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夢の続き─極北大学陸上競技部の軌跡─  作者: 灰猫
【第一章】ようこそ、極北大学陸上競技部へ
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三.極大のエース


 入学式から一週間も経ったことが驚きだ。原生林の小道を歩き、蒼は陸上競技部のグラウンドにやってきた。雲のベールを透してふりそそぐ優しい光が、静かに季節を春へと塗りかえている。

 入り口で蒼を出迎えたのは、主将の久蓮だった。


「ようこそ、我らが極北大学陸上競技部へ」


 久蓮に手をさしのべられて、蒼はとまどいながら頭を下げた。


「またここに来たってことは、入部してくれるのかな?」

「……そう、ですね」


 久蓮がパッと眩しい笑顔を向けると同時に、どん! と衝撃が走る。振り返ると、翔太が満面の笑みを浮かべていた。


「あお、遅いよー。おれ、きみが来るのをずーっと待ってたのに!」


 翔太に肩を掴まれて揺さぶられながら、蒼は問いかける。


「お前、僕が来ないとは思わなかったのか?」

「え? ぜったい来ると思ってた」


 曇りのない瞳をみて、こういう奴だったとあきらめた。とりあえず、離してほしい。


「はぁい、集合するよ~」


 久蓮の歌うような声がグラウンドに響いた。軍隊さながらの雰囲気が日常だった蒼には、この空気は緩すぎる。

 蒼は翔太と顔を見合わせ、駆け出した。


 サークル棟の一角に円を描いたのは、自分を除いて七人だけだ。どうしても二軍、三軍と隙がなかった高校時代と比べてしまう。


「さあ、皆! 今日から我が中長距離ブロックに参戦してくれる如月蒼だ。蒼、よくきてくれたね。オレたちのことはゆっくり覚えてくれればいいから、まずは同期の翔太(モモ)かな。いいかい、仲良くするんだよ?」

「よろしく、あお! がんばろう!」

「ああ、よろしく桃谷」


 底抜けの明るさに目を細めながら蒼は頷いた。


「蒼。翔太は初心者だけど、ポテンシャルはキミ以上かもしれないよ? 今はまだ遠いけど、良いライバルになるさ」

「ほんとですか、久蓮さん!」

「うん。一週間だけ見てもめざましい成長だ」


 声を弾ませる翔太と、頷く久蓮を眺める。いずれ並んで競りあうときがくるのだろうか。


「また速い奴か。……まぁいいや、俺には関係ないし」


 ぼんやりと考えていた蒼の耳に、誰かの呟きが聞こえた。


「いいや、麻矢(まや)。関係ないことはないさ。……我々極大中長パートは新たな部員を迎え、新たな目標に向かう。──今シーズンは、皆で〈全日〉に出よう!」


 久蓮の宙を舞うような軽い声色に唖然とした直後、蒼はその内容を理解して息を止めた。夕飯のメニューでも告げるように、〈全日(ぜんにち)〉──全日本大学駅伝出場という目標が掲げられたのだ。


 『全日本大学駅伝』とは、『出雲駅伝』『箱根駅伝』とともに、学生の三大駅伝といわれる全国大会だ。十一月はじめに伊勢で行われるこの大会は、関東の大学にしか出場権がない箱根とは違い、全国屈指の強豪校が肩を並べる。お茶の間の知名度は箱根が圧倒的だが、群雄割拠、その白熱ぶりは勝るとも劣らない。


「それ、『北海道大学駅伝で優勝する』ってことですよね? 無理に決まってますよ、主将!」


 麻矢と呼ばれた青年が声を上げた。

 全日に出場するためには地区の代表にならなければいけない。彼の言う通り、予選大会で勝利しなければならないのだ。

 場に漂う空気は、無言のままに麻矢の言葉に同意している。久蓮が掲げた目標は、激戦区から隔離されたこの北の大地でも、ハードルが高いらしかった。

 けれど、久蓮はあっけらかんと笑って言った。


「だーいじょうぶだよ麻矢、皆も! オレたちで挑むんだ、いけるさ」

「そんなの、何を根拠に……」

「今年はオレも走るからね、『最高の景色』を魅せてあげるよ」


 久蓮がそう言ったとたん、皆の瞳が期待の色に輝めいた。蒼は「今年は」という言い回しに違和感を覚えたけれど、久蓮の絶対的な自信に吹き飛ばされてしまう。

 雪どけ水を跳ね上げながら駆けだす皆の背を追って、蒼も走りはじめた。



 静かだったグラウンドに部員たちの影がさす。練習前独特の緊張感がただよって、蒼も気を引き締めた。号令がかかり、また練習がはじまろうとしている。

 皆の前に立つ主将・久蓮の姿を見つめながら、蒼は「おかしい!」と胸中で叫んだ。練習に参加して一週間がたつけれど、この部活には大人の影がない。指導者のいない『部活動』が、蒼には強烈な違和感だった。

 久蓮が蒼の顔を覗き込む。


「どしたの? なんか面白い顔してるね」

「え、いや……。その、うちって監督は?」

「うん、指導者って意味の監督なら、いない。──ははっ、びっくりした? 大丈夫、責任者にはちゃんと『部長』がいるからね! 大学側にも認められた、れっきとした部活だよ。忙しい人だから、滅多にこないけど」


