第十七話
タマの警戒のおかげか、それとも別の理由があるかは定かではないが、無事に禊が終わる。
用意されていた水色の袴と白い着物を着せられて、皓は再びタマと歩いていた。
「しっかし……良く風邪ひかねぇな、アレ」
禊の事を思い出して、皓は鳥肌を立てた首筋を撫でる。
禊場は岩場で、そこにこんこんと清水が湧く静謐と神性を湛える場所であった。
白い単衣一枚で清水の池へ入る為に作られた岩の階段を下りると直ぐに、水に触れた。
水は身を切るような冷たさで、皓は驚き思わず悲鳴を上げてしまった。
足先から頭の先まで入らなくては駄目だとタマに言われ、皓はそれでも冷たすぎるから嫌だと言っていると突き飛ばされて、池に落とされたのであった。
その後は十分程口喧嘩をしていた訳だが、流石に唇が紫になって来た皓を心配してタマが上がって良いと言ったのでそれは終わったのであった。
「婿殿なら、風邪など引かないでしょう。それに、あそこの水の冷たさは気を鎮めるためにも丁度良いのです。ちなみに、心臓麻痺など起こしても大丈夫なように私が控えておりましたので、ご安心ください」
しらっとタマは言い、皓は青筋を立てる。
「あのなぁ、死んだらどうすんだよ」
「ですから、大丈夫だと言っているではありませんか。私がついていたのです、心臓麻痺を起こす前にきちんと治療いたしましたでしょう」
ちなみに、水から上がり、物凄く震える皓にタマは気付けとばかりに温かい白湯を飲ませた訳だが、これにタマはちょっとした術をかけており、直ぐに体が温かくなった。
「治療すりゃ良いってもんじゃねぇだろうが」
怒っても何を言っても無駄だと悟った皓は、ため息交じりに言う。
「お前の感覚は、おかしいぞ」
「まぁ、使い魔ですからねぇ」
皓の抗議に、タマはしれっとそう答える。
「……お前、後で一発殴らせろ」
「婿殿の力で殴られたら、私はしばらく再起不能ですよ」
飄々とそう返事を返し、皓はこめかみをぴくぴくと引き攣るのを感じる。
「そろそろ、婿殿をからかうのもやめた方が無難そうですね」
本気で怒りそうな皓に気がついていたのか、タマはそう言って手に持って居る蜀台を前に掲げる。
「それに、あの泉の冷たさは皆経験するものです。水精は、初めて訪れる者に対しては必ずと言って良い程不必要な程冷やして相手の根性を図るので、誰も止めないのですよ」
タマの言葉に、皓はもはや何も言うまいと言う様に口を閉ざす。
その姿に、タマもやりすぎたかと肩を竦める。
「長老に会う時は、必ず禊をしなくてはなりません。逆を言えば、長老に会わないのであれば禊は必要ないのです」
励ます様に言うタマに、皓は首筋を撫でながらむっと唸る。
「その、長老とやらに会うってぇのは……今回で最後か?」
皓の問いかけに、タマは何とも言えない表情を浮かべる。
「それは……正直、どうなるかは分かりません。確実に言えるのは、大きく特殊な仕事が回ってくる時には長老から説明があると言う事ですね」
タマの説明に、皓は胡乱とした表情を浮かべて口を開く。
「今ん所、そんなのねぇんだろ?」
皓の問いに、頷くタマ。
「それに、長老方もそれほど暇ではございませんから……代理の使者が立てられる事の方が多いと思いますよ」
皓はタマの言葉に、そうかと安堵したように頷く。
「それより、そろそろ合流いたしますよ」
古びた木の廊下を軋ませながら歩いていると、タマが皓に声をかける。
それと同時に、薄暗い廊下の前方に、白と赤の色が見えた。
徐々に近づいて行けばどこか古めかしい着物を着たポチと、白い着物に緋袴を穿いた静那が見えた。
