音の波を重ねて
キャンプから戻って。
練習再開の日、子供達の歌声が変わったとファンテは気付く。
「じゃあもう一回最初からね」
隊列を組む子供達の前にスツールを置いて腰掛け指揮棒を構えるリーン。更にその背後から腕組みをして見守るファンテ。
リーンが指揮棒をゆっくり振り下ろす。
その動作をきっかけに子供達は歌い出す。リーンがテンポよく振る白く細長い棒に子供達の声が追随する。
――なるほど、そうやって使うものか。
きっと棒はなくても歌えるのだろうが、それだと統率の取れていない歌声となるに違いない。
今のファンテの視界ではリーンの背中しか見えないが、彼女がうきうきと棒を振っているのが分かる。
実際、子供達の歌声は先日までとは別物だった。歌声はリーンが指揮棒で統率を取ることによって背骨が通され、しっかりとした芯を得たようだ。
リーンの指揮棒が止まる。歌声が止まる。
「うん、いいね!」
満足げなリーンはロッカに、ジェンテに、他の子供達に微笑んだ。
「今のは――最高だった」
子供達が一斉に声を上げる。やがてロッカを中心に輪になって、喜びを爆発させた。
「さあ、じゃあ最初から。今の感覚を忘れないうちに、ね」
子供達は笑顔のまま配置につく。
リーンは振り返りファンテと目を合わせた。「ありがとね」
一言だけ。リーンはすぐに向き直り指揮棒を振り始める。
――どういたしまして。
ファンテは腕組みのまま、心の中で呟いた。
祭りは来週だ。リーンとファンテは会場となる場所の下見に来ていた。
「どうだ、広いだろう」商業組合の長、ガッシュが先頭に立って二人を導く。
街を南に出た場所に仮設の舞台が設えられていた。
「ま、屋外なのはしょうがない。街中では場所がなくてな」
ガッシュは申し訳なさそうだ。彼もリーンと同じ転移者であるため、屋外での合唱がどれくらい響かないかはよく分かっているのだろう。
「ええ、ここで構いません」
下手に設置された階段を上がり、リーンは舞台中央まで進んだ。
――昔を思い出す。
リーンの眼下、今はガッシュとファンテしかいない砂地。もしそこが客席なら、ここにアンプがあって照明が焚かれ、バックバンドが居たなら。
――ああ、懐かしいな。
知れず舞台上でリーンは拳を突き上げていた。
蘇る熱気、歓声、うねりのような手拍子、躍動。
――昔、私は松崎リーンだった。でも、今はただのリーン。
「おーい、どうしたんだ」
舞台の下からファンテが呼び掛ける。
「ファンテ、私、頑張るね」どこか吹っ切れたような顔のリーン。
――過去は過去だ。今やるべきは、ここで全力を出すこと。
「こんな屋外で行けるのか? リーン」
心配そうなファンテの声。
「空間封鎖を使うからね。多分、大丈夫だと思う」応えるリーン。
五日間の祭が始まった。
人出はお世辞にも良いとは言えない。普段の街中よりは幾らか多い程度。まだまだこれからだよ、とガッシュはリーン達に強がって見せた。
合唱のイベントは昼と夕方の一日二回。
身なりをきちんとした子供達は舞台の裏で待機している。初回と言うこともあってか、緊張した面持ちだ。ぴりぴりとした空気がリーンにはよく分かった。
「――ちょっと円陣を組もう」リーンを中心にした少年少女の輪が出来上がる。
「私の国ではね、こう言う時に」
彼女は右手を差し出す。手の甲を上にして、円陣の中心で。
「さ、手を重ねて」
リーンの隣にいた女の子が自分の手を重ねる。同じようにして次々と手を重ねていき、最後にロッカが自分の手を一番上に置いた。
「こうやって、気合いを入れるのよ」
言うが早いか、リーンは大きく息を吸い込んで口を開いた。
「みんなーっ! 行くぞー!」
戸惑うロッカに、リーンは重ねた手を振り下ろして、と言った。訳も分からない内に、ロッカは一番上にあった自分の手を、皆の手を撃ち抜くようにして一気に振り下ろした。
「っしゃー!」リーンが吠えた。
理由は分からない。
だが、何故かロッカは力が漲るような気がした。見れば他の子も同じなのか、力の入った顔つきになり、今し方ロッカに撃ち抜かれた手を握りしめ、力強く空に突き出していた。
