第一話
ニッカポッカを穿き、見るからに土木の仕事をしていると言った様子の青年、窪塚皓は夜道を歩く。
手にはコンビニの袋を持ち怒っている様な、苛々している様な歩調だ。
「あー……ったく、急にクビとか言うなよなぁ」
思わず皓は独り言を零し、足元にあった小石を蹴とばす。
コンビニ袋に入っている物がその動きに合わせて揺れ、皓はますます深い溜息をついて袋を持ち直して帰路を歩く。
電球が切れかけた街灯が照らす道を歩いていると、ふっと柔らかな匂いを感じ思わず足を止める。
きょろきょろっと左右を見回すが、塀やマンションの壁ぐらいしか見えず匂いの元が無い。
気のせいかと首を傾げながら青年が前を向くと、目を見開く。
先ほどまで、自分の前には誰も居なかった。
だがしかし、自分の前方。
壊れた街灯の下に、白い人影が居たのだ。
深夜で、深い海の底に居る様な静寂を湛える住宅街。
まるで怪談に語られるワンシーンの様なこの状況に、皓は思わず生唾を飲み込む。
だがすぐに、皓は腹を括って白い人影を良く見ようと目を凝らすと、人影が静々と歩きだす。
一瞬腰が引けそうになったが、よくよく眼を凝らして見ると人影には足があった。
それどころか、この時間にこの辺りを歩いている可能性など皆無な格好をしていた。
思わず唖然と、皓は人影を凝視する。
静々と、人影は皓と同じ街灯の下に立つ。
その姿は緋袴に白い着物で、長く垂れた白い着物の下の緋袴が透けて見える。
見紛う事の無い、巫女がいた。
しかも、その巫女が自分の目の前で足を止めたのだから、たまったものでは無い。
皓は道を開けた方が良さそうだと判断し、退けようとした瞬間に巫女が顔を上げる。
その顔を見た皓は、息を飲む。
今時無いくらい真っ直ぐな、艶やかで鴉の濡れ羽色の様な黒髪。
白磁の様に白い肌に、すっと通った鼻筋。
やや切れ長の目と、紺碧の瞳が真っ直ぐに見上げてくる。
まるで三日月の様な、触れれば切れる氷刃の様な美貌を持つ少女だった。
美しいと思うと同時に、畏怖を覚えるその少女の瞳を、吸いこまれる様な心持で皓は見つめていた。
すると、白磁の頬が僅かに朱色に染まる。
ほんの少しだけ、恥ずかしそうに紺碧の瞳が逸らされる。
その瞬間、皓は知らず止めていた息を吐きだし正気に戻る。
同時に、何故自分がこんな美少女な巫女さんに見上げられなければいけないのかと疑問を覚えた。
「ばんわ」
取り敢えず、皓はそう声をかける。
少女は数度瞬きをしてから、微笑みを浮かべる。
「こんばんは」
まるで金の鈴を転がした様な声、と言う表現がぴったりな声で少女は返事をする。
浮かべた微笑みもその冴えた美貌に似合わず暖かいもので、皓は肩の力が抜けた様に楽になった気がした。
そんな自分に思わず苦笑を浮かべつつ、皓は口を開く。
「んで、この辺になんか用事でもあるのか? 神社とかは確か、無かったはずだけどよ」
皓の素朴な疑問に、少女はまたしても数度瞬きをする。
その仕草はおっとりとしていて、この少女の外見とはかけ離れている様な気がすると皓は思いつつ、返事を待つ。
すると、ゆっくりと少女の頬が赤く染まっていく。
瞳が潤み、恥ずかしそうに視線を彷徨わせ始め、もじもじと白い上着の部分を弄りながら桜色の唇を開く。
「あの……」
目の前で何やら恥じらい始めた美少女の姿に、皓も何やら照れくささを感じ始め顔に熱が集まってくる。
その上、化粧気が無いくせに桜色した唇が酷く色気がある様に感じ、彼女の居ない彼には酷く刺激が強い。
一瞬、唇を奪いたいという衝動が生まれたが、少女が言葉を発した事でなんとかその衝動を堪えた。
「な、なんだ?」
言葉の続きを促そうと問いかけると、少女は酷く恥ずかしそうに、しかし嬉しそうな表情を浮かべて皓を見上げる。
真摯に、真っ直ぐに見詰めながら。
「私と、契約してください」
と、言葉を紡いだ。
「……は?」
甘やかな言葉と勘違いする様な表情と声音で言われ、皓は言葉の意味を理解できなかった。
思わず問い返すと、少女はますます恥ずかしそうな表情を浮かべつつもう一度口を開く。
「私と、契約してください」
先ほどと同じ言葉を紡ぎ、少女は一世一代の告白をしたかのように真っ赤になる。
だが皓は、恥じらいで真っ赤になる少女が口にした言葉により、新手の新興宗教の勧誘なのかと思い、胡散臭いと思わず眉を顰める。
「……あ~~……悪いけど俺、宗教とかには興味がねぇんだ」
取り敢えず声をかけた自分に後悔しつつ、皓はそう言って少女の横をすり抜けようとする。
だが。
「あっ、待ってください!」
と、少女は必死で皓の腕を取る。
自分の胸ほどしかない少女は皓の腕を胸に抱え、一生懸命引きとめる。
「私はおにぎりのみこなのです! だから、あなたに契約してもらわないと困るのです!」
瞳に涙を溜め、一生懸命言い募る少女。
物凄く怜悧な美少女なのに、言葉遣いの幼さと言っている台詞が激しく怪しいのであまり関わり合いになりたくない。
「俺は宗教とかは興味ねぇんだから、他のやつに頼め! だいたい、なんでおにぎりなんかに巫女が居るんだよ!」
思わず、少女の言葉に突っ込みを入れると少女はぶんぶんと頭を振る。