 蒼は目を瞬かせる。正規の部活でない可能性など、ちっとも考えていなかった。


「ええと、……」

「練習はオレが見てる」


 計ったようなタイミングで答えを返され、蒼は目を丸くした。久蓮はこともなげに言うが、メニュー作成は一筋縄ではいかないだろう。


「心配なら要らないぞ、新入生。主将のメニューはそこらの監督よりよっぽど合理的だ」


 アップ途中の二年生、富樫(とがし) 裕也(ゆうや)が顔を覗かせた。久蓮が「ずいぶん買ってくれてる?」とまぜっ返す。


「実績ありでしょう。筆頭は副主将。一年の時は五千を十六分半くらいだったと聞きました」


 範昭のいまのベストは十四分半なので、三年間で二分も縮めたということになる。高校生の範昭は推薦を勝ち取れなかったようだが、この『伸び』に一役買っているという久蓮の手腕は凄まじい。


「ま、オレだし? このくらいはね!」

「突っ込みづらいのでやめてください。……難があるとすれば鬼メニューってことだ、心しておくんだな」


 久蓮に半目を向けていた裕也は、蒼へ不穏に言い置いてアップに戻った。

 練習開始は目前、スタート地点がにぎわう。メニューは九分ごとに二千メートルを十本、設定ペースなしの全力だ。


「負けないぞ、如月君!」


 蒼に声をかけたのは、二年生の岩本(いわもと) 真平(しんぺい)だ。好戦的な光にあてられて喉が鳴る。


 久蓮の合図でみな一斉に駆けだした。真っ先に先頭へと躍り出た翔太は、フォームにはまだ無駄が多いが、たしかに頭一つ抜けたスピードだ。

 負けじと蒼が脚に力を込めたそのとき、ひゅ、と耳もとで風が鳴り、真平が瞬く間に先頭をさらう。後ろから「いいね、真平!」と久蓮の声が追いかけた。

 辛くも追いついた自分より小さな背中を、蒼は驚愕の視線で射る。圧倒的なスピードはないが、ブレが少なく速いピッチでリズムを刻んでいる。

 範昭の記録も驚きだったけれど、真平の走りはさらに上をいく。

 アウトに膨らみ、一気に抜いた。真平が、前に出た蒼へと視線を流す。あっさりと抜き返されて歯噛みしながら、蒼はまたギアを入れ替えた。


「五分四十七秒!」


 久蓮の声が耳に飛び込んできた。呼吸は荒く整わない。真平のゴールから遅れること三秒、全盛期を思うと全く物足りないタイムが酷く悔しかった。

 走り出した五本目。手足の不自然な軽さに、蒼は顔を歪めた。まずい。疲労物質とされる『乳酸』が手足に満ちている。この軽さは、すぐに蒼を蝕む重さに変わるのだ。


「蒼! 粘れ!」


 すかさず、自身も走っているはずの久蓮から檄が飛ぶ。前をいく真平の背は近くならない。



「いきなりケガさせるわけには、いかないから」


 五本走り終えたところで、蒼は久蓮に止められた。真摯な瞳が、食い下がろうとした蒼から従う以外の選択肢を奪い去る。

 バインダーを手にした久蓮も離脱のようだ。


「うちの『エース』はどうよ、蒼?」


 変わらずトップを駆けている真平のことだ。完敗の苦さに、蒼は神妙に頷いた。


「秋にはついに十四分十五秒を叩き出してくれて、いまは目指せ十三分台! ほんとよく伸びてくれた。高校のときからの後輩でね、オレの自慢だよ。……ま、うちのこ全員、もれなくオレの自慢だけどね」


 目もとを緩める久蓮の言葉に、蒼は思わず固まった。真平のベストは、個人で全国大会にも出ていけるレベルだ。


「ま、積み上げるのは難しいけど、衰えるのは一瞬ってこと。こつこつやってくしかないさ」


 静かな音で焦れる蒼を諭しながら、久蓮はトラックを食い入るように見つめていた。蒼とて言いたいことは分かるが、納得はいかない。こんなタイムで終わりたくはなかった。


「麻矢、そのままいけ!」


 久蓮の声が飛ぶ。先頭はいまも真平だが、後続は激動の争いだ。久蓮が声をかけた三年生の夜神(やがみ) 麻矢がするりと前に出る。疲労の色濃い皆をしり目に、ひとりだけペースが落ちない。


「すごいでしょ? 麻矢は『一定ペースの鬼』──ってね。当然そう在れるだけの努力もしてて、毎日走る距離はダントツトップ。オレは心配させられてばっかりさ」


 蒼の視界の先、麻矢は真平との差も詰めていた。駆ける彼らをみて、身体がそわりと疼く。心はもっと速く駆けたいと願うのに、ままならないブランクが悔しかった。

 

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― 新着の感想 ―
[良い点] ∀・)いやぁ……これはまごうことなきスポーツ小説です。正真正銘のスポーツ小説です。しかも凄い良作だと思います。実際の陸上競技の動きを文章で丁寧に綴られていました。そのうえで主人公の蒼君や先…
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