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夢の続き─極北大学陸上競技部の軌跡─  作者: 灰猫
【第五章】それぞれの秋
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三十五.帝北大の『切り札』


 わずかに冷たさを孕んだ風が、身体を貫くように吹きつけてくる。残暑厳しい先週の埼玉とは打って変わって、ここ札幌は夏の気配は遠い。

 予想以上の強風に、蒼は念のためにと持ってきていたウインドブレーカーを着込んで、首をすくめた。


 九月二十六日、日曜日。部員たちは三週間ぶりに真駒内公園を訪れていた。人々で賑わう公園内は、多くの露店も立ち並ぶ。

 まれにみる強風の中開催されるのは、『極北マラソン』という、学生のほか市民ランナーも多く参加するロードレースだ。ハーフや十キロのほかファンランなどもある。


 極北大の面々は、自身の練習や疲労、駅伝本番の想定距離などから、ハーフか十キロかを選択していた。ハーフを走るのは、蒼と昴のみ。蒼は、アップを済ませて昴と共にベンチに戻った。


「昴さん。……切ってきた」

「ふむ」


 久蓮は神妙な面持ちだ。昴とともに差し出されたプログラムを覗き込むと、見慣れぬ『帝北大生』の名前が目に飛び込んできた。


──────

一 ベルハヌ・タメスゲン(一)帝北大

──────


 蒼は、真平の怪我が判明したときの久蓮の言葉を思い出した。


『きっともう一枚用意してる切り札は、本戦で切ってくる』


「帝北の、『切り札』……?」

「そゆこと」


 蒼の呟きに、久蓮が頷いた。

 帝北大の『切り札』とは、留学生ランナーだった。折り紙付きの精鋭である現メンバーを差し置いて、『切り札』と評されるだけの実力とは、一体いかほどのものか。


「いやに早く出てきたな」

「あちらさんもそれだけ焦ってるんでしょ。出雲選考も、蒼の全カレ優勝もあったし……このまま調子づくのを恐れたのさ。ま、早めに引き摺り出せたってことで。お手並み拝見させてもらいましょ」

「そうだな」


 言葉を失っている蒼をよそに、昴と久蓮は淡々と考察をしている。頼もしくも何だか悠長だ。そこはかとない不安を残したまま、蒼は昴と共にスタート地点へと向かった。



 午前九時三十分、ナレーションの声と共に号砲が響いた。トラックレースとはちがい、お祭りのような雰囲気だ。

 沿道の人の波を横目に見ながら、大通りへとさしかかる。早くも一つの集団になりつつある先頭には、見知った顔が並んだ。昴は当然のこと、悠に晃。皇、那須、長嶺と帝北大の面々もしっかりとついてきている。


 (くだん)の『切り札』ベルハヌ・タメスゲンは、昴と並ぶ最前列に位置取っていた。上背のある昴と並んでなお、頭一つぶん近く高い長身。長い手足に、力強くもしなやかな筋肉をまとった彼は、少し走りを見るだけでも相当な実力者だと分かる。


 となりを走る悠が、こそりと告げてきた。


「また、えらいの隠し持っとったやん」

「俺らにもお目見えはついこのあいださ。──信じられるか?」


 皇が眉を寄せて愚痴を零す。


 コースに沿って路を曲がると、突然、背中を強く突き飛ばされた。追い風だ。緩く下りが続く真っ直ぐなコースにこの風、自ずとペースが上がってしまう。気を抜くとバランスを崩すほどのそれは、障害にこそなれレースの助けにはならない。


「このハーフの難関はこれだ、蒼。帰りはこの下の河川敷、全ての条件が真逆になる。──温存しておけよ」


 鋭利な雰囲気を纏った昴が、ちらりと蒼を見た。『全ての条件が真逆に』──長丁場の後半で向かい風の上り坂とは、ともすれば地獄のキツさではなかろうか。


 レースはまだ始まったばかりだ。



 状況が変わったのは十キロ手前。市街地に入り、折り返しも目前にせまった大通りでのことだ。

 追い風と下り勾配がなくなり、蒼の手足は重力に捕らえられた。

 集団のペースもやや落ち着いたのに、身体のキツさは変わらない。建物にぶつかって回る風にあおられながら、蒼は他の選手の陰に位置取った。


 折り返し地点を過ぎて、市街地を駆け抜ける。先頭は依然ベルハヌが引っ張り、集団の後ろにつける晃はややキツそうだ。


 大橋を渡りきって河川敷に降りた瞬間、ものすごい向かい風に襲われた。蒼は思わず歯を食い縛って、フォームの維持に徹する。


「うっは、こりゃまた……!」


 悠の苦笑混じりの呟きが、風に千切れながら届く。ここからラスト三キロまで、ひたすらこの上りと強風に耐えなければならない。ハーフマラソンという未知の距離に、蒼の心臓がいやな音を立てた。