僕達は出来る。
――きっと大丈夫。
ロッカには確信が持てた。
開演間近。
リーンとファンテは舞台に上がり、徐々に集まってくる客の流れを見ていた。ちなみに観客は砂地に並べられた椅子に座って舞台を見る。
「あんまり集まらなさそう」
事実、客の入りは悪い。ざっと見たところ百人以下だ。ガッシュは宣伝を頑張ったのだとは思うが、今のところ物珍しさでやってきた少数の客と、大半は子供達の親で占められていた。
「まあ、だから一日に二回やるんだろ」
昼で話題になれば夕方は人が増えるという計算らしかった。加えて祭りは五日間、上手くすればどんどんと客は増えていくはずだ。
「そういうことなら、少し大きめに封鎖しておこうかな」
リーンは魔法の鞄に手を突っ込む。ゆっくりと彼女が鞄から手を出すと、注意深く見なければ分からないほどの薄い膜のようなものをつまんでいた。するすると引き出し続ける。やがてリーンの腕がいっぱいに伸びる。
「よっ……と」
まるで空中に網を投げるようにリーンはつまんでいた膜を振った。勢い良く放射状に膜が広がっていく。それは上昇して、舞台を中心にかなりの規模の空間を包み込んだ。
「うん、うまくできたね」
魔法の鞄は何層にも折り畳まれた空間を内包した魔法具だが、その層は膜として一つずつ取り出すことができ、取り出した膜で今リーンがやったように空間を包み込み、封鎖する事ができる。勿論、膜は後で鞄に入れ直せばまた収納道具としての機能が復活する。
「この空間にどうやって外から入るんだ?」
ファンテの素朴な疑問。
「これは魔法なんだよ? 何の問題もなく通り抜けられるに決まってんじゃん」
リーンは言って、ファンテの顔を楽しそうに見つめた。
「でも空間は封鎖できる、か。魔法ってのは相変わらずでたらめだ」
「あはは。そうだね。でもこれで音が――響く」
リーンはファンテに頷きかける。
「さ、いよいよ本番だよ」
ファンテの腕を軽く叩くと、リーンは気合いの入った顔で舞台を降りていった。
本番、昼間の一回目。
舞台にリーンと子供達が上がる。舞台中央に歩きつつリーンが客の入りを確認すると、座席は半分も埋まっていなかった。
――まあこんなものよね。
ちなみにリーンは白い襟つきのノースリーブのシャツに黒い七分丈のズボン、足元は白いサンダルだ。右手に指揮棒を持ち、左側には自分が座るためのスツールを抱えている。
客席の最前列真ん中に座るファンテとリーンは目が合う。思わず小さく手を振り返した。彼は口元を僅かに動かしただけ。隣にはガッシュが不安そうな顔で舞台を見上げていた。
――や。今更だけど、わくわくしてきたよ。
子供達と共に中央で止まり、リーンは客席に向けて深々と頭を下げた。客席に背を向ける、スツールを舞台に置き浅く腰をかけた。指揮棒を構える、センターに立つロッカに笑いかけた。
「さ、やるよ」
彼女の声に子供達が背筋を伸ばす、リーンの手元を凝視する、彼女はふっと短く息を出し、指揮棒を――振り下ろす。
最初はロッカの独唱だ。曲は『アメイジング・グレイス』。
封鎖された空間にロッカの歌声が響き渡る。
客席は疎らだが、席に座るもの全ての目線が一気にロッカに集められる。恐らく殆どの人が歌を聴くのは初めてだろう。自分の耳がおかしくなったのかと首を捻る客もいる。
音とは――波だ。呑まれる時、波の正体が何かは分からずとも問答無用で身体を、心を、聴覚を持って行かれる。歌とはそのように、耳にした人の全てを何処かへ連れて行く。良い歌であればあるほど狂おしく、暴力的に。
――ああ。
ロッカはまだ歌を始めたばかりの少年。彼には間違いなく才能がある。リーンがいなければ、『歌』というものの存在を知らなければ目覚めることのなかった、本来なら埋もれるはずだった。
――子供って、凄いなぁ……。
指揮棒とは逆の、空いている左手を顔の高さに上げ、リーンは他の子供達に指示を出す。彼らの顔が引き締まり、準備は整っていると思えた。
――じゃあみんな。世界を、驚かせよう!
