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夢の続き─極北大学陸上競技部の軌跡─  作者: 灰猫
【第五章】それぞれの秋
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三十九.そして、時は来る


「ラスト一本! ここで負ける奴は本番でも勝てないぞ!」

「はい!」


 久蓮の檄を一身に受け、皆は滴る汗を飛び散らせて再び楕円へと駆け出した。

 出雲駅伝を終えた極北大の面々を待っていたのは、『鬼監督』篠崎久蓮の再臨だった。


 出雲前二週間の『鍛錬期』も今までになく過酷だったが、それすらも生易しいと感じるほどに、この二週間は苛烈を極めていた。


 久蓮のメニューは的確だ。各自の足りないところを自然と鍛えられる。けれど、その手腕の真髄は『生かさず殺さず』ともいうべき絶妙な力加減にある。毎日のように死屍累々を築きながらも、蒼たちは次の日が来ると走れる。……走れてしまう。

 抜くときは抜き、締めるときは締める。メリハリ、ケアの徹底、練習外でのサポート。自身はBチームに加わりながら、瑠衣をアシスタントに添えて全てこなしているのだから、もはや超人の域だ。


 蒼は、芝にへたり込んで疲労に喘いだ。きつい。でも、何がなんでも応えたい。



 迎えた選手選考タイムトライアル、天気は快晴だ。

 予選前と全く同じで一周二.七五キロのメンストを四周、グラウンドに戻って千五百メートル、五千メートル。あのときと違うのは、身体に残る疲労感。そして、皆の覚悟だ。


 メンストの硬いアスファルトを蹴る感覚が、心地よく蒼の身体に伝わってくる。合宿を経て怪我前より実力を伸ばした真平は、今回も果敢に喰らいついてきた。極北マラソン以降鬼気迫る様子の昴が、一歩前に出て引っ張る展開だ。

 ぴりぴりと走る緊張感は、心地よくも身が引き締まった。


 三周目に入り、鋭く上がったペースに、粘りながらもゆっくりと真平の気配が後ろに消えていく。残されたのは昴と蒼、一騎打ちだ。


「蒼さん、『俺』は君にも負けられない。極北大が勝つために、そして借りを返すために……どうしてもベルハヌ君に勝たなければならないんです」


 瞬間、昴のペースが跳ね上がる。まだ三周目も序盤だが、このタイミングで昴はもう蒼を引き離しにかかっていた。


「負けらんないですよ、僕も! 必ず『そこ』へ行くと、誓ったんだ!」


 いくら昴や久蓮が上を目指そうとも、蒼は必ず彼らに追いつく。そしていつの日か、二人を超えると誓ったのだ。

 昴が口角を上げた。


 そこからは、悔しさの連続だった。自分も力をつけたと自負していたが、その実余裕なんてこれっぽっちもない。昴は駆け引きも揺さぶりも一切せず、純粋な力で蒼を圧倒した。喰らい付くので精一杯だ。

 喘息(ハンデ)を抱えてこの走り。じりじりと離されながら、蒼は遠くなる背中を悔しさと共に見すえた。



 グラウンドに移動して、千五百メートルのレースがはじまった。一番の成長を見せたのは翔太だった。自信を持って飛び出した背を見つめて、蒼は本能的に察した。

 これは、ついていけなければ負ける。


 必死に追いすがるも、その背は小さくなっていく。たった三周と四分の三周、四分足らずの勝負なのだ、あきらめるまもない。


「本当に、力をつけたな……」


 となりから、感慨に満ちた昴の声が落ちた。蒼を指してか、翔太にか。そういう昴も、前回の選考レースとは別人だ。呼吸は苦しそうだが、明らかに身体がよく動いている。

 負けたくない、と強い想いのままにスパートをかけた蒼だが、昴は当然反応してきた。ほぼ同着で駆け抜けたゴールライン、でも負けだ。


「やるな、翔太!」

「えへへ、おれ、がんばったでしょ!」


 乱れた呼吸を整えながら、蒼は湧き上がる複雑な感情を噛み締めた。震えるほどに楽しく、けれども、じっとしていられないくらいに悔しい。

 だから、逃れられない。



「じゃ、ラスト。いってらっしゃい」


 レスト時間を使い切った面々に、久蓮はにっこりと告げた。その笑顔の綺麗(おそろし)さに、皆の背筋がピンと伸びる。いつかの範昭はこんな気持ちだったのだろうか。


 最終五千メートル。前回の選考レースではふらふらになりながら臨んだ面々だが、今回はまだ余力を残しているようだ。

 アスファルトよりいくぶん柔らかい土の感触を足に感じながら、蒼は昴と先頭へ飛び出した。だれもついてこない、──こられない。視線を交わして、お互いの様子を確かめる。


「リベンジしますよ」

「それは僕のセリフでは……?」


 気合十分の昴だが、蒼としては前回の選考レース(あんなの)で勝ったと誇る気はない。

 ぐ、とスピードを上げた。当然反応される。時折千切れるように聞こえてくる、久蓮のタイムの読み上げの声さえも置き去りにして、走り慣れた楕円をひたすらに駆ける。


 この世界を邪魔するものは、いない。


──────

【選手選考レース 着順】

・メンスト四周(十一キロ)

