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第8話 まずはお湯にでも浸かりたい

 夕日に赤く照らされるゴーデンバーグ公爵邸の前には一人の女性が立っていた。

 長い銀髪は夕日の中でも輝き、品のある菫色のドレスが彼女の美しさを際立たせている。

 そこに護衛に囲まれた一台の馬車が到着する。

 護衛の中でも一際身なりの良い壮年の男性が、馬車の扉を開けて恭しく頭を下げて中の人物をエスコートするために手を差し出した。

 その手を取って中から出てきた少女の姿に邸の前にいる女性は歓喜の声を上げる。


「イーシュ、よく来たわね」

「お母様、お久しぶりです。ご壮健そうでなによりです」

「堅苦しい挨拶は抜きにしましょう。あなたたちもご苦労様、今日はゆっくり……ってあら?そちらの方は?」


 公爵邸の前で待っていた女性はイシュタルの母親のフローラだった。

 彼女は愛する娘に一秒でも早く会いたいがためにずっと待っていたのだ。

 それ故にイシュタル以外は視界に入っていなかったが、娘を抱きしめたい気持ちを抑えるため、周りの者に声をかけた時にやっと初めて見る顔がいることに気付いた。


「紹介が遅れました。彼女はカナデ・オオトリ。わけあって私の判断で同行してもらいました」


 娘の言葉にふぅ~んと返すと、フローラは物珍しい服を来た少女をしげしげと見つめる。

 公爵夫人たる気品と風格を纏った彼女に見つめられて緊張し、カナデの体はカチンコチンに凍ったように固まった。

 その様子を見ていたサラは固唾を飲んで見守る。

 自分の判断だとイシュタルが言っても、フローラは見ず知らずの少女が同行することになった経緯を知らないし、そもそもどこの馬の骨とも知れない輩を同行させた時点で処罰を受けても仕方のないことなのだが、そんな心配を吹き飛ばすようにフローラは微笑んだ。


「そうなの。イーシュが無理を言ってごめんなさいね」

「い、いえ!私の方こそ宿の面倒を見てもらっただけでなく、ここまで同行させて頂いて感謝に言葉もありません」

「ふふ、可愛い子ね。イーシュもカナデさんも疲れたでしょう?まずはお湯に浸かって汗を流してらっしゃい」

「えっ!お風呂ですか!?」


 それまで恐縮しっぱなしだったカナデは目を輝かせ、飛び上がらんばかりの勢いで頭を上げた。

 それを見たフローラが目を丸くして言葉を失っているのに気付いて、恥ずかしくなったカナデは顔を赤らめて小さくなる。

 フローラは小さく笑うと、改めて二人に湯浴みに行くよう促した。


 メイドには無理を聞いてもらって二人一緒に湯浴みをすることになった。

 ゆったりと一人で寛ぎながら磨かれるのもいいが、客人であるカナデを待たせるわけにはいかないし、自分が一緒にいればメイドの対応も自分のものと同じにしてくれると考えた。

 それに馬車の中で聞いた感じだと、カナデは他人に体を洗ってもらうような生活を送っていなかったことが窺える。

 一人で湯浴みさせたら困惑させてしまうかも知れないとの配慮も兼ねてのものだった。


 案の定、カナデが若干拒否反応を示したが、イシュタルに倣って受け入れ今は二人で爽やかな香りのお湯に浸かっていた。

 久しぶりの入浴にほっこりと極楽気分にカナデが浸っていると、正面からじーっと自分を見つめるイシュタルの視線に気付いた。

 彼女の視線にカナデはたじたじだ。


「な、なにかな?」


 イシュタルの視線がカナデの胸元に落ち、自分の胸元と行ったり来たりしている。

 視線が二回往復した後に自分の胸元に手を当てた彼女から溜息が漏れた。


「カナデさん、スタイルいいですよね~。私もほしいです」


 そう言われて嬉しいやら恥ずかしいやら、色んな感情がないまぜになったカナデは胸元を隠し、顔を赤くしながらお湯の中に埋まったのだった。


 二人が湯浴みを楽しんでいる一方で、フローラはサラから事の顛末を聞いていた。


「そう……あの子が」


 淑女教育を始める前までのイシュタルは快活でよく笑う子だった。

 しかし、模範的な令嬢の姿を求められるようになってからは、自分を抑え込み感情を表に出すことはほとんど無くなって常に微笑を浮かべるようになった。

 このままでいいのかと母親として何かできることがあるのではないかと、フローラは数えきれない苦悩の日々を送る。

 王妃が彼女のことを気に入り、ラハルの婚約者に考えていると聞かされた時も、娘のことを誇らしく思うと同時に本当にそれで娘が幸せになれるのだろうかという不安もあった。


 そんな中、ラハルとの婚約が決まったという報せを受けてすぐにイシュタルから手紙が届く。

 そこにはラハルと婚約したことに関する簡単な報告、領地で様々なことを勉強して両親の助けになれるようになりたいこと、これまであまり一緒にいられなかった母ともっとたくさんの時間を過ごしたいという彼女の思いが綴られていた。


 その手紙を読んでフローラの瞳からは涙が溢れる。

 貴族の義務とはいえ、娘に寂しい思いをさせていたことをひしひしと感じた。

 母親の自分が娘に会えなくて寂しいと感じるのだから、幼い娘にとってそれがどれほどのものだっただろうか。

 自分の至らなさを身に染みて痛感した彼女は、イシュタルの申し出を受け入れる決意をする。


 本来であれば王子の婚約者となったのだから、妃教育をはじめとする様々なことに取り組む必要があるだろうが、正直そんなことはどうでもいいと思えた。

 これまで自分の思いを抑え込んできた娘が、自分のうちにある願望をこうして打ち明けてくれたのだ。

 しかも、その願いが母親ともっと一緒に過ごしたいというものなら叶えてあげられなくて何が母親なのかと。


 ――今まで寂しい思いをさせた分、これまで以上の愛情を注いであげなくては。


 娘の手紙を読んだ時に決意した思いに嘘偽りは一切ない。

 同行してきた少女の身元は知れないが、それでも娘が信じたのだから、フローラも信じることにした。

 それにイシュタルの変化が嬉しかった。サラから聞いた限りでも、以前の明るかった彼女に戻りつつあるように感じたからだ。


「戻ってくれつつあるのね。サラ、あなたにも苦労をかけたわね。あの子の傍にいてくれて、本当にありがとう」

「そんな……もったいないお言葉です」


 フローラの言葉にサラは感極まって声が詰まる。

 しばらくしてイシュタルとカナデの湯浴みが終わったとの報せが来た。


イシュタルとカナデは、ちょっと進展が早いなぁとも思いましたが、寛大なお心でお許しください(苦笑)

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