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夢の続き─極北大学陸上競技部の軌跡─  作者: 灰猫
【第一章】ようこそ、極北大学陸上競技部へ
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五.篠崎久蓮の演説


 あたりには夜の(とばり)がおりている。故郷の愛知より日が短く感じるのは、札幌がまだまだ冬の気配を色濃く残しているからだろうか。


 記録会の翌日十九時、部員六名は久蓮の自宅マンション前に立っていた。札幌駅から南へ歩くこと十分ほど、東西に伸びる公園区画を見渡してそびえる建物は、いわゆる『タワーマンション』だ。


「あいかわらず凄いマンションだよな」

「俺、いつも緊張するんですよ」


 蒼は先輩たちの声を聞きながらマンションを見上げた。首が痛くなるほど高い建物の先端は、濃紺の空に溶けている。灯る部屋の明かりは天の川のようだ。

 後輩たちを振り返った麻矢の「ほら、さっさと行くぞ」という声に背中を押されて、蒼は恐る恐るエントランスに足を踏み入れた。全てが珍しく映り、蒼は辺りを見回す。

 ガラス基調のロビーでは、住人らしきひとたちが悠然とグラスを傾けていた。映画のワンシーンのような雰囲気にドキドキしながら、コンシェルジュに頭を下げる。


 二十五階に辿りつきインターホンを押すと、家主の久蓮が出迎えた。なんと、お玉片手にエプロン姿だ。久蓮の背後から現れた範昭がすかさず彼の頭をはたき、小気味よい音が廊下に響いた。

 紺色基調のシックな部屋に、カレーの香ばしい匂いがたちこめている。


「すげー、広い! いい匂いー!」


 興奮のままに室内を見回す翔太を宥めながら、蒼も圧倒されて「家賃高そう……」と呟いた。


「オーソドックスな4LDKだよ。セキュリティもばっちり」


 範昭が、落ち着き払った久蓮の頭をもう一度はたいて「こいつ、金持ちだからなぁ」と肩をすくめた。蒼は驚いて問いかける。


「え! じつは大企業の御曹司とか?」

「いや、こいつの稼ぎだが」


 首を振った範昭に、翔太が身を乗り出す。


「そんないいバイトがあるんですか⁉」

「あー……やめとけやめとけ。迂闊に手をだすと破産するぞ。おい久蓮、お前の金策法教えてやれ」

「んー? 株」


 斜めうえの答えだ。蒼の驚きを知ってか知らずか、久蓮は「オレの相棒みる?」と部屋を指さした。


 リビングの半分ほどの仕事部屋。その半分を占領するコの字型の机には、デスクトップパソコンのほかに大きなモニターが二つ、さらにノートパソコンまである。

 机を取り囲む本棚には、株や投資に関する専門書、生物科学や医学についての専門書、陸上マガジンやスポーツ科学に関する書籍などがところ狭しと並んでいた。なんと料理の本まである。


「ノリちゃん、株で破産する奴は損切りがわかってないんだよ。『コンコルドの誤謬(ごびゅう)』って知ってる? 大切なのは先見の明と思い切り。──ま、簡単だから皆も興味あったら教えるよ? いつでもおいで」