ちなみに、タマもポチと似たような着物を着ている。
「少し、遅かったな。お嬢が心配していた」
ポチはたまにそう声をかけ、ちらりと静那を見る。
静那は若干顔色が悪かったが、今はふわりと微笑みを浮かべている。
「旦那様が、ごぶじでよかったです」
長い髪を紙で留め、見た目には巫女としか見えない静那の頭に手を乗せる。
「遅くなって悪かったな」
素直にそう言えば、静那はふるりと頭を振り笑う。
「だいじょうぶです」
そんなに待って居ないと告げ、自身の頭にある皓の手を取る。
「お手を、つないでよいですか?」
そっと問いかける静那に、皓はああと頷く。
自身が不安を感じているのと同じように、静那も不安を感じているのだろうと思ったからだ。
そんな二人のやり取りをタマは微笑ましげに見ていたが、ポチが若干沈んだ表情を浮かべていた。
「如何しました?」
二人に聞こえない様に小さく、タマがポチに問いかける。
「……後で良いか? 今話せば、婿殿が不機嫌になる」
おそらく、皓の所ではなく静那の方に何か嫌がらせをされたのだろうとタマは悟り、頷く。
「分かった」
タマとポチを怪訝そうに見る二人に気がつき、タマは素早く口を開く。
「お呼びに従い、木崎とその担い手をご案内いたしました」
タマの言葉に、中から応えが返ってくる。
「入るが良い」
皓は、思ったよりも遥かに年若い声が聞こえた事に片眉を上げるが、タマは何も言わずに襖を開ける。
目の前に現れた光景に、皓は息を飲む。
蓮の花を咲かせる大きな池と、その中心に建てられた大きな離れ。
離れへは緩やかな傾斜の橋がかけられており、色とりどりの蓮の花と何処からか差し込むほの明るい光。
今まで歩いてきた薄暗い廊下から、幻想的な光景に遭遇したと言うギャップで皓は目眩を覚える。
一瞬、別の世界かと錯覚してしまいそうになった。
その皓の手を握る静那は、そっと彼に寄り添う。
「旦那様……」
心配そうな声を上げる静那に、皓は正気に戻る。
「あ、ああ……悪ぃな」
そう言いながら、静那を見る。
幻想的な風景の中でも、静那はしっかりとした存在感を持って秀麗な美貌に心配の色を滲ませていた。
皓はそんな静那にすとんと気持ちが落ち着き、思わず苦笑する。
「心配させたな」
ポンと頭を撫で、先導する様に前に立つタマに頷きかける。
皓の合図に、タマは歩き出す。
木の板がキシキシと軋むと同時に、仄かに明るい光が足元を照らす。
皓はふっと上を見上げると、この離れを中心とする様な大きな穴が上にあいていた。
そこから月明かりが差し込み、この風景を幻想的な美しさに彩っていたのだ。
同時に、今まで屋内の様な様子だった廊下や禊ぎ場が実は洞窟の中にあったのだと気がついた。
随分と凝った作りになっていると皓は内心で感心していると、隣の静那がきゅうっと皓の手を握る。
まるで怯える子供の様に手を震わせているのに気がついた皓は、静那でも長老とやらに会うのが怖いのかと考え、元気づける様に手を握り返してやる。
すると、静那は驚いた表情を浮かべて皓を見上げ、次いで頬を染めて笑う。
怜悧な美貌を仄かに明るく照らす月の光は、その微笑をどこか艶やかに見せる。
胸が一つ、高く跳ねた。
と同時にタマが足を止め、口を開く。
「当代の神子とその担い手を、お連れしました」
普段はもう少し柔らかみのある声が淡々と言葉を紡ぎ、中に入室する許可を問う。
「入りなさい」
静かな声は、たおやかな女性の声。
許可と同時に、タマはゆっくりと皓と静那を見てから前を向き直し、襖に手をかけた。
中々話が進まないのは、何故なんでしょうねぇ……。
取り敢えず、次はいよいよご対面です。