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夢の続き─極北大学陸上競技部の軌跡─  作者: 灰猫
【第六章】夢の続き
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四十四.四区 如月蒼『あの日見た景色へ』


「凄い……!」


 宣言通りベルハヌを抑えてトップで真平に襷を繋いだ昴に、如月蒼は感極まって声を上げた。気高く強く凄まじい昴の襷を受けた真平は、攻めのペースで距離を進めている。

 順調な滑り出しを見せているチームの戦況に、蒼の胸は高鳴った。


「如月。東雲からだ」


 峰雄に声をかけられて、蒼の肩が跳ねる。通話をスピーカーにし、ストレッチをしながらに瑠衣の声を聞いた。


『如月くん。調子はどう?』


 聞こえてきた声は弾んでいて、少し鼻声だった。


「ばっちり! 気合もね。東雲こそ、監督車はどう?」

『特等席だよ。皆の息遣いが聞こえてきそうなくらい。監督にも色々教えてもらえるし』


 瑠衣は野々口と共に監督車に乗り、ラップタイムなどを随時共有している。


『……ついにここまできたんだね』

「うん。僕の答え、これから見せるから。──見てて」

『うん。きっと届くよ』


 一片の疑いもない言葉に、蒼の心は熱く燃えて全身に力がみなぎる。ちらりと横を見れば、峰雄が頷いた。


 中継地点へ向う途中、設置された中継画面に翔太の姿が大きく映し出されていた。


『極北大学 桃谷が、帝北大 柘植、駒河大 日藤を引っ張る形での先頭集団、依然三校で現在七キロを通過していきます!』

『これは桃谷くん、調子いいね~』

『あ! 七キロ過ぎ、柘植、日藤遅れてきた。ちょっと苦しいか? 極北大 桃谷、両選手を引き離して単独首位に立ちました! このままトップで襷を渡すことができるのか、第三区も残すところあと二キロです!』


 興奮を隠す気もない、アナウンサーの声。それはそうだ。極地の無名大学が箱根の常連校を抑え、スタートから三区間トップを守って走っているのだから。

 翔太は、堂々と単独トップに立った。出来るだろう、自分だって。


「調子、良さそうだな」

「君もね、那須」


 ニヤリと笑ったその顔に、もう微塵も恐怖など湧かない。二人の陸上は、きっと、もう一度ここからはじまるのだ。


「俺は、……今度こそ、お前を真っ直ぐ追いかける。絶対に、追いついてやるぞ」

「望むところだ! でも、僕は待たないよ、那須。君がここまで来るあいだに、もっともっと先へ行ってやる!」

「はっ、上等だぜ。見てろよ」

「うん!」


 蒼は笑って、コースに立った。いまは自分たちのレースに集中しよう。翔太がやってくる。この一年の成果を全力で発揮して、蒼のもとへと。

 響いた歓声とともに見慣れた紺銀がコースの先に映り、蒼は大きく手を振って叫んだ。このうえなく頼もしい姿に、心からの笑みが零れる。本当にほんとうに、自分の同期が彼で良かった。


 差し出された襷を受け取って、蒼は続く道の先へと駆け出した。


──────

【四区:十四.〇キロ】天気:晴 付添:林野峰雄

選手:如月蒼

──────


 切り裂いた風が頬を掠めて、後方へと流れていった。沿道の声援に紛れて耳を打つ自身の靴音が、とても心地よいリズムで鼓膜を揺らす。


 蒼は強気のペースで攻めていた。四区で蒼が相手どる主力選手は那須のほか、神代傑と犬童真於。いずれも全国上位の実力者だ。負けるつもりはさらさらないが、蒼の役割は彼らに勝つことではなく、チームとしてさらにリードを広げることだ。

 臆せず攻めていかなければ。


「大丈夫、いける」


 蒼は一段階ギアを上げた。今日の調子に、なんの不安もない。むしろ、はやる心と身体を律するのに苦心する。


 五キロ地点の表示が、ちらりと視界を掠めた。伸びやかに動く脚は、心地よいリズムを刻んで身体を前へ前へと運んでいる。蒼の一人旅を邪魔する者は、誰一人としていない。


「ようやく、このときが来たんだ」


 皆の顔を思い浮かべると、自然と笑みが零れてくる。

 極北の地に降り立ったあの日、こんな大切な居場所ができるとは夢にも思わなかった。誰が欠けても、いまの蒼はない。


「ほんっと、……最高の仲間だよ」


 今度は蒼が魅せる番だ。誰よりも速く駆け抜けて、この先に待つ裕也へと襷を渡してみせる。……必ず。



 まだまだいける。心も身体も、「もっと速く」と叫んでいる。蒼は心の求めるままに、もう一段ギアを上げた。景色が流れるスピードが上がり、沿道の声援が千切れていく。七キロ地点の表示が視界の端に映り、一瞬で後方へと消えていった。


 血液が沸き立つように熱く体中を巡り、どくどくと高鳴った心音がいやに大きく鼓膜を揺らしている。


『ね、蒼。楽しかったでしょ?』


 かつて久蓮は、鮮烈な才能を見せつけながらそう笑いかけた。まさにあの瞬間、蒼の未来は明るく開けた。あのときから蒼は、久蓮との最高の勝負を求めてやまない。


「──⁉」


 唐突に、蒼の中で何かが弾ける音がした。何が起こったか分からずに目を瞬かせる。流れる景色も、沿道の歓声も、一瞬前と変わらずそこにあるのに、いまはその全てが遠い。不思議な感覚だ。自分と他とのあいだを、薄い膜のような何かが隔てている。