昴、蒼、真平、範昭、麻矢、翔太、裕也、大介

・千五百メートル

翔太、昴、蒼、大介、真平、範昭、裕也、麻矢

・五千メートル

昴、蒼、真平、麻矢、範昭、裕也、翔太、大介

──────


 蒼は、瑠衣、峰雄と共にメンストを南下していた。時刻はもうすぐ正午、久蓮がセッティングした『駅伝決起ジンパ』が開催される。


 修治は今回の駅伝も応援に行けないことを悔やんでいた。全日本大学駅伝は伊勢開催であるぶん、北海道大学駅伝よりもハードルは高いだろう。久蓮は、サポート関係なく修治も是非にと言ったが、野球部はいつもハードなようだ。


「また修治だけ仲間外れだね。ウケる」

「全く……東雲、お前面白がっているだろう」

「当然でしょ! 毎回悔しがる修治、面白くない?」

「野球部は本当に忙しいんだね……」


 瑠衣と峰雄とそんなやり取りをするまに、会場が見えてきた。集合時間にはまだかなり早いが、もう〈ジンパ〉──『ジンギスカンパーティー』の準備がされていた。すでに久蓮、昴、そして野々口に唯の姿があり、さらに悠と晃もいる。他校生ながらに違和感がないくらい馴染んでいるのは、普通ならいいのか悪いのか微妙なところだが、蒼たちは今回も助けてもらう側だ。


 悠曰く──。


「極北サンら、少数精鋭やろ? 本番、ちょ~っとお手伝いさせてもらえんかな~って」


 瑠衣や修治、唯に参加してもらっても、サポートの人数は足りていない極北大にとっては、願ってもない申し出なのだ。これで、蒼や昴、久蓮を除いた皆にはサポートについてもらうことができた。


 ふと足音が聞こえ、蒼はその出どころを見上げた。立っていたのは見覚えのない三人の青年、──いや、一人は蒼も知っている。予選で救護班をしていた人。たしか、範昭が「俺らの先輩」だと言っていた雪沢佑介だ。

 佑介はまっしぐらに久蓮のもとへ歩いてくると、ひょいと片手を挙げた。


「よー、久蓮! ちゃんと食ってるか?」


 ひらりと手を振って、軽い調子だ。


「遅れてすまない。顔色は、……相変わらず不合格だな」


 謝罪と共に久蓮の顔を覗き込んだ青年は、呆れたようにため息をついた。


「豪華だな……良かったのか?」


 もう一人の青年は、全く表情を動かすことなく会場を見回す。

 青年たちと言葉を交わす久蓮は、年相応に見えた。久蓮の声に先輩たちが反応し、駆け寄ってきた。


 突然の極大陸上部OB登場に、蒼たち一年生組は顔を見合せた。


「はい、初めましての一年生組にご紹介。お察しの通り、三人ともうちのOBだ。こちらは清崎(きよさき) (よる)先輩、オレが一年生のときの主将。そしてそのとなりは塩屋(しおや) (ひかる)先輩。夜先輩の同期で、当時の副主将。最後に、雪沢 佑介先輩。救護班をしてくれてた、オレが二年のときの主将兼敏腕マネージャー」

「その紹介恥ずかしいんだけど」


 先ほど久蓮の顔を覗き込んでいたのが清崎、今も変わらず無表情なのが塩屋だ。『雪沢』といえば、ムーンベルクのコーチは雪沢蓮介だったはずだが、もしかして兄弟だろうか。よく見ると顔も似ている気がする。

 ぼんやり考える蒼を余所に、久蓮は三人に一年生を紹介しはじめた。


 なんと、先輩方も、全日のサポートを買って出てくれたという。「こんなに心強いことはない」と言った久蓮に、清崎は笑った。


「いや、こちらこそ。まさかお前たちの『三年後』を、こんな形で見られるとは思ってもいなかったからな。願ってもないことだ」


 とても頼もしい、援軍だった。


 

 十一月五日、金曜日。駅伝を明後日に控え、仕上がりは上々だ。時刻は昼下がり。

 蒼は、いつも通う教養棟付近の学食ではなく、いつか瑠衣と行った南のパン屋へと足を伸ばした。蒼は経験のない心の高ぶりを持て余して、「らしくないな」と苦笑した。


 いくつかパンを買い、食堂近くの池のベンチに腰掛けた。冬の足音が、着々と近づいている。秋の陽射しに明るく照らされた水辺は、あのときと同じように小さな生き物たちで賑わっていたけれど、気温のせいか少しだけ人は疎らだった。