「初ハーフか、蒼クン」


 完全に蒼の思考を読んだタイミングで、悠の声が響く。


「……はい」

「ビビることあらへん。二十キロくらいなら練習でもやっとるやろ? コンディションはエグいけどな、そのぶんええ経験になるで。せっかくええ調子できとるんや。潰れてイヤな感覚残したらあかんで~」


 悠の言う通り、心が折れれば脚も鈍る。長くとも無限ではないのだ、一キロずつでも重ねていけば必ずゴールへ辿り着く。



 残り六キロの表示が目に入ったと思った途端、レースが動いた。

 いまだ変わらぬ強風と上り勾配の中、ちらりと昴を確認して、ベルハヌは猛然とペースを上げた。反応できたのは昴のみ、一瞬で二人の姿は小さくなっていった。


「このタイミングかい!」

「流石、六連昴……かな」

「どやろな? ゆーて、あの人まだ戻せとらんやろ」


 悠と皇の会話を聞きながら、蒼は全力で自身の走りを維持していた。風に煽られ、緩やかな坂が脚にくる。脱落者が続出した集団は、蒼の他、悠、皇、那須、そして長嶺だ。先頭に立つ皇と悠は、まだ少し余裕を残している。二人は引っ張り合いながら距離を進めているようだ。


「戻してきとるやん」

「当然! 今日はリベンジさ。──お前こそ、ずいぶん余裕があるじゃないか?」

「アホ、そんなもんあるかいな!」

「どうだか!」


 呼吸の合間、ぽつりぽつりと交わされるこの応酬は虚勢か、煽り合いか。離されないように必死な蒼には、深く考える余裕もない。


 河川敷を抜けて公園内に入る直前、悠と皇の雰囲気がガラリと変わった。次の瞬間上がったペースに蒼は反応できないまま、二人が華麗にギアチェンジをして遠ざかってゆく。

 こうして上質な勝負の気配を感じ取れるようになっても、全く反応できなければ意味はないのだ。近づけたと思った瞬間遠ざかる『距離』は途方もない、と蒼は空笑いを零した。


 蒼は不甲斐なく沈みたがる思考を無理矢理振り払って、後ろに位置取っている長嶺と那須の気配を確認する。放送と観客の声援が鳴り響くスタジアムに辿り着くと、カーブの先を目指して、棒のように言うことを聞かない手足を必死に動かした。



 結局、蒼は悠に遅れること三十四秒、五着でゴールラインを割った。ベルハヌに追いすがった昴も、ふたを開けてみれば三十八秒差をつけられている。


 いまだ歴然としてある帝北大との『差』をいかにして埋めるかだけが、蒼の心を占めていた。


──────

【十キロ 登録男子二十歳代 結果】

一着 岩本真平(極北大二) 二十八分二十九秒

二着 北市陞 (帝北大三) 二十八分三十秒

三着 塩原健翔(帝北大一) 二十八分三十六秒

四着 柳沢於莵(帝北大四) 二十八分四十九秒

五着 榎本薫 (帝北大三) 二十九分〇秒

六着 清野範昭(極北大四) 二十九分二秒

七着 長都俊平(帝北大三) 二十九分十一秒

八着 夜神麻矢(極北大三) 二十九分十七秒

九着 唐崎琢磨(極教大三) 二十九分四十四秒

十着 桃谷翔太(極北大一) 二十九分五十四秒

十一着 小隈健太(極教大四) 三十分十二秒

十二着 御影大介(極北大三) 三十分十五秒

……

【ハーフマラソン 登録男子二十歳代 結果】

一着 ベルハヌ・タメスゲン(帝北大一) 六十二分五十九秒

二着 六連昴(極北大M一) 六十三分三十七秒

三着 東城皇(帝北大四) 六十三分四十五秒

四着 宮田悠(極教大四) 六十三分四十七秒

五着 如月蒼(極北大一) 六十四分二十一秒

六着 長嶺歩夢(帝北大二) 六十四分五十八秒

七着 那須伊織(帝北大一) 六十五分十二秒

八着 宮田晃(極教大一) 六十五分三十三秒

……

 

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