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夢の続き─極北大学陸上競技部の軌跡─  作者: 灰猫
【第五章】それぞれの秋
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三十四.向こう側へ


「う、わわわわっ⁉」


 風もなく穏やかな午前の空気を切り裂いて、麻矢が目の前を駆け抜けた。叫び声が静かなグラウンドに響く。


「おー、すげぇ。麻矢の奴、見たことねぇ動きしやがるぜ」


 範昭はのんびりと他人事な台詞だが、その声色は驚きに揺れていた。ひゅん、と音をたてて一瞬で視界から消えた麻矢のキレは、普段とは比べるべくもない。


「これが、チューブ走……」


 その腰に巻き付いているベルトからは、前方向に向けてゴム紐が突き出している。そしてそのゴム紐は、十メートルほど先にいる翔太の後腰に繋がっていた。そう、これは麻矢の本来の力ではない。『人工のスピード』とでも言うべきか。


「どーですかー? 麻矢せんぱ~い」

「うん、不思議な感じ……!」


 大きく手を振って問いかけた翔太に、麻矢が頷いた。



 時は遡り。出雲選考を終えた翌火曜日、久蓮が見慣れない袋を四つも抱えてグラウンドに現れた。


「おはよう! これ、このあいだ麻矢と話してた『チューブ』」

「……買いすぎだろ」


 二人一組で使うという『チューブ』を四つも抱えた久蓮に、範昭が冷めた声で突っ込みを入れた。


「まぁまぁ、そー言わずに。──麻矢、翔太。ちょっとコレ、着けてみ」


 どこ吹く風の久蓮は、麻矢と翔太に水色の袋を一つ差し出す。それぞれベルトを巻けば、二人はゴム紐で一つに繋がれた。


「準備できたね? じゃあ翔太は前に立って、麻矢は後ろ。合図を出したら、翔太は全力ダッシュ。麻矢は引っ張られる力を使って走る。腰は高くね! じゃあ、──GO!」


 二人は走りだし──冒頭に戻るのである。


 未知の感覚なのだろうか、少しぽかんとしている麻矢に、久蓮は「自分じゃ出せないスピードを身体に覚えさせるんだ」と説明している。


「皆も、いくつか持ってきたから、興味あったら好きに使ってね~。ただ、肉離れとか、怪我にはくれぐれも注意すること!」


 今日のようなジョグの日は、こういうことを試すべくある。うずうずする身体に任せて、蒼も水色の袋に手を伸ばした。


「蒼~。キミは今週末レースなんだから、やり過ぎないように!」

「わかりました……」


 逸る心はバレバレだったらしい、と蒼は肩を落とした。週末には〈全カレ〉が控えているから、久蓮の指摘ももっともだ。


〈全カレ〉──『全日本インカレ』は、学生陸上の全国大会だ。このあいだキョクノウDCで標準記録を突破していた蒼には、出場権がある。チャンスを糧とするには、どんな調整ができるかが肝心だ。


 しかたない、ほどほどに、だ。

 


