第49話 拍子抜け
平野での戦闘の後は、大きな衝突も無く、イシュタルたちはメルフスタンの王都に到着していた。
あれから、何度かはそれなりの規模の戦闘があると予想していたが、その予想は裏切られ、肩透かしを食らった気分になる。
勿論、戦闘が行われないに越したことは無い。無いのだが、ここまで静かだと却って不気味に感じるものがあった。
――『私たちの力を警戒しているのだろう』
イシュタルが胸の内をラハルに相談した時、そう自分に返す彼の表情もまた、腑に落ちないものがあることを思わせるものだった。
そうであれば、メルフスタン国内に自分たちを陥れるための策謀が待っているのかも知れないと、警戒心を強めるが、策謀どころか内乱自体も起こっておらず、民の姿に動揺は見られない。
それどころか、突然、押しかけて来たイシュタルたちを見て驚きとともに警戒している様子が伝わってくる。
無理もない――と、イシュタルは心の中で苦笑していた。
この様子を見る限り、内乱なんて起きてもいないわ。
そもそも、我が国の正妃陛下の暗殺未遂やそれに伴うミランダ殿下監禁の噂も知らないように見えるわね。
それにヌフダントが攻めてきている様子も無さそう。
イシュタルは予想もしていなかった平穏な様子に拍子抜けしていた。
兵のほとんどを都市の外に待機させ、王都の中へはラハル、イシュタルの他に選抜した者のみを連れて足を踏み入れる。
街中を見回して自国にはない珍しい物を目にしたイシュタルが感嘆の声を上げる。
「わあ、初めて見る物がいっぱいです」
歳相応の少女と同様に瞳を輝かせ、イシュタルは興奮冷めやらぬ様子であちこちに忙しなく視線を移す。
そんな彼女の様子を目にしたラハルは笑みを漏らす。
「あっ……申し訳ございません。はしたないところを」
「いや、別にはしたないなんて思っていないよ。それどころか――」
スッとラハルが耳元に顔を寄せ、イシュタルにだけ聞こえるように囁く。
「可愛いからもっと見ていたいなって思ったよ」
頭から煙が出るんじゃないかと思うほどに、イシュタルの顔が一瞬で真っ赤に染まる。
対してラハルは得意気なとても良い顔をしていた。
イシュタルはアリエッタたちとともに街中を見て回っていた。
ラハルは王に謁見してくることを彼女に伝え、つまらない内容だろうから街中で時間を潰すことを勧めてくれたので、お言葉に甘えることにした。
「アリ、マリ、あれ見て。とても美味しそうよ」
「さようでございますね。あちらでは見ないものですね」
イシュタルが瞳を輝かせて見ているのは、屋台で食べやすいようにカットされて売られている色鮮やかな果物だ。
恐らくこの地方の特産品なのだろう。エデルラント国内では見たことが無い。
「では、ちょっと買ってきますぅ」
イシュタルのはしゃぐ姿に、マリエッタは買っていいということだと勝手に解釈して迅速に購入してきた。
それを双子の姉であるアリエッタに咎められる。
「マリ! お嬢様にしっかりと許可を確認してからにしなさいと何度も言っているでしょう!」
「もうお姉様は固いんだからぁ」
「アリ、いいのよ。私も食べたかったし。マリ、ありがとう」
マリエッタから受け取った果物を頬張れば、イシュタルの顔がその美味しさに綻ぶ。
可愛いものと美味しいものに罪は無い――アリエッタは、敬愛する主人の綻ぶ顔が見られたことに、心の中で妹を褒めるのだった。
街中をしばらく散策していると、王との謁見を済ませたラハルが帰ってきた。
謁見の内容は気になるが、あまり突っ込んだことを聞いていいものかと、イシュタルが尻込みしていると、ラハルから全員と合流してから話すことを告げられる。
そのため、王都内へと入場した一行は外で待つ本隊へと合流した。
壁の外では陽が傾いてきたこともあって、待機していた者たちが野営の準備を進めている。
この近辺で野営の許可まで既に取ってあった事に、イシュタルは驚きを隠せなかった。
本営のテントに指揮官級の人間を集めたラハルは、メルフスタン国王に謁見した際に得られた情報を全員に伝達する。
「まず、内乱の情報は完全な偽物だ。特に情勢が不安定になっていた事実は無い。加えて、第二側妃殿下の情報も伝わっていないことがわかった」
ラハルの話を聞いたイシュタルは、これまでの状況から推察する。
ラハル様の話からすると、内乱については完全なデマだったのね。
誰が流したのかについては憶測の域を出ないが、ハルブリッド侯爵かしら。
きっと、私たちが救援に出ることをヌフダントに流したわね。
証拠が無いのは痛いけど、かなり焦っていると見てもいいかも。
「それと、ヌフダントだが、先日、国境付近に軍が展開されていたらしいのだが、進軍を開始した途端、伝令と思われる赤旗を差した騎馬が現れたと思ったら、慌ただしく反転して帰って行ったそうだ」
「「はっ?」」
信じられないような内容に、その場に居合わせた全員の口から何とも間抜けな声が漏れる。
攻めてきたのに攻めずに帰った?
伝令らしき者が来てから反転したのなら、不測の事態?
色々、考えられるが、軍を引き揚げさせなければいけないような事態と言えば、限られてくる。
イシュタルはそこまで考えて先日、ラハルが言っていた言葉を思い出した。
――『とても頼りになる“助け”が約束されているからね』
イシュタルがハッとしてラハルに顔を向ければ、そこには彼のとても良い笑顔があった。
俄かにざわつくテント内を静めるため、ラハルが手を叩いて自身に注目を集める。
「というわけで此度の遠征は終わりだ。ここで夜を明かしたら、さっさと帰国するぞ」
ラハルの言葉を聞いてイシュタルは、本日、二度目の拍子抜けを食らったのだった。




