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04 偶然の事実と彼女の提案

「……確かに私は小鳥遊ですけど、あなたは?」


 そう言う彼女の口調は硬く強張っていて表情は無を浮かべていた。

 明らかに警戒されている。そう結人に自覚させるほどのものだった。


 今の結人の容姿は学校とはまったく違うし、涼音はこちらを結人だと認識していないはずだ。というかそれ以前にクラスメイトとして彼女が結人の存在を認識しているかすら怪しいのだがそれはこの際置いておいて。

 それなのに反射で彼女の苗字を呼んでしまったのは失敗だった。涼音からすれば知らない人に一方的に自分を知られているという奇怪な状況になるのだから。

 それに涼音の学校での立ち位置を考えれば、人並み以上に警戒心が高くなっているのだとも察せた。


 ともかく、涼音によくない印象を持たれたままでいるのは結人としても良い状況ではない。なので互いのためにそれらを一度払拭する必要があるだろう。


「ごめん、驚かせて。俺は同じクラスの来栖結人っていいます」


 できるだけ柔らかい口調を意識して素性を明かすと涼音は目をぱちぱちと瞬かせる。それからこちらの容姿を一瞥して、おずおずといった様子で柔らかそうな唇を開いた。


「来栖さん、ですか……?私が知ってるのは眼鏡をかけた大人しい感じの人なのですけど……」

「そう。その来栖で合ってる」


 目を瞬かせた様子から、もしかしたら名前すら認知されていないのではと懸念したがそれは杞憂に済んだ。


 でも安心するにはまだ早い。学校での容姿と名前を覚えられていても、今の自分がその来栖結人であるという証明にはまだ至っていないからだ。


 と、ふと結人はズボンのポケットに生徒手帳が入っているのを思い出す。

 一人暮らしの身にもしものことがあった場合でもすぐに身分を証明することができるので、外を出歩く時に生徒手帳は常に携行していた。

 取り出して最初のページを開けばそこには長髪で眼鏡をかけた暗そうな生徒の写真が貼られてあった。


「これで証明できると思うから、一応」


 涼音に開いた生徒手帳を差し出してみる。

 涼音は最初きょとんとしていたが、差し出された生徒手帳を取り敢えず……と言った感じで受け取って目を通し始めた。数秒の間があった後、涼音が顔を上げる。


「あなたが来栖さんだというのは分かりました。……それにしても……その、結構変わりますね」


 涼音が生徒手帳とこちらを交互に見比べてくる。容姿のギャップは涼音にそれなりの衝撃を与えているようだった。そう気付くよう仕向けたのは自分なのだが、いざ驚かれると少し羞恥心が湧いてくる。


「ん、まあ。プライベートを楽しんでる、みたいな?」

「それは良いですね。あとこれ、お返しします」


 生徒手帳と一緒に返ってきた言葉は簡素なものだった。それでも頷いている様子を見るに涼音は納得しているようだった。


「小鳥遊さんも買い物でここに?」


 容姿の話題は気恥ずかしいので程々に切り上げて、新しく簡単な話題で繋ごうと試みる。

 涼音がぺしゃっとした手提げを片手に持っているので買い物に来ていることは誰が見ても予想がつくだろうし、スーパーに用事がなければここにいることもないだろうが。


「はい。夕食の材料を買いに来ました」


 想定内の応答に「立ち話もなんだからさ」とスーパーの入り口に歩き出すと、涼音は少し遅れて付いてきた。


 高校生が夕食の材料を買いに来るということは恐らく親のお使いか、結人のような一人暮らしかそんなところだろう。


「もしかして小鳥遊さんも一人暮らしだったり?」


 なんとなく勘で聞きながら買い物かごの山から二つ取り出して一つを涼音に渡す。

 涼音は「ありがとうございます」と礼を言って丁寧に両手で受け取った。


「はい。一人暮らしです。……『も』ってことは来栖さんも?」

「一人暮らし。ほら、こっからでも見える大きいマンションがあるよな?そこに住んでる」


 スーパーの窓からもマンションの大きな影は目立って見えた。口先の説明に加えて補足でガラス越しに大きな影を指差す。すると涼音は少し眉を上げて驚いたような反応をみせた。


「そのマンションって三十階建てで地下は二階までありますか?」

「え?ああ、多分そう。最近住み始めたばかりだから詳しい施設とかは知らないけど」


 少し驚きながら涼音の質問を肯定する。普段から控えめに見える涼音が踏み込んだ質問をしてきたのは意外だった。


「……そういえばエレベーターに消防点検を通告する張り紙がありましたけど、自分の階の日時とか確認してます?」

「あー、そんなのあったな…………ってあれ?何でそれを?」


 つい最近、それもこの買い出しのために乗ったエレベーターの中で結人はその張り紙を見かけていた。でも、なぜ涼音がそれを知っているのだろう。あの張り紙が貼られ始めたのは割と最近な気がするし……。