「バカか。お前の肌感覚なんざ誰も真似出来ねぇよ! 大体てめぇ、損切りなんて状況になったことあんのか?」

「ん~、ないかも? そもそもどの株が下落するかなんて誰でもわかるもんでしょ?」

「いいかお前ら! エスパーの話は聞かないように」

「えー、聞いてよ……」


 テンポのよい二人の会話に蒼と翔太が顔を見合わせた、そのとき。

 ぐぅぅぅ~、と二ヶ所から特大の腹の虫が空気を揺らした。となりで腹をさする翔太と、顔を赤らめている真平だ。苦笑した久蓮は、リビングに戻り手際よく準備を進める。


 そうして数分後、暖かい色あいの皿に久蓮の『お手製カレー』が盛られていた。優しいタマネギ色のカレーだ。小さくそろった具がよく煮込まれている。

 ひとくち含んで蒼は目を見開いた。たくさんのスパイスが複雑に絡まり合って、口の中でふわりとやさしく広がる。


「あ! おい真平、お前いつのまに⁉ 食い過ぎだ!」


 しばらく夢中で食べ続けていた蒼の耳に、裕也の声が響いた。視線をやると、裕也は真平の肩をつかんで揺さぶっている。


「美味しいんだからしょうがないだろ~」

「旨いのはわかる。そうじゃなくて、限度があるだろって話だ!」


 何ごとだろうか。首をかしげた蒼の耳に翔太の悲しげな声が届いた。


「あ……。なべ、空になってる……」



 およそ三十分後。室内には、ゆったりとした空気が流れていた。

 裕也と真平のいざこざは、久蓮のお手製クラッカーで収まった。チーズやトマト、レタスなどが乗ったシンプルなものだ。夢中になって手を伸ばしているとあっという間に売り切れ、三年生の御影(みかげ) 大介(だいすけ)が持ってきたクッキーを広げた。

 久蓮は、食事の余韻を引きずる皆に資料を配る。


「さて。そろそろ反省会、始めようか。──まあ、まずこれを見てくれ」


 背筋にぴりりと緊張が走って、蒼はいつもの緩さを掻き消した久蓮を振り仰ぐ。静かに部屋を揺らす久蓮の言葉に、みながいっせいに配られた資料に目を落とした。


──────

【順位表 男子五千メートル決勝 一組】

一着 東城皇 (四)帝北大 十四分九秒

二着 那須伊織(一)帝北大 十四分十九秒

三着 北市陞 (三)帝北大 十四分二十五秒

四着 岩本真平(二)極北大 十四分二十五秒

五着 長嶺歩夢(二)帝北大 十四分二十八秒

六着 塩原健翔(一)帝北大 十四分二十九秒

七着 柳沢於莵(四)帝北大 十四分三十一秒

八着 榎本薫 (三)帝北大 十四分三十五秒

九着 柘植直人(二)帝北大 十四分三十七秒

十着 新庄徹 (一)帝北大 十四分三十七秒

十一着 長都俊平(三)帝北大 十四分三十七秒

十二着 宮田晃 (一)極教大 十四分三十九秒

十三着 唐崎琢磨(三)極教大 十四分四十二秒

十四着 清野範昭(四)極北大 十四分五十九秒

十五着 小隈健太(四)極教大 十五分十秒

十六着 植田耕平(二)極教大 十五分十一秒

十七着 夜神麻矢(三)極北大 十五分十五秒

十八着 新屋源太(一)極教大 十五分十六秒

十九着 森田皓大(三)極教大 十五分十七秒

二十着 御影大介(二)極北大 十五分十七秒

二十一着 仲木戸洋(二)極教大 十五分十八秒

二十二着 飽田信次郎(一)極教大 十五分二十二秒

二十三着 富樫裕也(二)極北大 十五分三十八秒

二十四着 八重樫功(二)酪農大 十五分五十秒

二十五着 相津竜太(三)極学大 十五分五十六秒

二十六着 新渡戸一毅(一)極学大 十六分二秒

※平均タイム:帝北大 十四分二十九秒(十人)、 極教大 十五分七秒(八人)、極北大 十五分七秒(五人)

──────


「昨日の結果だ。下のは単純なチーム平均」


 久蓮の言葉とともに資料の数字を追って、蒼は小さく唸った。改めて数字で示されるとまた意識が変わる。

 やはり、かなり厳しい。とくに、帝北大とは平均三十秒ちかい差があった。

 全日のコースはいちばん短い区間ですら九キロ強あるのだ。全八区間、百六.八キロの駅伝全体ではさらに大きな差になる。


「さて。『頑張れば届くのか?』というのがキミたちのいちばんの懸念だろうが、……皆の想像どおり、現状かなり厳しい」


 部屋の空気が落ち込む。久蓮が自信たっぷりに「いけるさ」と言ってくれることを、皆どこかで期待していたのだろうが、現実は甘くないということだ。

 それなのに、なぜ目の前に立つ久蓮には微塵の弱気もないのだろうか。


「大丈夫、勝ち目はある。帝北の選手たちよりよっぽど、キミたちには『伸びしろ』があるんだ。──それに、面白い新入生も入っただろ?」


 久蓮は、蒼と翔太を交互にみて鋭く笑む。たしかに蒼は『インハイ優勝』という実績がある。強豪サッカー部でスタメンのフォワードだったという翔太は、未知数ながらスピードはピカイチだ。スピードランナーと言われた蒼でも、すでにトップスピード勝負は分が悪い。

