三十八.必ず、そこへ
【五区:六.四キロ】天気:晴 付添:六連昴
選手:長嶺歩夢
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スクリーンには、淡々と走る長嶺の姿が大きく映し出されていた。一つ上のこの先輩はいまだ掴み所がない。
『五区、首位を走る北海道学連選抜チームは、帝北学園大学より二年生の長嶺歩夢を起用しています。出身は東京都の帝都高校、高校時代は水城と共に帝都を牽引する活躍を見せていました。昨年まで駒河大学に所属していましたが、「どうしても篠崎監督の元で学ぶチャンスを活かしたい」と、帝北大学へ転入しています。この出雲はどのような走りを見せるのか』
『おや、今日の彼は最近の走りとは一味違うようですね』
『え?』
『いえ』
暮井の言う「一味違う」とは一体どういう意味だろうか。実況のアナウンサーも首をかしげているので、本当に些細な変化なのだ。蒼は「久蓮や昴なら解るのだろうか」と、まだ帰ってきていない二人を思い浮かべた。
「もう五区か……早いなぁ。おれ、さっき走ったばっかりな気がするのに」
「区間も距離も短いからな」
しみじみと呟いた翔太は、きっと夏の北海道大学駅伝を思い起こしているのだろう。
中継所では、北海道学連選抜と駒河大の差は五十秒すこし、駒河大と青谷学院との差は五秒だ。早々に水城が北村に追いついて競り合いが始まれば、単独で走る長嶺には辛い展開だ。
蒼の読み通り、長嶺は好調に走り続けているものの、後続の二校にじりじりと差を詰められていた。五区も終盤、水城と北村は互いに競り合いながら、着実にペースを上げている。
「やあ、お疲れ~」
「久蓮さん!」
翔太と蒼は、勢いよく振り返る。
「てめぇなぁ……。……、……はぁ。お疲れさん」
範昭は何かを言いかけ、結局それを飲み込んでねぎらいの言葉をかけた。
「ん、さんきゅ」
『あ! 青谷学院 水城、仕掛けました! ラスト一.五キロのこのポイントで北村に勝負を仕掛けた! しかし北村、離されない、その表情はかなり厳しいが、しっかりと水城のスパートについていきます。優勝候補、ライバルのこの二校が、熱いデッドヒートだ! 軍配は、果たしてどちらに上がるのか!』
スクリーン内のデッドヒートは熾烈だ。蒼が息をのむあいだに、再び首位の長嶺が映る。久蓮がぽつりと零した。
「ちょっと疲れたかね。──ま、心配いらないか」
久蓮が言葉を付け加えた瞬間、長嶺がペースを上げた。ラストスパート、その渾身の気迫に圧されて、蒼は目を見開いた。小さな箱の中で疾走している長嶺の表情は、どこか達観したいつもの表情とはどうしようもなく異なる。
「あいつ、あんな顔もするんだな」
範昭がしみじみと呟く。久蓮は、一緒に戻ってきていたサポートの皇に、にやりと声をかけた。
「喜ばしい成長ですな、キャプテン」
「そうだな」
皇は泰然と笑う。
『最終、第五中継所に、首位で飛び込んできたのは、北海道学連選抜チームです。この出雲駅伝、開始前に、この展開を一体どれだけの人が予想できたでしょう! 帝北大学長嶺歩夢、首位を守り切って、極北教育大学四年生、アンカーの宮田悠へ、今襷リレー!』
興奮した実況がドームに響いた。映し出された第五中継所、長嶺から悠へ。蒼たちが繋いできた襷は、ついに最終区間へとつながった。
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【五区→六区】
一位通過 北海道学連選抜(長嶺歩夢→宮田悠)
二位通過 青谷学院大学(水城澪→鏑木涼太郎)+三十四秒
三位通過 駒河大学(北村洸→眞田愁平)+三十四秒
……
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【六区:十.二キロ】天気:晴 付添:宮田晃
選手:宮田悠
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『六区の選手紹介に移ります。依然トップを走る北海道学連選抜。アンカーは北海道教育大学四年生の宮田悠です。出身は北海道の極北北高校。高校時代から北海道の長距離界を牽引してきた実力者です! 昨シーズン末から怪我で戦線を離脱していましたが、ここにきて満を持しての登場!』
『宮田選手は、非常にクレバーで巧みな駆け引きが売りですね。その駆け引きを可能にするのは、確かな実力──箱根常連校も欲しがった人材です。優勝候補の二校に追われる展開、どのような走りを見せるのか、期待が募ります』
アナウンサーが悠を紹介している。正直「速いけれど胡散臭い人」なんて印象だったが、彼らの言葉は絶賛の嵐だ。どうして関東に行かなかったのかという疑問はあるが、蒼は人のことは言えない。
『さて、北海道学連選抜を追います二校、第五中継所を同時に飛び出した青谷学院大学と駒河大学です。まず青谷学院大学、四年生の鏑木涼太郎です。出身は長野県の深雪ヶ原高校。藍堂と共に『王者』青谷を支えてきた、スピードからロングまでマルチにこなす実力者です』