左手を鋭く下ろした。右手の指揮棒は力強く目の高さに上がる。
刹那。
ロッカの声に、他の子供達の声が重なる。
多層的で複合的、多重的な歌声が封鎖された空間に響き渡る。
ファンテは自分の耳に流れ込んでくる音の重なりに驚き、目を見開いた。
先行していたロッカの声に他の子供達が覆い重なるようにして声を出す。今まではロッカ一人が起こしていた小さな波だった。他の子供達の声が起こしたさざ波がロッカのそれを取り込み、うねるようにして増幅される。
――これが、リーンの言っていた調和って奴か。
確かにリーンの歌声とはまるで違う。言ってみれば戦い方の違いだとファンテには思えた。戦場で一人、敵を倒すか、部隊で敵に当たるか――戦い方が異なれば、自ずと結果も変わる。一人で戦場を駆けるのは勇猛で人々の目を引く。対して、部隊で戦うのは地味で華やかさからは遠くなる。
が。
――上げられる戦果は多いこともある。
ファンテはそこまで考えて少し頭を振った。あまりに自分の過去に重ねすぎた、と。
少年少女の歌唱は続く。
知れず、ファンテは目を閉じて彼らの歌声に聞き入っていた。それはまるで、神父の講話を聞く敬虔な信徒のようであった。
光景は静寂。
静寂の中を、子供達の涼やかな歌声が駆け抜けて行く。
舞台上、リーンの指揮棒が一際高く上がった。
同時に止まる子供達の歌声。
「素晴らしい……っ!」
ファンテの隣でガッシュが立ち上がり、たった一人で手を打ち鳴らした。
ファンテもリーンから拍手を教わった。
――ガッシュ、あんたは……やはり、リーンと。
何らかの繋がりがあるんだな、前の街で出会った、ギター職人のギデオンのように。
拍手が大きくなる。
ファンテが振り返ると、客席にいた人間が全て立ち上がり、ガッシュを見習ったのか一斉に拍手をしていた。口々に歓声も上げ、今、自分たちが聞いた歌への賛辞を送る。
スツールから立ち上がり客席に向き直ったリーンは、満足そうな顔で子供達と一緒に深々と頭を下げた。
夕方の公演では客は増えていた。リピーターもちらほら。
「ああ……昼より多いなぁ」
舞台袖で客席を見ていたジェンテが不安そうな声だ。
「まだまだよ。まだ半分も埋まってないじゃない」
リーンは指揮棒を持ち、昼間と同じようにスツールを小脇に抱える。
「明日はもっと増えるよ」
必ずね――リーンはにやりとした。
「みんな! お疲れ様でした!」
リーンが店の中央で果実水の入ったグラスを掲げた。
「お疲れ様っ」
「お疲れ!」
場所はガッシュのカフェ。店内の席を子供達が埋めていた。グラスに入った果実水を皆が口に運ぶ。
座る席はもうないのでリーンは店の隅にあるカウンターに歩いて行き、ファンテの隣に立った。
「……お疲れ」ファンテの声に、リーンは見上げて軽く笑った。
「や、大変だったけど、やって良かったよ」
結果として、最終日には立ち見が出るほどの盛況だった。合唱団は日に日に歌の完成度を高めて、リーンでも思わず聞きほれるほどだった。
「リーンさん、素晴らしい公演をありがとう。久し振りに良いものを聞かせてもらったよ」
ガッシュがカウンターの向こうからグラスを掲げた。リーンはにこやかに自分のグラスを合わせ、少し飲んだ。