 九月十九日、日曜日。極大陸上部員一同は、蝉の大合唱に迎えられながら、埼玉にある鹿谷スタジアムを訪れていた。

 気持ちよい快晴だった。北海道ではとうに秋の雲が浮かぶ空も、ここ埼玉ではいまだに夏の気配を色濃く残している。


 全日本インカレ三日目、蒼の出場する男子五千メートルのスタートを十四時三十五分に控え、皆は眼下に繰り広げられる熱い勝負に魅入っていた。


「相変わらず凄い熱気だ……三日目ともなると、流石に見慣れてきましたけど」

「ムカつくけどさ。人数も、競技力も……。正直北海道とはレベルが違うよな」


 裕也と麻矢がそんな会話を繰り広げながら、走る選手たちを見下ろしている。


 ひとりアップを終えてベンチに戻ると、久蓮の姿があった。ひらひらとこちらへ手を振る姿に、蒼は息を吐いて身体の力を抜いた。


「言うことはないんだ」

「えっ」


 無意識にアドバイスを待っていた蒼は、頓狂な声をあげ、すぐに咳払いで誤魔化す。久蓮はくすりと笑った。


「蒼。キミがオレの『隣に立つ』って言ってくれて、オレがどれだけ嬉しかったか分かるかい? 期待してる。自分を信じて、──行ってらっしゃい」


 心に燃え盛る熱い焔が、「やれる」と蒼を揺さぶった。どこまでだって走っていけそうだ。

 久蓮に頭を下げ、蒼は召集所へと向かった。


「お~! 合宿ぶりじゃな、如月クン」


 召集所には、見知った面々が集まっていた。この大舞台で力を試したい。青谷の面々に囲まれて、蒼は鋭く笑んだ。

 皆とぽつぽつ会話をしていると、駒河の眞田が声をかけてきた。


「よお! 久しぶりだな、如月君。何だ、少し見ねぇうちに随分良い表情(かお)するようになったんじゃねぇ? ──な、紫吹」

「フン……」

「コラコラ」


 巻き込まれた奥村は、鼻を鳴らしてそっぽを向いた。けれど、小さな呟きはしっかりと蒼の鼓膜を揺らした。


「ちょっとはマシになったじゃん」



 高らかな号砲が鳴り響き、一斉に選手たちが飛び出していく。ソールがタータンを打つ音、皆の息遣いを感じる。


「はー、えげつないねぇ。……面白ぇ!」


 眞田の心底楽しそうな呟きが、かすかに鼓膜を揺らした。銘華大と帝都体育大の二人の留学生が飛び出して、皆がそれに続く。


 あっというまの一周目、六十四秒。このまま五千メートルを走り抜けば十三分二十秒くらいか、と算盤を弾く。かなりハイペースだが、誰もが置いていかれまいとリズムを刻んでいた。


 三周が過ぎたころ、集団の二列目辺りにつけながら、蒼はぱちりと目を瞬かせた。速い。たしかに速いのだが、限界感はない。

 このペースが続けばオーバーペースだろうが、それは皆にだって言えることだ。留学生二人は怪しいが、鏑木たちだって五千メートルのベストは速くて十三分四十秒台、高校時代に出した蒼の自己ベストとそう変わらない。


 二千メートルを通過して、レースは早くも中盤。予想通りペースは落ち着いてきたが、一方で駆け引きの気配が強まっていく。静かなレース運びの中、ぴりぴりとした独特の緊張感が飛び交いはじめた。

 ふと、となりを走る眞田の視線が、映る蒼を激しく燃やし尽くす。


「余裕だなっ?」

「まさか!」

「はっ。──アツいぜ!」


 その焦熱に引き摺られて、蒼もちらりと周囲へ視線を走らせる。


『心折れずに奴との競り合いを楽しめる者だけが、その先の世界を見ることが出来るのさ』


 こういうことか、と蒼は思った。



 そのときは突然やってきた。

 レースも残り二千を切って、最大限に高まった緊張感の中、蒼は突然電流に打たれたかのように『ここ』だと思った。今しかない、なんて根拠のない閃きだ。けれど──。


『自分を信じて、──行ってらっしゃい』


 脳裏に過った久蓮が、思い切り蒼の背中を押す。一足飛びにギアを変え、この集団の誰よりも早く、蒼はロングスパートを仕掛けた。皆わずかに遅れて反応してきたが、蒼は怯むことなくさらに一段ギアを切り替えた。


 蒼は身体のバネを意識しながら、タータンを駆ける。九月のいまだ強い日射しに睨まれたそこは、さながら勝負の熱にひりつく鉄板だ。焦げ付くように熱いのは、足元か、はたまたこの勝負そのものか。

 汗が滴るに任せて、蒼は笑う。このスピード感が、ひりつく緊張感が、──楽しくて楽しくて仕方がない。いつまでも、走っていたい。


 ラスト一周の鐘が鳴るころには、先頭は蒼、鏑木、眞田の三人に絞られた。迫る二人の気配を、背中に感じる。徐々に詰められ、ホームストレートに入るころには、横一線に並ばれた。


「行かせねぇ!」


 譲れない、譲りたくない、そんな想いは皆同じだ。それでも蒼は、『隣に立つ』と決めた。


 数瞬の後。縺れ込むように、まだ誰も割っていないゴールラインを、蒼が一番に通過した。

 一瞬の無音は、すぐに大きなどよめきに取って代わった。膝に手をついて荒く呼吸をする蒼の耳元で、たくさんの音が雪崩れを起こす。


「自己……ベスト……」


 ゴール脇、グランドタイマーは十三分四十一秒で止まっていた。


──────

【男子五千メートル決勝 結果】

一着 如月蒼(一)極北大 十三分四十一秒

二着 眞田愁平(四)駒河大 十三分四十一秒

三着 鏑木涼太郎(四)青谷学院 十三分四十一秒

四着 アンソニー・ワングェ(三)帝体大 十三分四十五秒

五着 ジュリアス・トゥエット(四)銘華大 十三分四十七秒

六着 藍堂英佑(四)青谷学院 十三分五十二秒

七着 神代傑(四)青谷学院 十三分五十七秒

八着 奥村紫吹(二)駒河大 十三分五十七秒

九着 降矢湊(三)駒河大 十三分五十八秒

十着 水城澪(二)青谷学院 十四分三秒

十一着 北村洸(三)駒河大 十四分九秒

十二着 矢萩玲弥(四)銘華大 十四分十五秒

十三着 恵那克己(四)泰堂大 十四分二十一秒

十四着 廣田隼人(三)帝体大 十四分二十七秒

十五着 綾川雄大(一)帝体大 十四分三十二秒

……

 

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