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夢の続き─極北大学陸上競技部の軌跡─  作者: 灰猫
【第一章】ようこそ、極北大学陸上競技部へ
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四.僕らの立ち位置


 札幌駅から地下鉄に揺られること十五分、そこからさらに十五分ほど歩いた先、小高い山の上には『角山(かどやま)競技場』がある。

 四月最終週の本日、雪解けの遅い北海道でシーズンの開幕を告げる『第一回月例記録会』が開催されるのだ。三月ごろから動き出す本州からは、かなり遅れたスケジュールだ。


 競技場内には、色とりどりのユニフォームが行き交っている。快晴でも肌寒さを感じるのはさすが北海道だと、蒼はジャージの襟を立てた。

 スタンド席に確保したベンチに座り、アップへ散っていく先輩たちを見送った。となりの翔太と二人、今回は見学だ。


「出してあげられなくて悪いね、今日はオレと応援。ひまになったら、少し走っておいで」


 久蓮の言葉を聞きながら、蒼は眼下のトラックを眺めた。

 馴染み深い本州の記録会は『ごみごみ』という表現がふさわしく、つねにたくさんの選手や関係者でごった返していた。けれどここ札幌には本州ほどの競技人口はいないようで、ほどよく疎らに選手たちが行き交っている。


 久々に感じる競技場独特の雰囲気は、なつかしくも居心地が悪い。顔を背けると、期待に満ちた翔太の顔が目に飛び込んできた。「すっげー!」と呟いて食い入るように喧騒を見つめる瞳には、一片の曇りもない。


「お前、自分が走るわけでもないのに……」

「えー、だって大会だよ? ワクワクするじゃん!」

「大会じゃない、記録会だろ」


 『記録会』には賞もなければ次の大会に上がることもなく、エントリーした種目を一度走って終わりだ。記録を狙うことや、冬の練習からシーズンに向けてレース感覚を取り戻すことが主な目的となる。他校の選手の仕上がりを確認する意味もある。

 たしかに『記録会』は、サッカー部出身の翔太には耳なじみがないかもしれないが。


「サッカーだと練習試合だ、練習試合」

「そっか、練習試合! でも、練習試合もワクワクするじゃん!」


 蒼は、なんと言うべきかわからず黙り込んだ。屈託なく笑える翔太が羨ましいが、無邪気な様子を見ていると、蒼ばかりがあれこれ思い悩んでいるのもバカらしい。


「はははっ! いいねぇ~、さすがモモ。その意気だよ」


 最前列の手すりに身体を預けている久蓮の声が、気まずい沈黙を切り裂いた。


「篠崎さんは、アップしないんですか?」

「ん、いいんだ。今日のオレは解説要員。皆の練習の成果が見られるチャンスさ、待ち遠しいったらないね」


 鉄紺地に銀のラインが走る極大のチームジャージの下に、しっかりパーカーを着込んでストップウォッチを構える久蓮は、レースにでる気はないらしい。トラックへ向き直って、選手たちの様子を眺めている。

 それでも蒼は、「今年は走る」と宣言するだけで皆の期待を駆り立てる久蓮のレースを見たかった。そもそも、このさき『標準記録』を突破しなければ、上の大会には進めないのに、どうして走らないのだろうか。