『鏑木選手は、本来はどちらかというとスピードタイプの選手なのですが、ハーフマラソンまできっちりと学生トップレベルで走り切るわけですから。監督からの信頼も厚いでしょう』
『駒河大学も、主将の眞田愁平を起用しています。出身は東京都の帝都高校、熱く豪快な走りで駒河大学を引っ張り支える主将兼エースです。今年度学生最強ランナー、今回は一体どんなレースを見せるのか!』
『眞田選手も、鏑木選手と同じく、スピードが強みの選手です。この区間、優勝争いを繰り広げる三校は、四年生対決、ということになりますが、競り合いに縺れ込んだ場合、宮田選手はやや分が悪いですね』
アナウンサーと暮井の会話を聞きながら、蒼は首をかしげた。
「やっぱり、厳しいんですか……?」
「厳しいね」
久蓮は静かに答えた。周りに座る皆も、久蓮の解説に静かに耳を澄ましている。
「青谷にも駒河にも意地がある。もちろん、伝統っていう誇りもね。だからこそ、絶対に追いついてくるだろ? ましてや、この区間は涼太郎と愁平だ。パワータイプじゃないみゃーちゃんには、スパート合戦で二人を凌ぐのは至難の業」
久蓮はばっさりと言い切った。二人と間近で競り合った蒼も、二人のパワーには舌を巻いた。事実スクリーンでは、鏑木と眞田が競り合いながら、悠との差をゆっくりと着実に縮めていた。
「ま、よく見ておきなよ、皆。それで終わらないから、みゃーちゃんは『みゃーちゃん』なんだよ」
『ただいま七キロ地点を過ぎたところ! ついに青谷学院、駒河大学が首位、北海道学連選抜に並びました! しかし北海道、宮田もしっかりとついていきます! 最終六区、ここにきて三校が一位集団! 熾烈な優勝争いが巻き起こる気配! 残すところあと三キロ、一体どんなドラマが待ち受けているのでしょうか!』
会場内に、アナウンサーの熱のこもった声が響き渡った。
「あああ、みゃーちゃんさん、追いつかれちゃったよ!」
声を上げた翔太に、久蓮がにやりと笑ってスクリーンを指す。
「見てろ、モモ。ここからが凄いぞ。──ここからが、宮田悠の真骨頂だ」
悠が小さく仕掛けた。当然眞田も鏑木も反応しているが、どこか窮屈そうだ。対する悠は、相変わらず涼しい顔をしている。
「みゃーちゃんはいつも『ああ』さ。涼しい顔で、絶妙にいや~なタイミングで揺さぶりをかける。人の嫌がることをさせて、みゃーちゃんの右に出る奴はいないね!」
「あいつも、てめぇにだけは言われたくねぇだろ……」
「や、『最高の誉め言葉やな! 』って言うさ」
胸を張る久蓮は「悠は駆け引き上手」と言いたいのだろうが、なかなかの言い草だ。納得できてしまうのは、蒼が持つ印象の問題だろう。
言葉の通り、悠は巧みな駆け引きで頂点の二人と渡り合っていた。眞田や鏑木は何度も仕掛けているが、悠も負けじとついていく。三人とも一歩も譲らず、レースはついに最終局面を迎えた。
蒼はスクリーンから目を離せずに、彼らの勝負に魅入っていた。まさに、頂上決戦。先ほど走り終えたばかりだというのに、ぞくぞくと身体に痺れが走る。
「さ、そろそろ移動しましょ」
久蓮に促されるがまま、一同は悠を迎えるためにゴール地点へと移動した。
『皆さま! この出雲ドームに、選手たちが帰ってきました! こんなに熱い優勝争いは何年振りでしょうか、青谷学院大学、駒河大学、そして北海道学連選抜が、この競技場に入ってなお熾烈な優勝争いを繰り広げています! 三者一歩も譲らず、バックストレートを駆け抜け、勝負はついにホームストレートへと縺れ込みました! 意地と意地のぶつかり合い! 勝利は、一体誰の手に⁉』
ドーム内に歓声が響き渡り、選手たちを迎えている。
「見えた!」
蒼は小さく叫んだ。
三人は一歩も譲らず、競り合いを続けている。純度の高い光が絡み合い、彼らの後を追うように千切れている。最後の最後まで、誰ひとりとして遅れることなくゴールテープを切った。
ひときわ大きな歓声がドームに響いた。久蓮と皇が、ゴールした悠を抱きとめて、蒼たちの方へと誘導してくる。
『三校、三選手が縺れ込むように、今ゴールテープを切りました! ほぼ同着! この熾烈な戦いを制したのは──』
瞬間、静けさがドームを支配する。
『──駒河大学、眞田です! 続いて青谷学院大学、大健闘の北海道学連選抜は三位という結果です。この三校、タイム差は一秒ありません、歴史に残る名勝負と言っていいでしょう!』
「すまん、皆……!」
「いいえ! 凄い勝負でした、悠さん!」
荒い呼吸の下で眉を寄せる悠に、蒼は首を振った。
このメンバーで、あの展開で、負けた。『勝利』は、こんなにも重い。来月、再び迎える全国の舞台は極北大の皆だけで、この厳しい勝利を掴まなければならない。
あと四週間。皆は、蒼は、どこまで成長できるだろうか──。
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【最終結果】
優勝 駒河大学
二位 青谷学院大学
三位 北海道学連選抜
四位 帝都体育大学
五位 銘華大学
……