「……まさか」


 そこで一つの可能性に気付いて、結人は涼音の整った顔を見る。すると涼音は不敵な笑みを浮かべた。


「生徒手帳を見た時からもしかしたらと思っていましたが、どうやら私たちは同じマンションに住んでいるみたいですね」


 ここのスーパーに買い物で来るのだから、涼音もこの近辺に住んでいるのだろうと軽く推測ぐらいはしてはいた。それがまさか同じマンションの住人なのだとは全く予想だにしていなくて素直な反応がでた。


「マジか。凄い偶然もあるもんだな」

「そうですね」


 共感を求めて笑いかけると涼音もふんわりと微笑み返してくれた。普段学校で見かける困ったような小さな笑顔とは違う涼音の柔らかい笑顔を結人は初めて見た。それも結構な至近距離から。


 (小鳥遊ってこんなふうにも笑えるんだな)


 まじまじと涼音の顔を見てしまって涼音から「来栖さん?」と困惑の表情を向けられた。


「……あっ、えと、俺も夕食の買い物でここに来たんだけどさ……」


 慌てて取り敢えず脳に浮かんだ文字をそのまま口にするも、生成途中の文章の断片を完成する前に口にしてしまったので、言葉が途切れてしまった。


 ちらっと横目で涼音を見ると、話途中だと思ったのか続きを待ってくれている。結人の視線に気づくと涼音は首を傾げて困ったように笑った。


「えっと……小鳥遊さんの今日の夕食のメニューは何?」


 余計に焦って結人は文脈に全く関係ない質問をしてしまった。

 傍から見ると滑稽だろう自分に絶望していると涼音は持っていた手提げからスーパーの広告を取り出した。


「今日はお魚が安い日なので……そうですね、メインはお刺身にします」


 涼音が魚介類売り場に歩き出すので結人は付いて行く。


「あとは炊いているお米にサラダと汁物を作って、作り置きの煮物……ですね」


 バランス良く栄養も豊富な献立が結人の頭に浮かぶ。


「来栖さんは夕食何にするんですか?」

「……実はまだ決まってないんだ。食材を見ながら決めようと思ってたんだけどあまりピンとこなくて」


 普段なら残り物との都合で作るものを考えてから足りないものを買いに来るのだが、家に残り物がないので全く献立を考えていなかった。それに食材を眺めていれば何かしらアイデアが浮かぶと思っていたが、それもうまくいっていなかった。


「そうですか……」


 涼音は視線を下に向けて顎に手を当てた。

 何か考えている様子なので結人は邪魔しないよう黙って待つ。考えるという日常的な仕草ですら、涼音がすれば美さを帯びて見えた。その整った美しさは『自然な動作をしている』というより『あえてポーズをとっている』ように見えるまであった。


(なるほど。『人形のような美しさ』はこういうものを指すのだろう)


 そんなことを考えていると涼音が顔を上げる。考え事が終わったのかと顔を伺うと未だ思案顔のままでいた。なにか引っかかることがあるようだった。


「…………一人暮らしなんですよね?」

「ん?そうだけど?」


 事実なので肯定するが、確認する口調に疑念を覚える。一人暮らしがなんなのだろう。そう思っていると涼音は意を決したような表情をして口を開いた。


「もし来栖さんがよければ、夕食をご馳走させてもらえませんか?先程助けてもらった恩もありますし、同じマンションですし。これも何かの縁ということで」

「…………え?」


 (夕食をご馳走……?)


 涼音の言ったことが理解できなくて、結人は頭の中で内容を繰り返す。やっと理解が追いついてきてから断る旨を口にしかけたが、それは喉元で留められた。この提案が特別なものなのは確実で、簡単に断るのは早計な気がしたのだ。


 なんなら涼音の手料理は興味をそそったし、せっかく恩を返したいとあちらから申し出てくれているのに無下にするのは悪い気がした。それに涼音の言う通りで、こんな縁は滅多にないだろう。


 色々考えた結果、結人は涼音の提案に甘えることにした。


「えっと……本当にご馳走になっても?」


 一応確認で聞くと、涼音は「もちろんです」と微笑む。

 本人がいいのならいいのだろう。


「じゃあ、よろしくお願いします」


 夕食をご馳走になると考えると、会釈は自然とついてきた。


「いえ、こちらこそ」


 涼音も倣って会釈を返してくれる。互いに顔を上げた後、どことなく気恥ずかしくて結人が苦笑いで紛らわそうとすると、涼音もそうだったのかぎこちなく笑顔を作っていた。

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