表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夢の続き─極北大学陸上競技部の軌跡─  作者: 灰猫
【第六章】夢の続き
44/51

四十三.三区 桃谷翔太『信じること』


 選手の待機所に小さくなって、桃谷翔太は抱えた膝に顔を(うず)めていた。あまりの緊張に身体が震える。いつもそうだ。いつもいつも、いつまでたっても、試合前の緊張はなくなってくれない。


 ……でも、それじゃダメだ。


 パッと顔を上げた翔太の瞳に唯の顔が大きく映り、すかさず両耳にイヤホンが差し込まれた。頬に触れた唯の手に、場違いに心臓が跳ねる。 「こんなときになんて現金なんだ」と苦笑した瞬間、流れ込んできた音が黒く冷たい思考を切り裂いた。


『極北大 岩本仕掛けました! あ、しかし帝北大 長嶺、喰らい付いていきます! そしてここで、駒河大 奥村追いつきました! 二区も残すところあと三キロのこのタイミングで、勝負はなんと三つ巴! まさに意地と意地のぶつかり合いです! 第二中継所、トップで襷を渡すのは、一体どこになるのでしょうか!』


 アナウンサーの声にハッとして画面を見ると、真平が帝北大、駒河大の選手と三人で競り合っていた。三人ともが顔を歪め、それでも必死に前を目指している。


「しんぺー先輩……」


 あぜんとした音がこぼれて、唯がからりと笑った。


「格好良いよね」


 翔太はこくりと頷く。

 画面の中で真摯な瞳を揺らして駆ける真平は、本当にかっこいい。走れなかった北海道大学駅伝の悔しさも、高校のときの想いも、全てをぶつけている。


「大丈夫。キミもそれだけの練習をしてきたから。篠崎くんお墨付きの、ね。だから、好きなように暴れておいでよ」


 唯はぽんぽん、と翔太の背中を叩く。なんて眩しいんだろう。輝く笑顔に照らされて、翔太の心は温かくなる。いつのまにか、身体の震えはおさまっていた。


「格好いいとこ、見せてくれるんでしょ?」


 唯に瞳を覗き込まれ、鼓動がはちきれそうにうるさくなった。目が離せないままに「は、い!」と応えると、唯は笑った。


「あはは! さ、大きく息を吸って。いってらっしゃい、如月くんがキミを待ってるよ」


 翔太はしっかりと頷いて、勢いよく立ち上がる。唯に頭を下げ、中継所へと駆け出した。


「翔太!」

「なつきくん!」


 青谷学院の荒島夏樹が、合宿のときと変わらない温度で手を振っている。

 いま青谷学院は四位、先頭集団からは少し離れているけれど、夏樹は全く気にしていない。燃え立つような闘志がにじみ出ていた。


 弱気になっているヒマなんてない。もうすぐ、真平がやってくる。


──────

【三区:九.五キロ】天気:晴 付添:秋山唯

選手:桃谷翔太

──────


 受け取った襷を肩にかけた翔太がペースを作り終えるよりも前に、となりに二つの気配が並んだ。駒河大の日藤(ひとう) 祥仁(しょうじ)と、帝北大の柘植(つげ) 直人(なおと)だ。

 もともと、後ろとの差は一秒か二秒ほど。すぐに並ばれるのは想定のうちだから、慌てなくても大丈夫。大切なのはこれからだ。


『翔太、頼んだ!』


「任されましたよ、しんぺー先輩!」


 しびれた。真平は、奥村と長嶺に競り勝って、トップを守って翔太に襷を渡してくれた。必死にこちらへと駆けてくるその姿は、蒼や久蓮のようにきらきらと輝いていた。

 前を見つめて気合を入れていた翔太に、帝北大の柘植が声をかけてきた。


「オマエ、初心者なんだってな。負けるわけにはいかねぇな」

「ふーん。でも、勝つのはおれだね!」


 冷たい悪意だけれど、気にするまでもない。あっけらかんと答えてペースを上げると、柘植が驚いて息をのむのが聞こえた。

 べつに意地を張ったわけではない。このペースでは遅いと思っただけだ。たしかに柘植も日藤も速いけれど、翔太の『ハナ』は、「負けない」と告げている。



 どれだけの距離を、三人並んで走っただろうか。さっき、七キロの表示を見たところだった気がする。


 翔太がペースを上げても、そう簡単に二人が振り切られてくれないのは分かっていた。けれど聞こえてくる呼吸も足音も、最初よりよほど乱れている。もう、かなりきついはず。

 翔太だって、きつい。でも、まだまだ走れる。潰れる気配なんてなかった。


「くそ……っ!」


 翔太の耳に、悔しげな呻きが聞こえてきた。ちらりと視線を流すと、じりじりと二人が後ろに小さくなりはじめていた。スパートをかけたわけではないから、単純にこのペースがきつかったのだろう。