 五千メートルのスタートがまもなくに迫ったころ、ふと蒼の視界のはしに影がさした。見慣れぬチームジャージを着た青年が立っている。


「おぉー、帝王サンやん」

「その呼び方はちょっと……。みゃーちゃん、おひさ」

「嘘ゆーてないやん。久々の『帝王』篠崎やで? そりゃワクワクするやろ」


 苦く笑った久蓮に、青年はあっけらかんと答えた。その視線が蒼たちに向く。


「どーも、初めましてやな。わいは極教の主将やっとります、宮田(みやた) (ゆう)や。よろしゅう」

「〈極教〉ってのは、『極北教育大学』の略でね。ま、要するにうちのライバルってわけ」


 となりで久蓮が翔太に補足する。


「ほぉ、またごっつえらいの引っ張ってきよったなぁ」


 悠が、笑みを吹き消して蒼を見つめた。鋭い眼光が突き刺さって、身体がこわばる。


「こらこらみゃーちゃん。うちのこ脅さないでくれる? それにオレが引っ張ってきたんじゃない。偶然さ」

「……今年は走るんか? 『シノ』マネージャー」


 問いかけた悠の視線が、久蓮の真意を探している。久蓮は「ん。そうね」と、複雑な笑みで答えた。

 瞬間、蒼と翔太の驚きがグラウンドの喧騒を切り裂く。

 全国大会ですら見たことのないほど美しい走りをする彼が、マネージャーだとは信じたくなかった。けれど、マネージャーだからこそ「今年『は』走る」だったのだ。


「言ってなかったんかい!」


 悠に突っ込まれた久蓮は、「そういえば」と嘯いている。


「あー、うん。オレの手にかかれば、レベルアップ間違いなし! 実績はオレの大切な部員たちさ。二人にもばっちり新しい景色を見せてあげるね」


 久蓮の言葉が途切れて、さわり、と風が動く。まもなくはじまる競技にむけてトラックの空気が色を変えた。

 一瞬の静寂の後、会場内に乾いた音が鳴り響き、レースがはじまった。蒼は観客席からレースを見下ろして息をのむ。北海道の競技レベルは想像よりずっと高かった。


 一キロ二分五十五秒ペースですでに三千メートルを走り、十二人の先頭集団は縦に長くのびている。中ほどに真平、最後尾に範昭がついていた。ほぼベストのペースで走る範昭は、上体がブレてきている。時々うつむき、必死に前に食らいついていた。

 真平は関東の強豪校の選手たちと遜色ない持ちタイムだが、このレースにはまだ先をゆく選手たちがいる。ポケットされたインコースを走る真平が、ここからトップに躍り出るのは至難の技だろう。


 いやに静かだ。ふと蒼がとなりに視線を投げると、翔太も心を打たれたようにレースを見つめていた。

 先頭集団のうち悠率いる極教大の選手は二人で、どちらも真平と同じくらいの位置だ。主将を務める悠の実力も気になるうえ、第二集団以降も軒並み極教大が先行している。『目標』を聞いた先輩たちの動揺がよくわかった。


 けれど、『壁』は極教大ではなかった。先頭集団ののこり八人は、黒紫色のユニフォームを身にまとった『帝北(ていほく)学園大学』──通称〈帝北大〉の選手で染め上げられていた。誰も彼もが、厳しい練習に慣れた強者の走りだ。

 北海道の勝者が全日への切符を掴めるのに、いまの極北大ではとうてい敵わないと、蒼には痛いほどにわかった。


 レースが動いた。先頭集団から飛び出すひとりと、追いすがるもうひとりは、いずれも帝北大の選手だ。二番手を走る選手のフォームに見覚えがある気がして、蒼は彼をまじまじと見つめた。『なにか』が警鐘を鳴らしている。

 十四分九秒で先頭がゴールし、場内にどよめきが広がった。悠然とスピードを落として息を整えている。次いでゴールした二着は十四分十九秒だ。

 悠が眉を寄せた。


「エッグいわぁ。ホンマ、前評判以上やで。東城(とうじょう) (すめら)那須(なす) 伊織(いおり)か~。ようこんなん集めてくるなぁ。箱根常連校と比べても引けとらんで? 監督サンは一体どんな殺し文句つこたんやろか?」

「……知らない」


 食い入るようにレースを見つめたまま、久蓮は低く呟く。握り込まれた手がわずかに震えていた。聞き馴染みの深い名前が鼓膜に飛び込んできた蒼には、つねに飄々としていた久蓮の意外な姿を気にする余裕はなかった。

 記憶とは違う雰囲気だけれど、間違いようもない。


「どう、して……。那須……」


 零れ落ちた震える音は、忘れたくとも叶わない、高校時代のチームメイトの名前だった。

 

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