第十二話
ふと気が付けば、腕の中で静那が力を抜いて体を委ねてきていた。
それと同時に、すやすやと言う寝息まで聞こえて皓は思わず苦笑する。
「本当に、餓鬼だな」
泣き疲れて眠ってしまった静那を見ながら笑い、皓はしっかりと静那を抱き上げる。
このままの体勢で眠らせるより、布団に入れてやった方が良いだろうと立ち上がると、丁度静那の服などを片付けたらしいポチがドアを開けてマジマジと静那と皓を見比べる。
「……婿殿、もう本契約を結ぶ気か?」
ポチの問いかけに、顔を顰める皓。
「まて、誰がそんな事を言った……ってか、泣き疲れて寝ちまったからよ、取り敢えず俺のベッドに寝かせるかと思ったんだよ」
皓の言葉に、ポチはなるほどと頷き口を開く。
「やはり、寝所は一緒で問題ないのではないか?」
ポチの言葉に、皓が一瞬目眩を覚える。
この犬耳美女の考えている事がなんなのか、全く読めない。
「んなこと今はどうでもいいだろうが……それより、静那の部屋に布団を敷け」
自分のベッドに寝かせると言ったらとんでもない返事が返ってきたので、皓は静那の部屋に寝かせる事にする。
「ふむ。婿殿は、今どきの若者とは違うのだな」
などと何やら年寄りくさい事を言いつつ、ポチは部屋の中に戻り布団を手早く敷く。
「俺にだってな、気軽に手出しできる女と、出来ない女の区別はついてるんだよ。静那は軽々しく抱いて良い女じゃねぇ」
皓はそう言って、嘆息する。
「こんだけ無邪気に慕われたんじゃ、変な気を起こす方が悪いっつー気にもなるしな」
皓の言葉に、ポチは数度瞬いてからくすりと笑う。
「婿殿は案外、良い夫、良い父になりそうだな」
ポチの言葉に皓は渋面を浮かべ、ガシガシと頭を掻く。
「んなもん、なって見ねぇとわかんねぇよ」
憮然とした声音で呟き、皓は静那を布団に寝かせて毛布を被せてから部屋を出る。
ポチもまた、静那をゆっくりと寝せる為に部屋を出て扉を閉める。
「おや、火野家の少年は帰ったのですか」
そう言いながらタマもリビングに入ってきて、皓を見る。
「ああ」
タマの質問に頷いてから、皓はソファーに座って向かい側に立っている二人を見る。
「お前らに聞きたいんだが……朔夜って誰だ?」
皓の問いかけに、ポチが目を丸くしタマが笑みを浮かべる。
「お嬢様に聞かれたのですか?」
タマの威嚇する様な声音に、皓はニッと笑う。
「静那本人が言ったなら、泣き疲れて寝たりしねぇだろうな」
皓の言葉にむっとタマが眉を寄せ、ポチは努めて無表情を装う。
そんな二人の表情に、皓は笑みを消してゆっくりと背中をソファーの背凭れに預けて無言で睨みつける。
皓のその鋭い視線にポチがふるりと震え、タマは表情を強張らせながらポチを背中に庇う。
「聞いてどうなされるおつもりで?」
タマは若干震える声音で、そう皓に問いかける。
「お前なぁ……」
皓は低く呻き、額に手をあてる。
「押しかけてきておいて、何かトラブルを抱えていても気にするなって言うのか?」
皓の言葉に、うっとタマが詰まる。
「てめぇらは俺を静那の旦那にしたいんだろ? だったら、少なくとも事情をちったぁ話すべきじゃねぇのか?」
静かに問われた言葉に、タマもポチも反論できずに沈黙を保つ。
「取り敢えず、座れ」
その二人に嘆息をして、皓はその場に座れと顎をしゃくり、タマは頷きポチを促してその場に腰を下ろす。
「まぁ、今日来たてめぇらを安易に信じる程俺は出来ちゃいねぇ。だがな、少なくとも静那は信頼に値する。あれで腹に一物持っていたら、俺は女性不信になるぞ」
皓の言葉に、タマは思わずふっと笑ってしまう。
居間の空気が酷く硬く、息苦しささえ感じる程だったのだが、皓はそれを和らげてくれたのだ。
「無論、お嬢様は無垢で在らせられますから」
タマはそう言って、背筋を伸ばして皓を見る。
「お話は、私が。ですから、どうかポチはお嬢様に着いていてください」
タマの言葉に、皓は頷くがポチは弾かれた様に顔を上げる。
「だがっ!」
震えた声音と、若干青ざめたポチの様子に皓が訝しげに眉を顰めると、タマが苦笑する。
「婿殿。貴方は強いと、申し上げたはずです。その力を無意識にとはいえ、私とポチに向けられましたので……ポチは強い使い魔ですが、それでも貴方には敵いません」
皓にとってはピンとこない説明でも、自分が腹立たしさを持って二人を睨みつけた時にかなりの重圧を感じさせたのだろうとは見て取れた。