 翔太だって、こんな距離をこんなペースで走るのは初めてだ。


 短い距離には自信があった。三区はいちばん短いけれど、翔太にとって九.五キロはじゅうぶん長い。それでも、いける。皆と一緒に、それだけの練習をしてきたから。

 初心者だった翔太をここまで引き上げてくれたのは、久蓮で、蒼で、皆で。たくさんの人に支えられ、助けられ、翔太はここまで走ってこられた。


 あと、残りは一キロちょっと。いつのまにか、脚は棒のようだ。手足が重く、呼吸が乱れている。肺が燃えるように熱かった。苦しい。

 でも、そんなことには負けない。


「ねえ、蒼。おれは間違ってなかったよ。……おれは、陸上をはじめてよかった!」


 本当は、怖かった。慣れ親しんだ東京とサッカーを捨てて、新しい世界に飛び込むのは。けれど、憧れるままに飛び込んだこの世界は、いつしか翔太の新しい目標になった。全部、皆のおかげだ。


「おれは、もっと速くなりたい。あおと競り合えるくらいに。そしたら──」


 あの煌めきに魅了されてから、翔太はずっと考えていた。

 走るってなんなのか。どうしてこんなにも、惹きつけられるのか。蒼も、久蓮も、昴も、皆も。事情や苦しみを抱えながら、それでも走り続け、求め続けている。


 翔太には皆の苦しみはわからないけれど、ただ信じている。自分はやれる。皆で目指している全日優勝(もくひょう)を掴むために、力を出し切れる。そして、この最高のチームはどこにも負けない。


「あお、……あおっ!」


 翔太は必死に腕を振った。へろへろのラストスパート。でも、今までで一番、全力のラストスパートだ。沿道の歓声も、千切れて良く聞こえない。ちゃんと真っすぐ走れているのかも分からない。


「翔太!」


 あぁ、あおだ。

 こちらに向かって大きく手を振っている蒼を見て、胸がいっぱいになる。浮かんでいる笑みにつられて、翔太も笑った。


「あお、お願い!」

「おう! ありがとう」


 昴の、真平の想いが籠った襷。そこに自身の想いを重ね、翔太は蒼へと託した。


──────

【三区→四区】

一位通過 極北大学(桃谷翔太→如月蒼)

二位通過 青谷学院大学(荒島夏樹→神代傑)+八秒

三位通過 駒河大学(日藤祥仁→犬童真於)+十秒

四位通過 帝北学園大学(柘植直人→那須伊織)+十秒

……

──────


 ひらりと(ひるがえ)った襷を見送って、翔太はぐったりと倒れ込んだ。乱れた呼吸を整えようと、吸って、吐いてをくり返す。


「桃谷!」


 峰雄の声が聞こえて、目の前にドリンクが差し出された。スポーツドリンクの冷たさが喉を潤して、翔太はそこでようやく少し落ち着いた。


「お疲れ。いい走りだったな」

「ほんと⁉ おれ、かっこよかった?」

「ははは。ああ、格好良かったとも」


 峰雄に支えられ、荷物のもとへと歩く。がくがくと震える脚は、なかなかに情けない姿だ。けれど、それでも峰雄は「かっこよかった」と言ってくれた。こみ上げてくる喜びに頬が緩む。

 ふと峰雄が真摯な瞳で翔太を射抜いた。


「桃谷、俺はな」

「うん?」

「お前が極北にいて、陸上をやっていると聞いたとき、『どうして陸上なんか』と思ったんだ。俺はお前の、……サッカーU-18の日本代表FWである桃谷翔太のファンだったからな」


 峰雄は、視線を揺らして言葉を探している。


「だが、今日のお前の走りを見て感動した。かつてお前の試合を見たときと同じようにな」


 じんわりと、心が温かくなった。サッカー部時代の自分を知る峰雄の言葉で、翔太の選択が間違っていなかったと、認めてもらえたような気がした。


「……ありがとう」


 翔太は、笑みを咲かせた。

 身支度を済ませて、荷物を抱える。峰雄に手を差し出して翔太は口を開いた。


「まだまだこれからだよ! ──行こう!」

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