付けられる柔らかな体に湧き上がる衝動をぐっと堪えて、静那が望む様に抱き寄せて皓は目を閉じる。
さっさと寝てしまわないと、衝動に負けてしまいそうだからだ。
大事にしてやらなければならないと、皓は柄にもない事を考えてから意識を闇に落とすべく羊の数を数え始めるのであった。