「私はポチよりも多少は強いので、まだ耐える事は出来ます。ですが、婿殿の純粋な力は彼女にはきつい」
タマの重ねて言う言葉に、皓は頷く。
「まぁ、気分悪いっつーのもあるんだろうしな。ポチは静那の所へ行っていろ」
皓に許され、ポチは渋々小さく会釈をして部屋を出て行く。
居間に残ったタマと皓はテーブルを挟んで向かい合い、居住まいを正す。
「朔夜……様は、静那様の姉です」
ポチが、少々陰鬱な声音で呟く様に口を開く。
ポチの言葉に、皓の眉が僅かに上がる。
皓が受けた説明では、木崎の長子が退魔の武器になると言うものだ。
だと言うのに、静那には姉がいると同じ口で言われ、皓は胡乱とした表情を浮かべる。
タマはその表情の変化に僅かに苦笑してから、目を伏せる。
「朔夜様は木崎の長女にして生まれながらの『鬼切の神子』。お嬢様は、朔夜様が生まれてから五年後に木崎の次女として生を受け、朔夜様を補佐する為にその力を磨かれておりました」
意図して感情を見せないようにと語るタマの言葉に、皓は黙って耳を傾ける。
「朔夜様はその素質と努力で、歴代の神子としては十指に入るほど優秀で在られました。十六歳で成人し、直ぐに己の担い手である伴侶を見つけたのが五年前」
タマの声音に、僅かに変化が現れる。
「そして」
逡巡する様な、どこか悲しさを秘めた声音。
「お隠れ遊ばせたのが、三年前の事です」
古い言い回しで、タマは皓に告げる。
皓はその言い回しに一瞬考える様な素振りを見せてすぐ、眉根を寄せる。
「その、『鬼切の神子』とやらは死なねぇんじゃねぇのか?」
皓の問いかけに、ゆるりとタマは頭を振る。
「いいえ。鬼には殺されなくとも、人の手により殺される事があります。特に現在は殺人や事故など、人的被害が多いですから」
タマの言葉に、皓は何も言わずに唸る。
「『鬼切の神子』が害された場合、その身の裡に宿りし『鬼切』は弟妹がおればそちらに移り、いなければまた先代『鬼切の神子』に戻られるのです」
タマはそう言って、皓をまっすぐに見る。
「お嬢様は、朔夜様よりも遥かに強い素質をお持ちになられています。『鬼切』、いえ『鬼斬』と言ってよい程の強さは、おそらく歴代の神子の中でも五指……いえ、三指に入るほどでしょう」
一旦言葉を切り、タマは深呼吸をする。
まるで自身を落ちつける様なその仕草だが、皓は特に口を開かずにタマの言葉を待つ。
「ですが、お嬢様はその能力とは裏腹に、脆い部分がございます。ですからどうか、婿殿。お嬢様を、静那様を支えてください」
そっと床に手を着き、タマは頭を下げる。
突然土下座をされた皓は眉をひそめ、嘆息する。
「……取り敢えず、頭上げろ」
皓は呆れた様な声音でそう言い、タマはそれに従い頭を上げる。
「まだ、会って半日足らずの奴に土下座なんかすんな」
皓は苦笑を浮かべながら、ソファーの上で足を組む。
「まぁ、強制的に組まされた相棒だが……子供らしくねぇ泣き方をするのは見てられねぇからよ」
やや照れたように頬を掻きながら、皓は笑う。
「俺で出来る範囲で、やれる事をするつもりだ」
強制的に受け入れをさせられた様なものだが、静那の無垢さには庇護欲をそそられて仕方がない。
妹を持つ兄の様な心境になりながら、皓はタマを見る。
「取り敢えず、朔夜の事はもう良い。静那が何であんなんなのかも、あいつ自身が言うまでは聞く気がねぇ」
だから安心しろ、と言い置いてから皓は苦笑を浮かべる。
皓の言葉に、タマは安堵の表情を浮かべている。
そのタマに、皓は口を開く。
「んじゃま、あれだ……面倒くせぇが、これから俺がやらなきゃなんねぇ事をきっちり聞いておかねぇとな」
ガシガシと頭を掻き、退魔の仕事やその組織についての事を教えろと、皓はタマを見る。
タマは切り替えの早い皓の言葉に一瞬驚くが、直ぐに表情を改める。
退魔の仕事、鬼切の事、そして火野啓太や彼らが所属する一族の事など教えなくてはならない事は山の様にあるのだ。
それを皓の方から切り出した事に、彼が相当静那の担い手として前向きに検討してくれている事に気が付く。
タマはその事に思わず笑みを浮かべ、頷く。
「判りました。では、これから退魔の仕事に関する勉強をいたしましょうか」
わざと子供に言い聞かせるように言いながら、タマはテーブルの上に手のひらを滑らせる。
すると、テーブルの表面が微かに揺らめき幾つかの映像を浮かび上がらせる。
「……なんかのファンタジー映画みたいだな」
等と皓が呟く言葉に、タマは思わず噴き出した。