 蒼はぼんやりと空を見上げた。うろこ雲がゆっくりと流れている。樹に残っていた枯葉を、風がそっと水面へ届けた。ゆったりと流れる穏やかな時間に、ただ身を任せる。


「蒼? ……食べないのか?」


 唐突に振ってきた声の主は、裕也だった。覗き込まれた瞳に、怪訝さと心配が浮かぶ。


「冷めてるよな、それ。……まさかお前も食欲ないとか言わないよな?」

「違います、すっかりぼーっとしちゃって……。ちゃんと元気ですよ!」


 蒼は顔の前で手をぶんぶんと振った。本当に、ただぼーっとしていただけだ。むしろ──。


「裕也先輩、ええと。……大丈夫ですか?」


 蒼の問いかけに、裕也は目を見開くと視線を泳がせため息をついた。


「……だめだ。情けないことに、嫌な想像ばっかり浮かんで、食欲もない。死ぬほど練習してきたはずなのにな、もっとやれたんじゃないかと思ってしまうんだ」


 いつになく弱気な先輩の姿を見て、蒼は言葉に詰まった。こういうとき、何と言えばいいのだろう。久蓮なら、何と──。

 蒼はハッとして首を振った。『久蓮なら』などと考えたところで意味はない。


「久蓮さんのメニュー、キツかったですよね。僕、走って吐いたのは初めてでした。それも、何度も……」


 裕也は、いささかズレた蒼の言葉に目を瞬かせた。その顔はすぐに青くなる。


「……ああ、俺もだよ。去年の主将(久蓮さん)も、なかなかえげつない目標とメニューを課してくれたと思ったが、まだ生温かったと思い知った。まさしく鬼だった……」


 その光景を思い出したのだろう。あの四週間は、正直蒼にとっても未知の領域だった。


「あんな練習を乗り越えたんだから、僕たちはやれますよ」

「──! ……そうだな、そうだよな。みっともない所を見せて悪かった。お前は強いな」


 裕也は驚いて、そして噛み締めるように呟いた。


「そんなことないです。僕も、こんなところでぼーっとしてましたし……。ずっと追いかけてきた目標ですから、きっとしょうがない。──でも、だからこそ、明後日は全部出し切ります」

「ははは。うん、その通りだな」


 笑った裕也には、もう弱気な色は見えなかった。



 十一月六日、土曜日。

 各々が最終調整を終え、極北大とサポートの面々は伊勢にあるホテルの一室に集まっていた。

 久蓮は手元の水を口に含むと、小さく息を吐いた。


「じゃ、ゼッケンを配ります。一区は昴さん。ベルハヌに勝って」

「任された」


 ゼッケンと紺銀の襷が、昴に託された。皆の手を渡り百六.八キロメートルを駆け抜ける、極北大の襷だ。

 久蓮は、選手たちに順に声をかけていく。


「二区、真平。高校時代からずっと、追ってきてくれて、ここにいてくれてありがとう。お前は強くなった。予選に出られなかった悔しさも、五年分の想いも、自信を持って全てぶつけてくれ」

「……はい。──はいっ!」


 真平は、大きな瞳を涙でいっぱいにした。


「三区、モモ。よくここまで成長してくれた。安心して任せられる。度肝を抜いてやれ!」

「まかせてください!」


 翔太は大きく胸を張ってみせた。


「四区、蒼。最高の舞台だ。最高の景色を見ておいで」

「必ず」


 絡んだ視線の先、弾ける光の粒が見えた気がした。受け取ったゼッケンは、とても重く感じる。


「五区、裕也。長く辛い怪我だったけど……よく克服したね。『オレたち』の夢を見よう」


 裕也は目を伏せて、そして静かに頷いた。


「六区、麻矢。もう、昔のキミとは違う。──な? 凄い武器になっただろ?」

「ムカつくけど……主将の言う通りでした」

「はははっ! ──皆を見返してやりな」

「はい!」


 決意を込めて頷いた彼の瞳は、頼もしく輝いていた。


「七区、ノリちゃん。皆が繋いでくれた襷を、オレはお前から貰いたい。四年間、オレを支えてくれてありがとう」

「これで終わりみたいな言い方すんな、バカが。俺は、『あの』とき『あそこ』にいたのがお前で良かった。だから、──待ってろ」

「……うん。そして八区は、オレだ。皆、今までよくオレについてきてくれた。おかげで、オレはずっと楽しかった。──楽しかったのだと、気付かせてもらった。最高のチームだ。見ててよ、絶対に掴んでみせる」


 凛と立つその姿に、ぴり、と空気が揺れた。



 朝がやってきた。ホテルのロビーに集合した面々は、予選会のときのように喝を入れ合う。

「じゃ、皆。伊勢神宮で会おう! ──勝つぞ!」

「おお!」


 ついにここまできた。半年間の集大成、皆の『夢の続き』が現実となるときが、やってくる。


──────

〈極北オーダー〉

一区:十四.六キロ 六連昴(M一)

二区:十三.二キロ 岩本真平(二)

三区:九.五キロ  桃谷翔太(一)

四区:十四.〇キロ 如月蒼(一)

五区:十一.六キロ 富樫裕也(二)

六区:十二.三キロ 夜神麻矢(三)

七区:十一.九キロ 清野範昭(四)

八区:十九.七キロ 篠崎久蓮(四)

 

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