「おかげで街にも活気が出たよ」
「それは良かった」
リーンが子供達に目をやると、彼らは銘々にお喋りしながら、ガッシュが出してくれたケーキやお菓子を口にし、その甘さに目を丸くしていた。
「二人はこれからどうするのだ?」
ガッシュの問い、リーンとファンテは顔を見合わせる。
「そうだな、もう少し南へいこうかな、と」
リーンは答える。どの道この旅に終わりはないし、彼女は行けるところまでこの世界を見て回るつもりだった。
「……で、いいかな? ファンテ」
「構わない。俺もここより南には行ったことがないから楽しみだ」
「そうか。だが南へ行くとなれば色々と物騒かもしれんぞ。世界新党の本拠地に近くなるからな」
「なにそれ?」ファンテを見たが、彼も初耳のようだった。
ガッシュは器用に片眉だけ吊り上げて奇妙な顔をした。
「何じゃそんなことも知らんのか。世界新党というのはな、新しい神を崇める危ない連中じゃよ」
「新しい――神だと?」
ファンテの中にある神と言えばエトナ、恐らく誰の中にある神もそのはずだ。
「そうじゃ、新しい神の名はダレオスと言うらしい。いいか? リーンさん、あ奴らは芸術の類を嫌っておる。堕落させるものとしてな。十分に用心することじゃ」
『芸術』の中には歌も入るよなとファンテは考えた。
「うん、分かった。ありがとうね、ガッシュさん」
神妙な顔でリーンは顎を引く。
「リーン、ファンテ、何やってるの?」
「こっちにおいでよ」
子供達がリーンとファンテの腕を取り引っ張る。二人は何処か面映ゆさを感じつつ、彼らの座るテーブル席へと導かれていった。
打ち上げは夜になってお開きとなった。
合唱のことが噂になり広まれば、街は暫く活気づくだろう。
「改めてお疲れ、リーン」
二人はカフェを出て、宿までの街路を歩いている。
街灯がちらちらと点り始める。ただ光量は少なくて、僅かに足元を浮かび上がらせるのみ。
リーンがファンテの腕に触れた。軽くしがみつくように身体を凭れかける。
「ああ、しんどかった。失敗したらどうしよう、って」
半ばリーンを引きずるようにファンテはその感触を楽しげに受け止めつつ道を歩いていく。
「俺には上手く言えないがな、凄かったよ。歌って奴には無限の可能性があるんだなと改めて知った」
彼の言葉を聞いて、リーンはふふ、と声を漏らした。ファンテに引きずられるのを止め、立ち止まる。
「リーン?」
歩き過ぎてしまったファンテは振り返って彼女を見た。
「今のが一番うれしい言葉だったかな」
たたた、とファンテに駆け寄り隣に並ぶ。
「これからも宜しくね、ファンテ」
微笑んだリーンの声。
彼はどうしてか分からなかったが、今、この瞬間、リーンを何としても守らねばと強く決意した。この笑顔を、歌声を壊してはならない。もしも壊そうとする者が現れればその時は。
――俺はもう、二度としくじらない。
「ああ、こっちこそ。改めて宜しく、リーン」
ファンテはリーンを見下ろして微笑む。
二人はゆっくりと宿屋までの道を歩いて行った。
これでお終いです。
ありがとうございました。