 蒼を射抜いた久蓮の唇が、「励めよ、新人」と動いて弧を描く。蒼は、向けられた期待に視線を泳がせた。


「と、いうことで、皆にはきっちりレベルアップしてもらうよ!」


 にやり。久蓮が今日一番に悪い笑みを浮かべ、上級生たちがざわめく。なかでも範昭は若干顔をひきつらせていた。

 部員たちの動揺もどこ吹く風。久蓮は「まあ、まずは道インカレだ。きっちり練習して、壁を恐れずに果敢に挑んでほしい」と締めくくった。



「えっ、あー、真平? どしたの?」


 蒼を余韻から引き戻したのは、困惑した久蓮の声だった。わずかに揺れるその視線を辿ると、真平がはらはらと涙を零していた。久蓮の問いかけに、真平が声を詰まらせた。


「だって『久蓮先輩』が、またここにいるんです。こんなの、久しぶりで……」


 高校時代のことか。久蓮が「あ~……」と声を上げ、眉を寄せた範昭がすかさずその頭をはたく。はたかれた頭をさすりながら、久蓮は少し照れたように目を反らした。


「あー、うん。待たせてごめん。あきらめてたわけじゃないんだ。オレは走るよ、……大丈夫」


 優しげな声色に、真平がいっそうポロポロと涙を零した。「てめぇ、落ち着かせる気あんのか?」と範昭が半目で突っ込みを入れている。

 コホンと咳払いひとつ、久蓮は話を続けた。ふたたび空気が引き締まり、いっせいに視線が久蓮に集まる。


「そもそも『どうして全日?』って、気になってるよね」


 苦笑する久蓮に、皆がおずおずと頷いた。しんと静まり返った室内を久蓮の言葉が揺らす。


「厳しい、苦しい。それでもオレは、ほかでもないキミたちと全国の舞台へ行きたいんだ。『何かから逃げ出した』、『闘うことを辞めた』、『闘いの舞台を敬遠した』。──皆、それぞれの事情を抱えて極大にいるよね。もちろんオレもだ。でもキミたちはまだ、その魅力から逃れられずに走っている。どう? このまま終わりたい?」


 真摯な言葉が皆を鋭く(えぐ)る。全てを見透かすような漆黒の光に、蒼は目を反らしそうになった。

 目をふせて、久蓮は噛み締めるように言葉を紡ぐ。


「オレは、嫌だ。……キミたちが知っているより少し前の『オレ』はね、テレビの向こうのあるランナーに憧れて、陸上の世界に飛び込んだ。ライバルたちとの駆け引きを心の底から楽しんでいる『彼』を見て、自分もこう在りたいと願ったんだ。それから今もずっと、オレは求めてやまない──」


 ふと言葉を切った久蓮は、ふせていた視線を上げて部員たちを見つめた。久蓮の瞳からあふれ出すギラギラと熱い焔に、蒼は思わず息をのむ。


「キミたちは、どうして陸上をはじめたの?  そのときどんな夢を見た? 誰もが一度は描いたはずの『夢の続き』を、オレがキミたちと見たいんだ。だから、大丈夫。──足りない分は、オレが走って埋めるから」


 久蓮が宣言した刹那、範昭と真平が静かに眉を寄せた。

 なぜ、そんなに苦い顔をしているのだろうか。一瞬浮かんだ疑問は、押し寄せる感情の波に流されて、すぐに蒼の中に埋もれてしまった。

 

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