「違います! おにぎりのみこです!」
華奢な少女が一生懸命訴えながら、ぎゅうっと抱えた腕を抱き締める。
少女の胸は布か何かで潰されているのか、余り柔らかな感触がしない。
だがしかし、そんな抱え方をされる事自体が滅多に無いので、皓は一瞬動きを止める。
その動きに、話を聞いてもらえると勘違いしたのか少女は顔を輝かせる。
「契約、してください! あなたじゃないとだめなんです!」
頑張って言い募る少女の言葉は、まるで愛の告白の様で皓の頬に一気に血が上る。
「まっ、待てや! 初対面のやつにそんな事言われる覚えはねぇぞ!」
涙さえ浮かべて見つめてくる美少女に、赤くなりながら皓は怒鳴りつけて体を離すべく腕を払う。
「ぅあっ」
小さな声を上げ、少女は振り払われペタンと地面に尻もちをつく。
皓は思わず取った自分の行動で少女が転んでしまった事にしまったと腕を伸ばしかけるが、必死で自制する。
少女にまた腕を取られるのは、正直勘弁してもらいたい。
深夜の住宅街で怪しい勧誘を受けて困っているわけだが、傍から見たらコスプレプレイをしているカップルだと勘違いされかねないからだ。
皓はうるうると瞳を潤ませ、眉尻を下げた美少女に罪悪感を抱きつつも口を開く。
「と、とにかく。俺には宗教は興味ねぇし、てめぇとその……契約っつーのをするつもりはねぇ」
動揺を押し隠す様に呼吸を整えながら、皓は少女をひたと見据える。
「見た所、中学……高校生だろ? こんな時間にそんな恰好でウロウロしたら、親が心配するぞ。さっさと帰って、宗教から……」
皓は思わず要らない事と思いつつも、少女を諭し始めると少女の表情が変わる。
「いけない」
険しい表情で素早く立ち上がり、皓の腕を掴む。
「お、おい! 人の話を……」
「早く、移動しなきゃ……!」
少女の酷く緊迫した声に言葉を遮られ、皓は一体何があるのかと問おうとするが、少女が駆けだす。
草履だと言うのにかなりの足の速さで、皓は驚きながらも一緒に走る。
いや、走らなければならないと本能が訴えたのだ。
酷く不吉な何かが、後ろから追いかけてくる感覚。
後ろを振り返れば凶暴な肉食獣に追いつかれ、食い殺されてしまうと錯覚する異様な殺気が迸っていた。
皓の背中は冷たい汗が流れ、このまま走り続けていてもいずれは追いつかれてしまうことを直感してしまうほどだ。
少女は皓の顔を見てから数度頷き、走りながら懐から鈴を取り出し皓に差し出す。
「これ、持っていてください。これがあれば、あなたは大丈夫ですから」
息を切らせながら、少女がぽわんと微笑む。
何故か、少女のその言葉と微笑みに魅せられたように皓はその鈴を受け取る。
少女はその行動にほっと安堵した表情を浮かべてから、思い出したように口を開く。
「私は、木崎静那です。私が生きていたら、契約してくださいね」
笑顔で聞き捨てならない事を言われ、皓が目を見開くと同時に少女は腕を離し、足を止めて振り返る。
「おにぎりはこちら!」
後ろの何かにそう怒鳴りつけ、少女は柏手を打つ。
その、小さいはずの音だけで、何故か不快な感覚が薄れた皓は足を止めて振り返る。
木崎静那と名乗った少女の向こう側に、巨大な犬の様な動物が荒い息をつきながら彼女に向けて前足を振りおろそうとしていた。
「あぶねぇ!」
思わずそう怒鳴り、皓は静那を助けようと駆けだす。
だが、静那は振り下ろされる前足を数歩下がるだけで避け、素早く印を結ぶ。
「おにぎりは、おにに殺されない。おにぎりは、おにの悪を滅すもの」
もう数度、複雑に手を動かしてから静那は刀印を結ぶ。
そこに、皓が静那の傍に駆け寄り肩を掴む。
皓の行動に静那は驚き、振り返る。
「どうしました?」
目の前に巨大な化け物が居ると言うのに、静那はキョトンとした表情を浮かべて小首を傾げる。
「ど、如何しましたって……っ!?」
呑気な言葉に言葉を詰まらせると、皓は顔を上げて気がつく。
化け物の四肢には青白い光の輪が嵌り、身動ぎが出来ない状態になっていた。
そのせいか、化け物は怯えに似た色を目に浮かべて静那を見下ろしている。
静那は肩を掴む皓の手にそっと自分の手を添え、笑顔を浮かべる。
「そのまま、肩をつかんでいてください」
無垢な笑顔で言われ、皓は何故かを問おうとしようとしたが静那が前を向いてしまう。
凛とした横顔を見せ、静那は口を開く。
「おにぎりは、おにを浄化するもの」
刀印を結んだ手を上げ、裂帛の気合いを入れて振り降ろす。
瞬間、静那の手から青い光が放たれ、化け物の体を切り裂く。
切り裂かれた事で化け物は黒い靄へと変わり、徐々に色を変えていく。
黒から灰色、灰色から白へと。
その変化と同時に、周囲に立ち込めていた何とも言えない重苦しい空気が次第に清浄なものへと変わって行った。
それを間近で見ていた皓は呆然とした表情を浮かべながら、静那の肩を掴んだまま眺めていた。
静那はふうと息を吐き、皓を見て顔色を変える。
「あっ、あぁ!」
静那の驚いた声に皓は正気に戻るが酷い目眩を感じ、同時に意識が途切れてしまった。
この小説は、自サイトにて連載している物です。
月一の更新予定ですが、楽しんでくださると大変嬉しいです。