 大丈夫、走れている。不思議とリズムは悪くない。相変わらず腕もよく振れている。呼吸も、伸びやかな脚も、先ほどまでよりも調子が良いくらいだ。


「あ……、え……?」


 蒼の視界の先には、いつか見た青銀の軌跡が燦然と輝いていた。あの雪の日に蒼を魅了してその心に焔を灯した『全てのはじまり』が、いま目の前にある。

 蒼は確信した。この光を追った先が──。


「僕の求める『景色(いろ)』だ」


 瞬間、蒼は弾かれたようにその光を追いかけた。



 どこか遠い意識で規則正しく呼吸を繰り返しながら、蒼は良いリズムを刻み続けていた。この軌跡を追いはじめて、どれだけ走っただろうか。十キロの表示は、さっき見た気がする。

 愕然とした。蒼に残された距離は、もうあと四キロないのだ。


「もっと、もっとだ。……もっと速く」


 小さく呟いて身体に力を込めると、流れる景色がまた一段速くなった。

 けれど、まだ追いつけていない。


『キミのすることは、オレに追い付くことじゃない。完膚なきまでにオレを叩きのめすことだ』


 いつもの好戦的な笑みが目に浮かんで、蒼は苦笑を零した。


「叩きのめされる気なんて、さらさらないくせに」


 そうやって発破をかけておいて、出雲では異次元にも思える走りを見せつけた久蓮は、いつだって「ここまで来い」と言っているのだ。

 いまなら、その背を追ってどこまでも走っていける気がする。


 びゅう、と吹きつけた風に、蒼はまた一段ギアを上げた。強風も歓声も切り裂いて、蒼はただ前へとひた走る。あの日なによりも輝いて見えた光は、いま思えばとても淋しそうに揺れていた。


『来いよ。掻き混ぜろ、オレの春雷。……オレの行くさきを……照らしてくれ』

「今、いきます。あなたは独りじゃない。……待っててください」


 呟いて、蒼は笑みを浮かべた。

 底なし沼だろうがなんだろうが、──迷いはない。このチームで勝ちたい。蒼の中に初めて芽生えた想いだ。目標も、居場所も──。


「あなたが、僕に全てをくれたから。今度は僕が、あなたの『夢』を叶えたい。だから──」


 青銀の光が弾け飛び、蒼は全力でラストスパートをかけた。


「蒼! ラスト!」


 唐突に鼓膜を揺らした裕也の声に手を引かれ、蒼は現実に立ち戻った。いつのまにか遠かった周りの感覚が戻ってきて、うねりのように押し寄せる沿道の声援が耳を打つ。もしかして、この乱れた呼吸は自分のものなのか。


 コースの先で、裕也が手を振っていた。


 ……そうだ。全てを懸けて辿り着いた先には、こうして仲間が待っている。


「裕也さん!」

「さすが蒼。──任された」


 焦熱の籠った声色が鼓膜を揺らし、蒼の手から襷が離れる。大切な紺銀は、ひらりと翻ってさらに先へと駆けていった。


──────

【四区→五区】

一位通過 極北大学(如月蒼→富樫裕也)

二位通過 青谷学院大学(神代傑→ルーク・ホワード)+五十九秒

三位通過 帝北学園大学(那須伊織→塩原健翔)+一分三秒

四位通過 駒河大学(犬童真於→越知孝弘)+一分四秒

……

──────


 立ち尽くしたまま歓声を遠く聞きながら、蒼は小さくなっていく裕也の背を見送った。


「蒼!」


 晃に名前を呼ばれてハッとする。いつまでもコース上に立っているわけにはいかない。一歩を踏み出そうとした蒼は、がくりと力が抜けたようにその場に崩れ落ちた。


「あ、れ……?」


 慌てて立とうとしても、脚が震えて上手くいかない。


「お疲れさん」

「僕、なんだか……身体……」


 差し出されたペットボトルを受け取った蒼は、「身体が思うように動かない」と不安を零した。晃は一瞬驚いたように目を見開いて、呆れた視線を向ける。


「当たり前や。あんな走りしたんやで?」

「あんな走り? ……そうだ、記録!」

「余裕で区間賞や。区間記録を五秒更新。つまり区間新やな」


 晃が肩をすくめる。蒼を見る瞳は輝いていて、蒼は急に実感が湧いた。途中からペースを確認することすら忘れて、夢中になって走ってしまった。


「そっか……。僕、やったんだ……」


 安堵が心を満たし、頬が緩んだ。


『続いて二位以降です。第四中継所を二位で通過した青谷学院大と、それぞれ四秒差、五秒差で通過の帝北学園大、駒河大。この一キロでその差を詰め、現在三校で第二集団を形成しています! 前を行く首位、極北大学との差を六秒詰め、その差は現在五十三秒です!』


 アナウンサーの声が鼓膜を揺らし、蒼はハッと顔を上げた。いつまでも、ここで油を売っているわけにはいかない。蒼は急いで荷物をまとめると、勢いよく立ち上がった。


「……おっと」

「蒼!」


 途端にふらついて、晃が慌てたように声をかけた。けれど、いまは気にしていられない。荷物を抱えて、蒼は駆け出した。目指す場所は、ただ一つ。


「晃、急ごう! 伊勢神宮へ!」

 

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